珊瑚海海戦
開戦以来、緒戦に赫々たる戦果を収めた日本軍であったが、ニューギニアのポートモレスビーを攻略することが作戦上絶対に必要であった。MO作戦といい、日本海軍の指揮官は井上成美中将であった。昭和17年5月3日、海軍のツラギ攻略隊は占領に成功した。ところが、いち早く敵の察知するところとなり、5月7日、祥鳳が米艦載機の攻撃を受け撃沈される。祥鳳の沈没は日本空母としては初の損失である。5月8日、日本側の瑞鶴、翔鶴、米側のレキシントン、ヨークタウン、世界初の空母対空母の海戦となった。海戦の損害は、日本側は祥鳳・沈没、祥鶴・中破、艦載機81機喪失、米側は空母レキシントン、給油船ネオショー、駆逐艦シムス・沈没、空母ヨークタウン・中破、艦載機66機喪失。この戦いは戦術的に見れば日本側の勝利だが、戦略的に見ると翔鶴・瑞鶴がしばらく戦線に復帰できず、ポートモレスビー攻略も中止になったため、必ずしも日本が勝利したとはいえない。アメリカもこの海戦でレキシントンを失ったため、次のミッドウェー海戦で戦力を充分に発揮できるのは、エンタープライズとホーネットだけという苦境に立たされた。しかし損傷したヨークタウンは真珠湾に帰港し、日本側が3ヶ月かかるであろうと予測したが、不休の突貫工事で、ミッドウェー沖に出撃し活躍した。これがミッドウェーにおける日本の敗因の一つとなったとも言える。
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