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渡部昇一の「知的生活の方法」(昭和51年)という本がある。まだインターネットもパソコンのない時代なので、データの整理技術など今読んでもあまり役立つ内容ではないかもしれない。だが読書の技術とか書斎の整え方とか結婚生活に至るまで言及しており読むとなかなか面白い。つまりは知的生活が内面の充実に役立つというのである。
渡部昇一にしても林望にしても「本は買うべし」「研究費を惜しむな」「身銭を切れ」という意見の識者は多い。その根拠は、本を買うのは結局時間の節約になるからだというのだ。借りた本は、赤線をひいて自分の手許に置くわけにいかない。借りた本は返さねばならず、要るときは手許にないから、要点をカードに取るとかノートに書くことになり時間と労力がいる。むしろアルバイトをして本を買うほうが、図書館から借りるより、結局は時間の節約になる。「時は金なり」の裏返しで「金は時なり」ということである。実際に自宅に膨大な書斎を持つことで徳富蘇峰も大宅壮一もジャーナリズムの雄となった。小説家にしても松本清張や司馬遼太郎の蔵書をみればわかるであろう。若い日、箕面にあるケペルの恩師の家を訪ねた時もその蔵書の多さに驚かされた。ただケペルは図書館人なのでベンジャミン・フランクリン以来の合理的な考え方には賛成で、万人がいつでも利用できるような公共図書館をもっと充実させることが重要であるということを主張してきたし、この考え方は今後も基本的には変わらない。よく「蔵書一代」といわれるが、ひとりの人がどんなに本を買い集めたところで10万冊を超えることはまずない。一般人の蔵書家で多くても1万冊前後、学者や著名な作家でも3万冊を超えることはない。故人が生前のときはその本はなるほど生かされるであろうが、おそらく遺族たちにとって何の関心もない古色蒼然たる本は邪魔な物であろう。
ただし一般人が3000冊あるいは5000冊前後の蔵書を有することは知的生産において武器になるという渡部昇一の説はまことにそのとおりである。図書館利用者で新刊書を毎日10冊くらいリクエストして、延滞して、督促を受け、また予約して、常に100冊くらい借りて、やはり読みきれない人がいる。時間と労力を費やしてあまり知性を磨くことに役立っていない。おそらく前に借りた本の書名も著書名も覚えいないだろうし、内容も身についていないだろう。ブックオフで新書100円の本を一冊買って、赤線引いて、精読する。それが100冊たまってNDCの分類順に並べて、毎日本の背を見て暮らす。ある時、論文やレポートを書く必要がでたとき、「その事柄はああ本書いてあった」と思い出し、書架から取り出し参考文献とする。お金が無いなら無料のPR雑誌を書店で集める。岩波書店の「図書」とか講談社の「本」とか新潮社の「波」とか、なかなか面白い記事がある。毎月、一読しておけば、いざというとき思い出せば役立つ記事も多い。インターネットの時代であっても、紙媒体の資料はなによりも読書という内面の充実を図ることに最適なので、自分流の書斎、あるいは自分のコレクションを構築されることは教養を高めるうえで効果的である。図書館利用は自分が所蔵できない高価な本とか入手不可能な学術書とか(いまは図書館間の相互協力サービスがあるので基本的にはなんでも最寄の図書館で取り寄せてもらえるはずである)補完的な利用の仕方にして、基本はまず自分の書斎を充実していくことが成功への近道であろう。もちろうこのような話はある程度生涯にわたって高いレベルでの知的生産をしていこうとしていく方への技術論であって、たんに暇つぶしの軽読書で十分という方は書斎は無用であり、図書館利用をフルに活用されることをオススメする。
日活「どじょっこの歌」(1961)は何度か見たが、浅丘ルリ子の代表作だと思う。戦災孤児の芹沢浩子(浅丘)は教会の付属の保育園で働いている。近所の病院の息子、吉見高行(高橋英樹)は大学へ行く途中に浩子が歌う「どじょっこふなっこ」を聞く。やがて2人は愛し合う。だが身分の違いで親に反対される。国会議事堂前のデモに参加した高行をテレビで見た浩子は、駆けつけて警察に留置される。やがてクリスマスの日に2人は再会するが、浩子には難病が襲ってくる。まるで韓国ドラマの純愛の原型ともいえる大時代のシロモノだが、ヒロインの圧倒的可憐さに驚嘆する。高橋とは4歳も年上ながら、浅丘は純愛ドラマのヒロインを完璧に演じている。これほど薄幸で可憐なヒロインは「哀愁」のマイラに比すべきものであろう。浅丘の魅力は明眸もさることながら、細身からでる声質の美しさもあげられる。この映画が結婚前の純潔をテーマとした純愛映画とするならば、「泪壷」(2008)は官能シーンはあるものの現代の男女の純愛といえる。音楽講師の朋代(小島可奈子)は父と2人で田舎で暮らしている。癌に冒された妹の愁子(佐藤藍子)を東京に見舞うが、ついに死ぬ。愁子の夫・雄介(いしだ壱成)は妹の遺言により、骨で壷をつくる。むかしから朋代は雄介が好きだったが、思いを告げられない。幾人の男とセックスを交わすが、みたされずに走る出す朋代だった。ようやく朋代と雄介が結ばれたとき、交通事故で朋代は不慮の死をとげる。恋愛や生きることに不器用な現代の男女をリリカルに描く。これも現代の純愛のかたちといえる。
王道ラブストリーを純愛のかたちでいくつかに分類することができる。「哀愁」や「君の名は」はすれちがいものの典型といえる。古今東西むかしから「椿姫」や「世界の中心で、愛をさけぶ」や「愛と死をみつめて」「ある愛の詩」など難病ものが紅涙をさそう。広瀬すず「四月は君の嘘」も洋画「ラストコンサート」をモチーフにしているみたいだ。戦時下ものは「カサブランカ」。パニックものは「タイタニック」。格差恋愛は「ローマの休日」「プリティ・ウーマン」。遠距離恋愛は「ハナミズキ」。不倫物は「逢びき」「昼顔」。SFファンタジーは「時をかける少女」。古い因習や純潔で苦しむ社会派青春劇は「草原の輝き」。出生の秘密は「冬のソナタ」「ごめん、愛してる」。韓国映画「ただ君だけ」(ソ・ジソブ、ハン・ヒョズ)はチャップリンの「街の灯」。
茶釜の湯の沸き具合を湯相(ゆあい)といい、5つの状態に分けられる。蚯音(きゅうおん)とはミミズの泣く音。蟹眼(かいがん)とはカニの目のような小さな泡がたつ状態。連珠(れんじゅ)湧き水のように泡が連なって湧き上がるる状態。魚目(ぎょもく)魚の目のような大きな泡がたつ状態。松風(しょうふう)松籟とも言い釜がシュンシュンと鳴る音。松風がお茶に一番良いとされる。ちなみに現在日常に飲まれるお茶はその種類によっておいしい温度は異なる。
1352年のこの日、室町幕府 が近江・美濃・尾張で「半済令」を施行する。半済(はんぜい)とは、荘園年貢の半分を、荘園領主以外のものに納めることをいう。南北朝・室町時代に、室町幕府や守護大名によってさかんに行われた。この時代には、半済のほかに、三分一済、四分一済、五分一済などという言葉もあり、それぞれ荘園年貢が武家方に納めさせられることもあった。半済の実施は、すでに前代鎌倉末期に、和与中分・下地中分などによって、自分の所領の半分を失った荘園領主にとっては、一大脅威であった。ようやく確保しえた所領の半分のそのまた半分、つまり初めからすると4分の3の所領と荘園年貢を失うことになるのであるから、荘園領主にとっては、半済の実施はまさに死活の問題であった。もともと半済は、南北朝内乱期に室町幕府が、その戦費としての兵糧料や、配下の武将への恩賞の対象として、臨時に措置した便法であったが、ひとたび半済が行われると、各地の武将はかってに半済を強行した。彼らは半済どころか、寺社本所領そのものまでも押領するという状況であったので、室町幕府は、しばしば半済停止令や本所領押領の禁止令を出した。しかし幕府自身もその財源確保のため、半済を法文化する必要にせまられた。1352年の追加法は、幕府が半済の施行範囲を明示した最初の法令であった。この年、全国的な争乱(観応の擾乱)が続いており、軍費・兵糧調達のため、近江以下8ヵ国に半済実施を命じている。さらに義満が将軍に就任した1368年、幕府はさらに一歩をすすめて、皇室領・摂関家渡領・寺社一円所領への半済は禁止したが、そのほかの諸国の本所領への半済は、これを暫定的に認めた。以後この法令は、幕府によって引きつづき施行されている。応仁文明の大乱期には、半済はさらに守護大名によって、皇室領・寺社本所領の差別なく、一国平均の課役として強行された。こうして半済は、荘園体制を切りくずす一役をになう結果となった。(参考:杉山博「世界大百科事典」)7月24日
「赤と黒」(1830年出版)は、スタンダールの故郷グルノーブルに近いある村で実際に起こった犯罪にそのまま題材を得ている。1827年7月22日、アントワーヌ・ベルテという青年は、家庭教師先の夫人や娘を誘惑し、最後にその夫人を狙撃して死刑になった。
なお、「赤と黒」という風変わりな題名については、出版当時からさまざまな解釈が行なわれ、運命が赤か黒かによって決定されるルーレットに人生をたとえたのだとする説もあるが、ポール・ブールジェのいうように、「赤」は軍服、「黒」は僧衣を象徴し、それらによってナポレオン没落後、武勲による立身の希望を失ったフランスの貧しい青年が、いかにして社会に進出せんとしたか、を示したものと今日では一般的に解釈されているようである。スタンダール自信の残したノートによると「赤」は共和主義者を意味したらしい。後に書いた未完小説「リュシアン・ルーヴェン」(1835年)を「赤と白」と題しようとしたことがあり、そのとき「赤」をもって共和派のリュシアンを、「白」をもって王党派のシャストレ夫人を示すつもりだった。このことからも、赤はジュリアンの共和主義精神を、黒は僧侶階級を示していると見ることが妥当であろう。
深夜の再放送での「忘却のサチコ」の中の一コマ。会社の上司に注意された小林くん。「検索して調べてもわからない事柄を図書館や本で調べたりするのって、時間の無駄じゃないですか」と。一理あるものの遠慮せずにわからなければ図書館に問い合わせしよう。図書館のレファレンスのなかで故事成句、名言俚諺、人生訓、ことわざ、語句に関する問い合わせは頻度が高い質問である。
たとえば「春宵一刻値千金」(蘇軾)や「春眠暁を覚えず」(孟浩然)などの出典を問われれば、得意の巻きだが、意外と月並みな文句や書道で使われる語句や掛け軸などの意味を聞かれると少し難儀する。インターネットのない時代に東西の名言を調べることは、かなり時間を要することである。
「松柏千年翠」という意味を問われたことがある。元は「松柏千年青。不入時人意。牡丹一日紅。満城公子酔」(続傳燈録巻35)にある。意訳すると「松柏はいつも青く、その為に人は心を打たれないが、命短い牡丹の紅い花は人の心を陶酔させる」とある。禅の世界では、永遠に変わらない松柏の青を重んじている。転じて「今昔を問わず真理は変わることなく我々を照らし続けている」という意味。
都都逸に「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」がある。元々は講談「梁川庄八」に「犬に食われて死んじまえ」とある。
高山樗牛の名言「天にあっては星、地にあっては花、人にあっては愛、これ世に美しきものの最ならずや」。
東洋の名言。「沈黙しているときに私は充実を覚える。口を開こうとするとたちまち空虚を感じる」(魯迅)。
西洋の名言といえば、筆頭にブレーズ・パスカルの「人間はこのうえなくか弱い一本の葦にすぎない。しかし人間は考える葦である」がよく知られる。パスカルの言葉としては他に「人からよくいわれたいと願うなら、自分の優れた点をあまりならべ立てないことである」もあるが、あまり知られていない。現代の哲学者の言葉にも優れたものがある。「我々は、いつも過渡期に、時代と時代との間に生きている」(「世界と世界史」) カール・レーヴィット(1897-1973)、「ひとは女に生まれるのではない。女になるのだ」ボーヴォワール(1908-1986)。「私は私自身の証人である」サン・テグジュペリ。「幸福とは幸福をさがすことである」ジュール・ルナール。
故事成語・寓話・小話(明解シリーズ29) 西谷元夫 有朋堂 1984
故事成語名言大辞典 鎌田正、米山寅太郎著 大修館書店 1988
中国の故事・名言ものしり事典 村松瑛 大和出版 1988
故事成語 講談社現代新書1074 合山究 講談社 1991
九(いちじく)、十八女(さかり)、九十九(つくも)、小鳥遊(たかなし)、一口(いもあらい)、四十物(あいもの)、畔蒜(あびる)。世の中は広く、意外な奇名・珍名の人がいる。モデルの尻無浜冴美。「しなはま」と読む。鹿児島県阿久根市に多い苗字だそうだ。 ラクビ―の五郎丸歩。サッカーの手倉森誠。プロ野球を見ていると珍しい名字の選手がいる。横浜の筒香(つつごう)、西武の十亀(とがめ)。家具店のニトリ、創業者の苗字は似鳥。下條アトムは芸名ではなく本名である。下條アトムが生まれたのは「鉄腕アトム」が連載開始よりも前である。また、ウランという名前の女の子(しかも彼女の苗字は「賀来」であり、字を変えれば「核ウラン」)が偶然にも下條の小学校時代の同級生におり、NHKの「私の秘密」に2人が出演している。「読めない漢字の読本」(小学館)に「日本人の姓氏」がのっている。四十物(あいもの)、安形(あがた)、圷(あくつ)、足助(あすけ)、女部田(うえだ)、雨車(うるま)、興梠(こうろぎ)、躑躅森(つつじもり)、五月女(そおとめ)、八月朔日(ほづみ)、四月一日(わたぬき)。
「一尺二寸五分」。この名字、何と読むか分かりますか?答えは「かまつか」。由来は、源平合戦で敗れた平家の落ち武者である「鎌塚(かまつか)」という者が、名字がわかると親族が狙われることから、わみはそのままで鎌の柄(つか)の長さにしたそうです。
日本一長い名前は園芸研究家、小笠原左衛門尉亮軒(おがさわら・さえもんのじょうりょうけん)。
毎日新聞社の「雑学事典」に面白い珍名が載っている。40年以上も前の本だがけっこう貴重な記述である。「東京浅草に住む宮本武蔵がテレビに登場したと思ったら、新宿の佐々木小次郎も名乗りをあげた。以下、実在の人物を紹介する。左行規則=サギョウヨシノリと読む。長崎の弁護士さん。石倉金庫=金貸しではない。中等教員合格者である。留守勝=うっかり表札なんか出しておくと、コソ泥に狙われそう。名古屋の国鉄職員。行方不明=どういたしまして、東京は神田の生まれ。執行猶予=れっきとした裁判所の判事さん。北海道庁=やっぱり北海道に住んでいる。千葉太郎=文字どおり千葉に住んでいる。無敵達人=武蔵さんも小次郎さんも、これにはかないそうにもない。佐賀県人。佐々木正月十三日=ササキマツキトサヒと読む。倅の生年月日を忘れぬために命名したらしい。宮城県在住。一二三四五六=ヒフミシゴロクと読む。某生命保険の加入者名簿にのっている。日本国民=ヤマトクニオウと読む。甲府の農家の人。仕入安=易者にみてもらったら、商売をやるとよろしいなんていうかも。千葉県市川市在住。六間間口=さぞや大きな家に住んでいることであろう。大阪市港区の人。三国一=おおむこうから声がかかりそう。彦根市にいる。富士山=鎌倉市在住。佐藤藤佐(1894-1985)=サトウトウスケと読む。逆立ちしても同じ。ご存知、元検事総長である。外国人名では、ショーン・オチンコ、フランク・マンコビッチ、モブツ・セセ・セコ(コンゴ民主共和国の大統領)など。参考:「難読稀姓辞典」高信幸男編
1870年9月19日、戸籍整理のため、平民も苗字を名乗ることが許された。しかし当時国民は明治新政府を信用しておらず、苗字を附けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、なかなか苗字を名乗ろうとしなかった。しかし5年後の1875年2月には苗字を称することが義務づけられるようになった。
山口さん、宮崎さん、千葉さんのように、47都道府県名と同姓のなかで、苗字として存在しないのは、愛媛さん、沖縄さんの2つ。北海道は北海さん、大分さん、東京さんは稀姓。いま岸和田市に在住する東京さんのご先祖は江戸久米吉という名前であったが、そのルーツは江戸が東京と改称されるとき自分の苗字を東京と改名したらしい。
日本人の苗字の数はおよそ29万件もあり、その種類の豊富さでは世界一であろう。したがって稀姓も多い。躑躅森(つつじもり)、雲類鷲(うるわし)、鷦鷯(ささき)などなど。連続クイズホールドオンを見ていると、ヨガ講師の大豆生田範子さんがチャンピオンで登場。漢字四文字の苗字は珍しい。「おおまみゅうだ」と読むのだろうか。金田一春彦によると、日本語で「みゅ」という発音が現れる苗字は珍しいという。司会の山口智充は「おおまみえだ」と発音していた。読み方は27通りもあるという。
難読苗字の代表といえば「小鳥遊」。「たかなし」と読む。意味は、小鳥が遊ぶ→天敵(鷹)がいない→たかなし。むかし信濃国の高梨盛光が、長男に高梨、次男に鳥梨、三男に小鳥梨、四男に仁科の姓を与えたことに由来する。「月見里」。「やまなし」と読む。月が見える里→山が無い。「愛宕」は愛宕神社などあり、ふつう「あたご」と読まれる。だが元朝史などで知られる愛宕松男(1912-2004)は「おたぎまつお」と読む。「纐纈」ふつう「こうけつ」と読む。
ちなみに同姓同名はサトウ・ケイコが約22,000人でいちばん多い。漢字フルネームでは「田中実」が一番多い。
苗字は家系を示すものでもある。岩手県岩泉町で台風10号の被害の視察で内閣府の政務官が長靴を持参しておらず、同行者に「おんぶ」されて水たまりを渡ったことが話題となった。その政務官の名前は務台俊介。「むたい」という苗字は珍しいが哲学者の務台理作を思い出す。務台俊介の出身地も長野県なので一族とみてよい。(9月19日)
「孑」
「子」によく似ているが異なる。音読みで「ケツ」。「ひとり」という意味がある。熟語「孑然」(けつぜん)孤独のさま。地名「伊孑志(いそし)」宝塚市の町名。「孑孑」を「ぼうふら」と読む。
スイスの科学者フランソワ・アルフォンス・フォーレル(1841-1912、画像)はレマン湖を調査し、「レマン湖の陸水学的研究」「湖沼学教科書」を著し、近代科学としての湖沼学を開拓した。その後ドイツのアウグスト・ティーネマン(1882-1960)、スウェーデンのアイナル・ナイマン(1891-1934)によって体系づけられた。面積第1位のカスピ海は、日本の国土面積とほぼ同じ広さ。カスピ海は湾岸地域に次ぐ有望な油田地帯でもある。スペリオル湖(アメリカ、カナダ)、ヴィクトリア湖(タンザニア・ウガンダ・ケニア)、ヒューロン湖(アメリカ、カナダ)、ミシガン湖(アメリカ)、タンガニーカ湖(タンザニア・コンゴ)、バイカル湖(ロシア)、グレート・ベア湖(カナダ)、グレート・スレーヴ湖(カナダ)、エリー湖(アメリカ)、ウィニペグ湖(カナダ)、マラウイ湖(マラウイ・モザンビーク)、オンタリオ湖(アメリカ、カナダ)、ラドガ湖(ロシア)、マラカイボ湖(ベネズエラ)、パトス湖(ブラジル)、オネガ湖(ロシア)、トゥルカナ湖(ケニア・エチオピア)、ティティカカ湖(ペルー・ボリビア)、ニカラグア湖(ニカラグア)、アラル海(ロシア・ウズベキスタン)、チャド湖(チャド)、バルハシ湖(ロシア)。
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久保智恵美(後の江利チエミ)は、駐留軍のキャンプ巡りでドリス・デイやローズマリー・クルーニーの持ち歌を歌って「エリー」の愛称で人気があった。ある日、進駐軍兵士ケネス・ボイドから「テネシー・ワルツ」のレコードをもらった。チエミはすぐに聞いて覚えた。だがレコード各社のテストを受けたが次々に落ちる。昭和26年、キングレコードのディレクター和田寿三や牧野剛は「テネシー・ワルツ」を聞いて衝撃を感じた。そのとき米軍キャンプショーで「テネシー・ワルツ」をレパートリーにしていたチエミは、すでに独自の日本語で歌う試みをしていた。その詞を下敷きにして、和田が音羽たかし、というペンネームで日本語歌詞を作り直した。「14歳の天才ジャズシンガー誕生」というキャッチフレーズで売出されたレコードは、発売2年間で40万枚という大ヒットになった。
「テネシー・ワルツ」はアコーディオン奏者であり、カントリー・バンドのリーダーでもあるピー・ウィー・キングが1946年に作曲した曲に、歌手レッド・スチュワートが詞をつけ、1948年にレコーディングしたカントリー・ソング。1950年にパティ・ペイジが歌って大ヒットした。恋人と「テネシー・ワルツ」を踊ったとき、友人に恋人を紹介したが、その友人が恋人を私から奪ってしまったという悲しい歌である。チエミがGIから贈られたレコードはジョー・スタッフォードとP・W・キングの「テネシー・ワルツ」だといわれる。
この「テネシー・ワルツ」はのちに州歌にもなったが、ナッシュビルはカントリー・アンド・ウェスタン、メンフィスはブルースと、テネシー州はアメリカ音楽の盛んな土地柄でもある。江利チエミはNHKの紅白歌合戦に16回も出場しているが、なぜか代表曲である「テネシー・ワルツ」を1度も歌っていない。(Jo Stafford)
晴れ祈願のお地蔵さんとして知られる奈良県五條市の生蓮寺はコロナ退散を願う「てるてる坊主」を募集したところ、全国から1000体以上が贈られた。なかには疫病退治に利く妖怪アマビエのてるてる坊主もある。ところで軒先に吊るして晴天を祈る「てるてる坊主」の風習はいつ頃から始まったのか。坊主というからには、疑いもなく男性がモデルだと思ってしまうが、由来を調べると、じつは女性である。中国では揚子江に伝わる伝承に、白い首、紅と緑の着物、ほうきを持った掃晴娘(サオチンニャン)というお人形を軒につるしてお天気を祈ったことから始まる。それが日本へ伝わる。奈良時代とも平安時代ともいわれるが、文献として明らかになるのは江戸時代中期から。この頃は現在と異なり折り紙のように折って作られるもので、より人間に近い形をしており、その形代を半分に切ったり、逆さに吊るして祈願した。「嬉遊笑覧」(1830年)には、晴天になった後は、瞳を書き入れて神酒を供え、川に流すと記している。現在のような、白い紙や布にくるんだ人形になったのは明治になってからのことかもしれない。
1886年の今日、日本標準時(JST)明石市を通る「東経135度」子午線が定められた。(7月13日)
魏・呉・蜀のうち北中国を統一したのは魏である。しかし魏の文帝が在位7年で死去したあと、後継の座についた明帝は、晩年、奢侈に溺れ失政が目立つようになった頃から、衰えはじめた。明帝には子供がなく、重臣間の闘争が激化し、249年に司馬氏一族が権力を握った。この時代に老荘思想の無為自然をモットーに、酒や詩を愛した文人たちを竹林の七賢と呼ばれる。阮籍、稽康、山濤、劉怜、阮咸、向秀、王戎の七人をいう。権力者に対する抵抗であった。もっともこの7人が実際にグループを組んで活動したわけではなく、7人を一括りにすることを好む後世の人が作り上げた架空のグループといわれている.アフターコロナの新しい生活様式は特別な思想的なものがあるのではなく、政治的なうさんくさい臭いがする。マスコミに便乗して「新しい生活様式」を連呼する無思想ぶりが哀しい。
エカテリーナ2世(在位1762-96)は、元来ドイツ人で1754年にピョートル3世と結婚しギリシア正教に改宗したが、近衛連隊のオルロフ一派とむすびクーデターをおこして、夫を殺害し自ら帝位につく。彼女は、口に「法治国家」と「人道主義」を唱え、啓蒙専制君主と呼ばれるにふさわしいかのようにみえる。だが、彼女の治世に、貴族の特権はますます拡大され、農民たちは貴族の奴隷に等しい地位につきおとされてしまう。フランス革命の影響も加わって、彼女の治世に反動体制はいっそう強化された。
34年間にわたる治世を通じて、彼女は農奴制の強化につとめ、農奴制貴族国家の最盛期を現出した。「農奴を徒刑にする権利の地主への賦与」(1765)、「農奴が地主を告訴することを禁止」(1767)などの政策を遂行、1767年法典編纂委員会を召集、若干の行政上の改革により絶対王政の強化を行おうとした。農奴への圧迫はブガチョフ指導下の農民戦争(1773-75)を惹起する。対外的にはポーランド分割を行い、露土戦争(1768-74、89-92)でクリミア半島を占有してセバストポール軍港を築き、黒海への出口を開いた。東方では、アラスカ・千島の大部分を占領し、1792年には日本にもラクスマンを派遣して通商を求めた。また、フランス革命の進展と新思想の普及には敵意を示し、ラジシチェフ、ノヴィコフらの進歩主義者を迫害した。
英語百科事典でいちばん最後に出てくる項目は何か?英和辞典には「ZZZ」ぐーぐー(いびきの音)、ぶんぶん(ハチなどの羽音)、とある。フランス語「ジェット(zut)」は「ばか!畜生!うるさい」の意味。ドイツ語「ツュークロトローン(Zyklotron)」はサイクロトロン(粒子加速器)。ドイツ語「zwischen dem Easen」は医学用語で食間。
zygote ザイゴート。接合子。精子が卵子に受精すると生じる新しい細胞。
zymogen チモーゲン。生化学酵素原。
Zyryaka ズイリャンカ ロシア東部の港町。
zwieback ズワイバック。卵入りラスクの一種。
Zwichau ツヴィッカウ。ドイツ・ザクセン州にある町。シューマンの生誕地として有名。
Zwingli ツヴィングリ。スイスの宗教改革者。
ちなみに日本語「ん」「吽」では、カメルーンの郷土料理「ンドンバ」や沖縄の祭り「ンナフカ」など。
Ndebele ンデベレ(言語)
N'Djamena ンジャメナ(チャドの首都)
Ngah ンガー(チベットの太鼓)
Ngorongoro ンゴロンゴロ(タンザニアの保全地区)
Ngurah Rai ングラ・ライ(インドネシアの独立運動家)
映画「ゼブラヘッド」(アンソニー・ドレイザン監督、1992年)はアメリカの公立高校を舞台にした物語。ユダヤ系の高校生ザックは、転校生の黒人少女ニッキーと恋に落ちるが、周囲はふたりに冷たい反応をしめす。28年前の映画だが、アメリカの人種問題が浮き彫りにされている。人種問題は1960年代に黒人が市民権を得たことで解決したと思いこんでいるかもしれない。また白人と黒人との問題と考えるかもしれない。ところが実際のアメリカ社会はあらゆる国から移民が来た国だけに人種問題は複雑で根が深い。アメリカでは経済的余裕のある親は私立学校に行かせ、公立学校には貧困層の子どもたちが集る。黒人、ヒスパニック系、アジア系、、それにプア・ホワイトと呼ばれる労働者階級のイタリア系の学生というような状況になる。こうした学校では暴力、ドラッグ、アルコールなどの問題があり、悪循環はいまも続いている。ユダヤ人が差別されるのは彼らが宗教的伝統を守っていて「自分たちは神に選ばれた民族である」という信念があり、長い歴史のなかで他の民族から嫌われてきたという経緯があり、それが今でも偏見として根強く残っている。例えば女優のバーバラ・ストライサンドでさえ、ニューヨークの一等地のアパートを買おうとした時、ユダヤ人であることを理由に断われたことがある。ゼブラヘッドとは、人種の違うカップルを指す言葉で、白黒のシマ馬のように、白人と黒人のカップルをいう。このユダヤ系アメリカ人の心のうちにある内部相克は、現代のアメリカ紗かいを支配するWASP体制の厚い壁を前にして、さらに激しいものとなる。つまり、アメリカ社会に完全に同化してWASP体制のもとで「エスタプリッシュメント」の一員にもぐり込むか、あるいは外から体制変革の運動を起こすかの二者択一を迫る。エスタブリッシュメントの起源は本来イギリス時代にあり、Pilgrimfathersによって形成されたと考えられる。
写真を撮るときの掛け声は日本では、「ハイ!チーズ!」だが、韓国では「ハイ!キムチ!」なんだそうだ。「キムチ」と言うと、口角がキュッと上がって、自然と笑顔になる。ところでキムチは、中国から伝わった、野菜を塩で漬ける漬物(ソ)が原型といわれる。塩漬けの野菜が汁の中に沈んでいることから、「沈菜(チムチェ)」と呼ばれ、それが、ティムチェ→チムチ→キムチと変化していった。2000年前にはキムチの原型は存在していたが、その頃のキムチには唐辛子を使っていなかった。ポルトガルから鉄砲とともに日本に伝来した唐辛子は、豊臣秀吉のころ日本から韓国に伝わった。キムチに唐辛子を使うと、腐りにくく、原料に使うアミ塩などの魚の生臭さが消えるので、最適だった。サッカーのマラドーナは「キムチばかり食べるとあんな馬鹿になるのか」と悪口を言っている。世界各国では、チーズではなく、なす(中国)、ポテト(スペイン)、オムレツ(スウェーデン)、ウィスキー(メキシコ)などさまざである。
韓国民族文化大百科事典 全28巻 韓国精神文化研究院
朝鮮大百科事典 全30巻
キムチ百科事典
タバコはいつの間にか悪の代名詞になったが、16世紀、宮廷では薬として用いられていた。1559年リスボンでフランスの駐ポルトガル大使ジャン・ニコが、フロリダから伝わったタバコの種子と粉末状の葉を入手し、母国の皇太后カトリーヌ・ド・メディシスに献呈した。タバコを贈られた皇太后が、それを頭痛薬として用いたことによりフランスの宮廷で嗅ぎタバコが流行した。タバコに含まれる「ニコチン(nicotine)」という成分は、このジャン・ニコという人の名前からきている。しかし、「ニコ」はわかったが「チン」とは何か?当時フランスではタバコ種の草は、「ニコチアナ」と名付けられた。300年後、化学的な成分研究が進み、「ニコチアニン」が検出された。「チン」はcinあるいはthinで、赤チン、ズルチン、ゼラチン、オルニチンやコンドロイチン、アスタキサンチン、ケラチン、ムチンなどのように化学物質の成分名の語尾に付けられることが多いが、その意味は私にはよくわからない。チコちゃんに聞きたい。
女性アイドルグループ「欅坂46」。欅の字は難しい。平手友梨奈、長濱ねる、渡辺l梨加、渡邉理佐、志田愛佳、今泉佑唯・・・。メンバー全員の顔と名前が覚えられないが、21人で名が「〇子」は一人もいない。
欅
画数は21画。「学」という字の繁体字「學」に似ているが、少し違う。
こんな漢字もある。
輿
こし。「輿駕(よが)」天子の乗り物
黌
「まなびや」という意味。昌平黌(しょうへいこう)
爨
「飯をたく」という意味。「爨宝(さんぽう)」台所
鰑
「するめ」
拿捕
不審船を「だほ」する
粛
自粛って今年はよく言ってるけど、いざ書くと「粛」は書けない。「チコちゃんに叱られる」岡村、五木、若槻全滅。
Alamo
Brooklyn
Canterbury
Constitution
Denali
establishment
Gettysburg
independence
Manifest Destiny
Mephistopheles
Pentagon
Pilgrim Fathers
Watergate scandal
Zionism
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