ぺチコート作戦
1756年のこの日、七年戦争がはじまる。オーストリアのハプスブルク家は、カール6世の死によって男子の相続者が絶え、皇女マリア・テレジア(在位1740-1780)が領土を継承した。これにフランスやプロイセンが異議を唱えてオーストリア継承戦争が起こった。この戦争でマリア・テレジアの王位継承は認められたが、シュレジェン(シレジア)の領有は認められなかった。
このためマリア・テレジアは外交官カウニッツを登用して、宿敵フランスと同盟を結ぶという思い切った政策をとった。これを外交革命という。これによってマリア・テレジア(オーストリア)、ポンパドゥール夫人(フランス)、エリザヴェータ(ロシア)という3人の女性がブロシアのフリードリッヒ2世を包囲した。いわゆる「3枚のペチコート作戦」によって、七年戦争(1756-1763)は、当初マリア・テレジア側に優勢であったが、エリザヴェータ女帝の死(1762年)によるロシアの離反のため、プロシアの有利に帰着した。パリ条約、フベルトゥスブルク条約により、プロシアのシュレジェン領有が認められた。
« ヨーガ(「ヨ」事項索引) | トップページ | 日英ことわざ集 »
「今日は何の日」カテゴリの記事
- ヘラクレイオス(2024.10.05)
- 五千円紙幣(2024.10.01)
- 秋分の日(2024.09.23)
- 江華島事件(1875年)(2024.09.20)
- 国際識字デー(2024.09.08)
コメント