常識と非常識(魯迅の顔)
産経新聞「トルコ成長への玄関口」(2012年7月28日付)の記事の中で「首都イスタンブール」という大きな誤記があった。もちろんトルコの首都はアンカラである。世界の主な国の首都は義務教育レベルの常識。常識の範囲をあれこれ考える。ウメ、ボタン、サクラなど花の名前。ツバメ、スズメなど鳥の名前。最近ではパソコンやスマホの使い方。お焼香など冠婚葬祭や市役所への転入・転出など諸届。
現代を生きる我々にとって何が常識で、何が非常識であるか区別するのは難しい。アメリカ人からみると、ある英会話のできる日本人が「わきの下」を表現できないのを不思議がっていた。(わきの下 armpit)。身近な事柄や日常よく使われる言葉を徹底的に身つけることだろう。わたしも長い間、知らなかったことがある。石油や天然ガスなどを運ぶ管路「パイプライン」。なぜベンチャーズのテケテケサウンドなのか。サーファーたちが使うあの波の形状が水のトンネル、つまりパイプラインなのだ。
昨夜、クイズ番組「Qさま!学力王」を見る。問題の傾向は中学生程度の学習、国語、社会、理科、数学、からの内容が多い。ところが文化人、教養人といわれる学者・タレントがなかなか答えられない。視聴者はわかるのにどうして先生が知らないの?と思うことが多々あった。あくまでお遊びなのであまりこだわらないか…。一例では、夏目漱石、スターリン、魯迅といった鬚の肖像写真を並べて誰かを問うもの。あの言語学者の金田一秀穂は中国近代文学うみの親として尊敬されている魯迅を答えられなかった。父は金田一春彦、祖父は金田一京助という学者の家系である。現代の教養人とはその程度なのか。もちろん金田一さんの場合は明らかに「ど忘れ」だが。
ここで魯迅のことは、現在、中学校の教科書で取り扱っているのか調べてみたい。残念ながらは手元に新しい教科書がない。1976年頃の学校図書株式会社の「中学校社会 歴史」には次のように解説している。「魯迅は、日露戦争のころ日本で医学を学んでいたが、これをすてて帰国した。そして、民衆の立場に立った文学作品を発表し、中国の青年に大きな影響をあたえた。「阿Q正伝」「藤野先生」をはじめ、著作が多い。」
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