明朝末期、裏切者の末路
日本史のなかで裏切者といえば関ヶ原の戦いでの小早川秀秋がよく知られるが、中国四千年の歴史のなかで裏切者といえば、明を裏切り、清に寝返った呉三桂(1612-1678)が筆頭格だろう。明朝が李自成の反乱に遭ったとき、山海関を守っていた明の武将の呉三桂は、昨日まで敵であった清の睿親王ドルゴンに降り、清軍を北京に先導した。清の北京入関には呉三桂の力に負うことが大きい。この功績によって呉三桂は雲南の平西王に封じられたが、のちに反乱(いわゆる三藩の乱)を起こして滅ばされ、自害した。
なぜ呉三桂は祖国を裏切り、満州族に味方したのであろうか。むろん自身の栄達や政治的な思惑もあったのだろうが、後世の稗史の世界ではひとりの美女を奪い返すためという話になっている。李自成は陳円円(1623-1695)という美しい妓女との幸福な生活を過ごした。ついに彼は1678年、聖祖康熙帝によって滅ぼされた。呉三桂も一代の英雄ではあるが、裏切者としての誹りはいつまでも消えない。明末の学者たちの人生も二つに分かれた。倪元路や黄道周などは国に殉じて高士とよばれたが、王鐸は要職にありながら、敵に降って優遇されたため、弐臣(じしん)とよばれて白眼視された。しかし、王鐸の学問人物が優れ、清朝の強い要求があったのが清に仕えた理由といわれる。
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