アレキサンダー大王をめぐる女性
「英雄豪傑、色を好む」というが、世界帝国を一代で築いた英雄アレキサンダー大王の女性関係はどのようなものだったのだろうか。プルタークによれば、大王は「女性に関して誰もおよばないほど節制を守った」といっている。当時の一般の性道徳からいえば、たしかに彼は節制を守ったほうだったろう。結婚以前に彼の知った唯一の女性はバルシネだった。
アレキサンダー大王は前333年、イッソスの戦いでペルシアのダレイオス3世を破った。ペルシア王はからくも逃げたが、その母、妻、娘は捕虜となった。大王はその後、部下のパルメニオンにすすめられ、イッソスの戦いで捕虜にしたバクトリア太守のアルタバゾスの娘バルシネを愛人としている。彼女はのちに庶子ヘラクレス(前327-前309)をもうけている。
アレキサンダーの結婚はかなり遅く、前327年、29歳の時にバクトリア豪族オクシュアルテスの娘ロクサネと結婚する。プルタークは彼女のことをアレキサンダーが「愛情に負けた唯一の女」といっている。ロクサネはたいへん美しい女性だったらしい。スサでは大王以下マケドニア人1万人とペルシア婦人の婚礼をした。大王自身はペルシア王の娘スタテラーとバリュサティスと結婚している。そのあと大王は熱病のためBC323年6月10日、33歳で急逝した。この時、王妃ロクサネは妊娠中であり、愛人バルシネには庶子ヘラクレスがいた。間もなくロクサネに男の子が生まれた。これがアレキサンダー4世である。大王の死後、その大帝国は部下の将軍たちの奪いあうところとなった。彼らはそれぞれ大王の後継者(デイアドコイ)と称した。ロクサネ、バルシネは子供とともに殺され、アレキサンダー大王の血を引く者は前310年までに完全に絶えた。ちなみにオリバー・ストーン監督の「アレキサンダー」(2004年)では幕僚へファイスティオンとの関係を同性愛として描いており物議をかもしている。(AlexandrosⅢ)
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投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年6月10日 (月) 01時48分