唐の滅亡と黄巣の乱
山東省の黄巣は密売塩を扱って富裕となり、不満分子や無頼の徒養っていた。875年、王仙芝に呼応して挙兵、河南・山東地方を攻略した。王仙芝の死後はその軍を吸収して約10年間、四川以外のほとんど全中国を荒掠し、ついに880年、首都長安を占領。黄巣は帝位について国を大斉と号したが、反乱政権の統制はとれず、唐軍の反攻にあって長安を撤退、郷里をめざす途中、泰山で甥に首を斬らせて自害した。しかし、唐の崩壊はこの反乱で決定的なものとなり、907年に朱全忠が帝位につき、開封に都を定めて梁とした。これが後梁の太祖である。五代十国が始まる。
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