ふるさと秋田
秋田は小・中学校の学力テストでは全国一の好成績であるが、江戸時代から学問・芸術に優れていた。小田野武の秋田蘭画、平田篤胤の国学、こうした伝統があって寺崎広業や平福穂庵・百穂などを生み出した。東洋史の内藤湖南(1866-1934)は、その父・調一は南部藩の陪臣儒者だった。
秋田農業の基礎を築いた人として石川理紀之助(画像、1845-1915)、渡部斧松、八郎潟の干拓事業の小畑勇二郎(1906-1982)がいる。十和田湖のヒメマスの養殖で知られる和井内貞行(1858-1922)は鹿角郡毛馬内村(現・鹿角市)、南極探検家の白瀬矗(1861-1926)は由利郡金浦村(現・にかは市)、アラビア石油創業者の山下太郎(1889-1967)は平鹿郡大森町(現・横手市)、新潮社の創業者の佐藤義亮(1878-1951)は仙北郡角館町(現・仙北市)の出身である。横綱では照国万蔵(雄勝郡雄勝町)がいる。
秋田は色白美人が多いことでも知られる。小野小町は出羽国の郡司小野良真の娘で秋田の出身。芸能界にも秋田出身の女性は多い。演歌の藤あや子は仙北市、「わたしの青い鳥」のアイドル歌手、桜田淳子は秋田市の出身。
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