東南アジアの国々 1965年前後
東南アジアのほとんどの国は、かつて欧米諸国の植民地であった。しかし、第二次世界大戦後に独立し、ベトナム、タイ、ミャンマー、カンボジア、インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、ラオス、ブルネイの10ヵ国が1967年に東南アジア諸国連合(ASEAN)を結成した。東南アジア諸国はいまだ貧しく多くの問題を抱えている。戦後、植民地の歴史から解放されて、新興独立国家への道を歩む過渡期における1965年前後を概観する。
ベトナム共和国(サイゴン) 1963年11月2日、クーデターが発生し、ゴ・ディン・ジエム大統領殺害される。同月ケネディ大統領も暗殺される。1964年1月、グエン・カーンが南ベトナム大統領に就任。しかし内政は混乱しベトナム解放民族戦線の勢力を伸張させる。
ベトナム民主共和国(ハノイ) 1964年8月、トンキン湾事件が発生し、これをきっかけにアメリカは本格的に南ベトナムを支援する。1965年2月に北爆を開始、3月にはダナンに上陸、長期にわたる戦争に突入する。ホー・チ・ミン大統領。1975年に北ベトナムが勝利し、南北ベトナムが統一された。
タイ(バンコク)1963年12月、タノム・キッティカチョンが首相に就任、軍事独裁体制が1973年まで続く。
ビルマ(ラングーン) 1962年、ネ・ヴィンがクーデターで政権を奪取。1981年11月まで続く。
カンボジア(プノンペン) ノロドム・シアヌークは社会主義体制に移行し、ベトナム戦争で解放戦線側を支援しアメリカに敵対政策をとった。1970年にロン・ノルらのクーデターで元首を解任される。
インドネシア(ジャカルタ) スカルノは1963年終身大統領になると、しだいに社会主義に傾斜し、国際連合を脱退、対米批判を強める。1965年9月30日インドネシア・クーデター以降、スカルノ体制は崩壊にむかう。1964年の東京オリンピックも参加することなく帰国を余儀なくされた。
マレーシア(クアラルンプール) 1963年シンガポール、英植民地のサラワク、サベを合わせ連邦国家マレーシアとして独立。トゥンク・アブドゥル・ラーマン首相はタイ・フィリピン・インドネシア・シンガポール・マレーシアの5国によるASEAN結成を実現した。
シンガポール 1965年8月9日、マレーシアから独立。リー・クアンユー首相。
ラオス(ビエンチャン) 1953年に独立するが1960年頃からパテート・ラーオ軍(共産主義勢力)とボウミ・ノサヴァン率いるスバーヌウォン王国軍と中立派の3派による内戦が続く。1974年ラオス人民共和国が成立。
フィリピン(ケソンシティ) ディオスダド・マカパガル大統領から、1965年1月、フェルディナンド・マルコスが大統領に就任。
ブルネイ・ダルサラーム国(バンダルスリブガワン) 1962年アザハリの反乱があり、1984年1月イギリスから完全独立。
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