ジュディとミッキー
レニー・ゼルウィガーが晩年のジュディー・ガーランドの伝記映画に主演し第92回アカデミー主演女優賞を受賞した。ジュディといえば「オズの魔法使い」をはじめ少女スターのイメージがあるが、ミッキー・ルーニーとの名コンビも人気が高い。残念ながら日米戦争時でほんとん日本公開はなかった。一方のミッキーは長生し2014年に93歳で死去した。身長160cmという短躯ながら1930年代から現在に至るまで長い俳優生活を続けるミッキー・ルーニーの人生はハリウッドの歴史そのものである。「逃亡者」第78話「過去の女」キンブルの雇主洗濯屋のチャーリー(ミッキー・ルーニー)はむかしノミ屋などをしたため、ギャングに命を狙われていた。彼は以前に別れたポーラを呼び寄せるが、彼女が殺し屋と組んでいることをギャングは知る。デビッド・ジャンセンとミッキー・ルーニー、2人の息があっている。それは境遇がにているからか。ドラマで追われる立場というだけでなく、実生活も両親が離婚し、小さいときにハリウッドの子役となった点だ。おそらく2人は昔からの顔馴染みだろう。デビッド・ジャンセンの少年時代の映画デビューは「燃える密林」(1946年)ジョニー・ワイズミュラーの映画だ。まだ16歳の少年だった。(よく調査するとソニア・ヘニー主演の映画1945年がデビュー)そのころミッキーはジュディー・ガーランドとの「アンディ・ハーディ」シリーズで人気青春スターだった。おそらくジャンセンとはMGMスタジオで会っているはず。まだなれない撮影所で10歳年長のミッキーはアレコレとジャンセンに陽気にはなしかけていただろう。ジャンセンの孤独な陰は実生活からにじみ出るものだろう。あまり気の進まぬ俳優稼業よりも、スポーツ選手になりたかったのだろう。「逃亡者」で少年野球を指導するシーンは実にうれしそうだった。だが、不運にも高校時代に棒高跳びの事故で足の怪我をした。その後遺症が残る。ドラマのシーンでもやや足をひきずり加減に走るのはそのためである。2人は映画「でっかい札束」(1961年)でも共演している。ジャンセンもルーニーも大金持ちになったが、なぜか家庭的な幸せには恵まれなかったように見えた。ジャンセンはエリ・グラハム、ダニー・クレインと結婚、晩年にローズマリー・フォーサイスと交際していた。ルーニーは何度も結婚と離婚をくりかえした。明るくやんちゃな「みんなの弟」ミッキー・ルーニーは永遠のアメリカ青年の象徴であった。
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コメント
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ミッキーは往年のアメリカファンなら誰しも知っている人ですね。(≧m≦)
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2014年4月 8日 (火) 05時16分