韓信の股くぐり
韓信は若いとき、洗濯のおばさんからご飯をめぐまれたことのあるほど貧乏だったが、身長が高く長い剣をぶらさげていた。町の無頼漢どもがばかにしてからかっていった。「おい、貴様は強そうなかっこうをしているが、内心は臆病らしいな。くやしければおれを斬れ。斬れなければおれの股の下をくぐれ」
韓信は、「こんな男を相手にして争うのはばかばかしい」と思ったのか、そのまま四つんばいになって、股の下をくぐりぬけた。見物していた群衆は、あきれてしまい、「なんという弱虫だ」といって、声をそろえて笑った。のちに韓信は、蕭何に認められて、その推薦により、漢の劉邦の将軍となった。後に大功を立て、故郷に帰った時、「あの時我慢したおかげで今日の私があるのだ」と言った。いわゆる「韓信の股くぐり」「韓信、伏せて袴下より出ず」の故事は、「忍耐」「堪忍」の合言葉となり、日本では徳川家康の家訓と合致した。家康は「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」と言っている。江戸時代に流行った道歌には、
堪忍のなる堪忍は誰もする ならぬ堪忍するが堪忍
がある。浄瑠璃の「源氏大草紙」にも「韓信が股、漂母の食、みな堪忍を守りし故、人の鑑と言わるるぞ」とある。古川柳には「韓信に意地の悪いは屁をかがし」がある。「仮名手本忠臣蔵」には「神崎与五郎股くぐり」がある。ケペルが子供の頃に読んだ熱血柔道漫画「イナズマくん」(下山長平)にも、イナズマくんがチンピラにからまれて股をくぐる場面があった。つまり、日本人が大好きなエピソードである。近世の歌(都都逸)にも次のようなものもある。
韓信が股をくぐるも時世と時節 踏まれた草にも花が咲く
あるいは、
韓信が股をくぐった末見やしやんせ 踏まれた草にも花が咲く
韓信にはもう1つ有名なエピソードがある。漢の高祖の配下となった韓信は、牛の皮で作った紙鳶(大凧)を作り、体の軽い張良を乗せ、夜陰に紛れて天空から楚の思郷の曲を吹かしめた。それまでよく持ちこたえた項羽の楚軍も郷愁の念をもよおし、戦意を喪失し漢軍に敗北したという。(日下旧聞考)風力を利用して空に上がる道具、凧の歴史の古い例である。凧は平安時代に中国から伝えられ、初めは貴族や武士階級で行われたが、江戸時代から明治時代にかけて子供の正月遊びとして最もよく行われた。
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