ジョン・ブラウンの遺体は墓の下
ニューヨーク州ノース・エルバにあるジョン・ブラウン(奴隷解放運動家)の墓
南北戦争下、リンカンが招集した北軍の志願兵によって編成された部隊のひとつに「ボストン第2騎兵隊部隊」があった。その中にジョン・ブラウンという名前の3等軍曹がいた。このジョン・ブラウンは2年前に、絞首刑に処された奴隷解放廃止運動家と偶然に同姓同名だったが、2人は全くの赤の他人だった。ある日、ジョン・ブラウンの部隊は瓦礫除去の作業をしていたが、その作業中にある兵士が「おお兄弟達よ、我らに会わないか」(1856年作)のメロディーを口ずさんでいた。それを耳にしたジョン・ブラウンの同僚が即興にある歌詞をつけて歌いはじめた。Jhon Brown's body lies a moul dering in the grave~♪ ジョン・ブラウンの遺体は墓の下~。この替え歌はジョン・ブラウン3等軍曹をからかっているのだが、他の同僚も面白がってさらに、His soul's marching on!彼の魂は行進し続ける、と歌詞を続け、Jhon Brown's body の1番の歌詞が完成した。この替え歌は、さらに他の部隊に広められ人気を博した。数年後、ジュリア・ウォード・ハウによって修正され「リパブリック讃歌」(1862年)として発表されるや、直ちに北軍兵士の間で最も人気の高い歌となった。やがて世界中で様々な替歌がつくられる。「おたまじゃくしはカエルの子」や「「ごんべさんの赤ちゃん」「ともだち讃歌」。CMソング「ヨドバシカメラの歌」もその一つ。
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