1942年のこの日、女流歌人・与謝野晶子は家族や弟子らにみとられ、東京荻窪の自宅で没した。享年65歳だった。晶子の法名は「白桜院鳳翔耀大師」。同年9月に歌集が刊行され、法名にちなんで「白桜集」と名付けられた。晶子の忌日も「白桜忌」とも呼ばれる。
与謝野晶子と言えば日露戦争に出征した弟を思い、「君死にたまふこと勿れ」という反戦詩を書いたことで知られているが、実は時代の変化と共に天皇崇拝に傾倒し、戦争賛美を詠むようになっていく。
水軍の大尉となりて我が四郎 み軍にゆく猛く戦へ
「白桜集」に載せられた歌を詠んだ頃には、息子に「戦地へ行け」と詠って送り出す母になっている。(5月29日)
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