与謝野晶子と関東大震災
1923年9月1日午前11時58分、東京・横浜を中心としてマグニチュード7.9の大地震がおこった。多くの家屋が倒壊し、ちょうど昼食時に重なり、炊事用の竈から出火して、各地に火災が発生して被害を大きくした。このとき、与謝野晶子は44歳で夫の鉄幹とともに、神田駿河台の文化学院で教鞭をとっており、近くの逓信病院付近に住んでいた。晶子は、こんな短歌を詠んでいる。
もろもろのもの心より搔き消える天変うごくこの時に遭ひ
天地崩(く)ゆ生命を惜む心だに今しばしにて忘れはつべき
また文化学院に預けておいた「新新源氏物語」の原稿も焼失してしまった。
十余年わが書きためし草稿の跡あるべしや学院の灰
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