田山花袋「踏査」
街道がある。共処に日が照る。人が通って居る。向うには山の翠が見える。それは年々歳々同じである。秋が来れば稲が熟って、里川に澄んだ水に雑魚の泳ぐのが鮮かに見える。稲を満載した車がガラガラと音を立てて通っていく。私は共処に一「田舎教師」の歩いて行く姿を明らかに見得た。
踏査―私はこの踏査といふことを地理学から学んだ。日記よりも手紙、手紙よりも踏査の肝要なのを私は感じた。歴史地理といふ学問は面白い学問である。私は小説地理といふことを「田舎教師」に由って考へた。私が小説製作上実在を尊ぶのは、決して消極的ではない、積極的である。史家が古城址をさぐり、地理学者が山岳踏査するのと同じ位に思っている。(明治42年11月)
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