淀殿
1615年のこの日、淀殿(1567-1615)は豊臣秀頼と共に大坂夏の陣で自害した。本名は茶々。豊臣秀吉は、織田信長の妹で美貌のお市の方(小谷方)に、あこがれを抱き続けたが、立身出世しても彼女を自分のものにすることはできなかった。その彼女が北ノ庄落城に、再婚した柴田勝家と死ぬ際、わが娘三人を秀吉の陣営に送りとどけた。その長女を茶々といい、秀吉はこの長女を、お市の方の忘れ形見として大阪城において慈しみ、やがて側室とした。茶々は21歳ぐらいで懐妊し、淀城をもらったことから、淀の女房などと呼ばれ、秀吉の嫡子・鶴松を産んだが、その子はわずか数え三歳で死んだ。
秀吉はショックから、関白を甥の秀次に譲り、わが子はもう生まれまいと観念した。だが淀君は再び妊娠して、文禄2年8月、57歳の太閤に秀頼ができた。秀次に家督を譲った後悔から秀次事件が起きる。さらに秀頼を得て、傲慢になった淀殿とおねの対立は、秀吉の死後さらに激しくなり、豊臣家滅亡に拍車をかけた。石田光成らと結び、徳川家康と戦ったが、元和元年5月、淀殿は自害した。『翁草』の記述からは没年は49歳とされるが、兄弟姉妹の誕生年からみて、本当は1歳ほど若いとされる。淀殿の性格はドラマなどで誇張されることも多いが、神経過敏で、気位の高い女性であったといわれる。(5月8日)
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