ケーニヒスベルクの橋渡り
東プロシアの首都ケーニヒスベルクの町(現在はロシアのカリーニングラード)にあるクナイプホッフ島のまわりを流れるプレーゲル川には七つの橋がかかっていた。あるとき、市民のひとりが「同じ橋を2回わたらないで、すべての橋をわたることができるか」という問題をだした。この問題に対して、だれもうまく説明できなかった。これを18世紀の数学者レオンハルト・オイラー(1707-1783)が1736年に一筆書きの問題になおして証明することを考え、「そのようなことは不可能」と答えた。この問題をケーニヒスベルクの橋の問題という。ケーニヒスベルクは哲学者カントが生まれた町として知られ、島の中央ケーニヒスベルク大聖堂の北東の角にある。このためカントの墓参りのためこの問題が生まれたというまことしやかな話があるが、実際はカントよりもオイラーのほうが古い人で、この橋渡しはカント以前からあったものである。
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