デ・ラ・メア「窓」
白い猿の兄弟ヤンボー(里見京子)、ニンボー(横山道代)、トンボー(黒柳徹子)が親と死に別れて力を合わせながら旅をする「ヤンボーニンボートンボー」というNHKラジオドラマがあった。この話は飯沢匡(1909-1994)が、ウォルター・デ・ラ・メア(1873-1956)の「サル王子の冒険」をヒントにして作ったといわれる。デ・ラ・メアには童謡や子供向けの詩も多いが、その内容には死や人生への深い思索を含んでいる。
デ・ラ・メアはイギリスのケント州チャールストンで1873年4月23日、ユグノーの子孫として生れた。母は詩人ロバート・ブラウニングの遠縁にあたる。4歳のとき父が亡くなったため、母から聞いたおとぎ話、伝説などによって大きな影響を受けた。ロンドンのセント・ポール校を卒業後、18年間石油会社の会計士をしていたが、1902年にウォルター・ラマルという筆名で詩集「幼時の歌」を出し文名を確立。続いて小説「ヘンリー・ブロックン」を出した。1908年、会社をやめ作家生活に専心するようになり、詩集「耳をすます人ら」(1912)「雑色その他」、小説「小人の思い出」(1921)、童話「三匹の猿王子」(1919)などを発表。「三匹の猿王子」はサム、シンプル、ノッドの三匹の猿が、父の国ティシュナーの谷まで苦難にみちた旅をする話で日本でも飯沢匡「サル王子の冒険」、脇明子「三匹の高貴な猿」など翻訳が出ている。他に「無常その他」「ヴェールその他」「旅人」(1946)「内なる仲間」「翼にのった馬車」(1951)「子どものための物語集」(1949年カーネギー賞)「くじゃくのパイ」(1913)などがある。1956年6月22日、逝去。
窓
ブラインドのかげにすわり
ぼくは見つめている
外を行きかう人びとを
通りすぎる人たちを
だれひとりとして気づかない
じっと見ているぼくの小さな目には
だれにも見えない
ぼくの小さな部屋は
ブラインド越しの太陽で
みんな黄色く見えるこの部屋は
だれも知らない
ぼくがここにいることさえも
だれも気づかない
ぼくがいなくなっても
*
かくれんぼ
かくれんぼしよう、と風がいう
森のこかげで
かくれんぼしよう、と月がいう
ハシバミの木の実に
かくれんぼしよう、と雲がいう
星から星へ
かくれんぼしよう、と彼がいう
港の砂州で
かくれんぼしよう、とぼくもいう
自分で自分にいってみて
目ざめの夢をあとにして
眠りの夢にすべりこむ
( Walter de la Mare )
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