吉田松陰先生御真影の謎
大河ドラマ「花燃ゆ」は幕末・明治維新の精神的支柱であった吉田松陰の妹「文(ふみ)」の目を通して幕末・維新の動乱を描いたドラマだった。これまで吉田松陰の御真影は存在しないと思っていた。だが国立国会図書館の「近代日本人の肖像」に左のような画像が掲載されている。写実的な絵画のような、絵画に修正を加えた写真のような怪しげなシロモノである。実物と似ているのか、松下村塾生の渡辺嵩蔵にみせたところ、松陰のものではないと否定している。真相は謎に包まれている。
1859年のこの日、安政の大獄で捕らえられた吉田松陰が小塚原刑場で処刑された。松陰が萩の野山獄から江戸に送られた理由は、安政の大獄で獄死した梅田雲浜が、萩で吉田松陰に会ったことを話したためだった。評定所が松陰に質問したのは、安政3年冬、雲浜と話した内容と、京都の御所に手紙を置いたのが松陰ではないのか、という2点。これは違うという松陰の主張が了解された。そこで、松陰は意見を聞いてもらえる絶好の機会だと思い、「倒幕のために公卿に手紙を出した。そして幕府の間部詮勝を迎え撃つことを計画した」と告白した。評定所の役人は、予想もしなかった老中暗殺計画に驚いた。評定所の判断は最初島流しだったが、大老井伊直弼が死罪に書き直したといわれている。死刑を受けると松陰は、辞世の詩を詠み、人々に別れを告げた。「吾れ今、国の為に死す。死して君親に負(そむ)かず。悠々たり、天地の事、鑑照、明神に在り」 維新の先覚者として種をまいた松陰は30歳でこの世を去った。(10月27日)
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