プチャーチンの来航
嘉永6年6月のペリー来航に続いて、7月18日にはロシアの極東艦隊司令長官プチャーチン(1803-1883)が、4隻の軍艦を率いて長崎港にはいり、開国を要求してきた。要求を拒否されてプチャーチンは、いったん上海に引きあげたが、12月には、ふたたび長崎にきて、川路聖謨、筒井政憲と会談した。安政元年11月、地震が発生し下田に停泊していたディアナ号は沈没した。しかしプチャーチンは粘り強い外交交渉を続け、12月には日露和親条約締結に成功した。野蛮なペリーよりも、礼儀正しいプチャーチンのほうが幕府高官の受けもよく、プチャーチンは日本人が一番好きなロシア人といわれる。(Putyatin,Putjatin)
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