テネシー・ワルツ
久保智恵美(後の江利チエミ)は、駐留軍のキャンプ巡りでドリス・デイやローズマリー・クルーニーの持ち歌を歌って「エリー」の愛称で人気があった。ある日、進駐軍兵士ケネス・ボイドから「テネシー・ワルツ」のレコードをもらった。チエミはすぐに聞いて覚えた。だがレコード各社のテストを受けたが次々に落ちる。昭和26年、キングレコードのディレクター和田寿三や牧野剛は「テネシー・ワルツ」を聞いて衝撃を感じた。そのとき米軍キャンプショーで「テネシー・ワルツ」をレパートリーにしていたチエミは、すでに独自の日本語で歌う試みをしていた。その詞を下敷きにして、和田が音羽たかし、というペンネームで日本語歌詞を作り直した。「14歳の天才ジャズシンガー誕生」というキャッチフレーズで売出されたレコードは、発売2年間で40万枚という大ヒットになった。
「テネシー・ワルツ」はアコーディオン奏者であり、カントリー・バンドのリーダーでもあるピー・ウィー・キングが1946年に作曲した曲に、歌手レッド・スチュワートが詞をつけ、1948年にレコーディングしたカントリー・ソング。1950年にパティ・ペイジが歌って大ヒットした。恋人と「テネシー・ワルツ」を踊ったとき、友人に恋人を紹介したが、その友人が恋人を私から奪ってしまったという悲しい歌である。チエミがGIから贈られたレコードはジョー・スタッフォードとP・W・キングの「テネシー・ワルツ」だといわれる。
この「テネシー・ワルツ」はのちに州歌にもなったが、ナッシュビルはカントリー・アンド・ウェスタン、メンフィスはブルースと、テネシー州はアメリカ音楽の盛んな土地柄でもある。江利チエミはNHKの紅白歌合戦に16回も出場しているが、なぜか代表曲である「テネシー・ワルツ」を1度も歌っていない。(Jo Stafford)
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