地名「別府」と「大分」の由来
「別府」という地名は、全国各地に大字、小字も数えると40ヶ所以上もあり、読み方も「べふ」「べぶ」「べっぷ」「べっぶ」あるいは「びょう」「びゅう」など特殊な読みが九州にあり、さまざまである。つまり大分県の温泉地の別府だけの固有の地名ではなく、平安時代末期から鎌倉時代、荘園の租税を特別扱いするところをさしたものである。大分県の別府は宇佐八幡宮の荘園があった。免符が与えられて新たに新田開発されたところも多い。「別符」と表記されることもある。かつて兵庫県の加古川には「別府鉄道」が走る別府という地名あるが、荘園領に由来するものであろうか。
県名「大分」もなぜ「おおいた」と読むのだろうか。諸説あるが、大きく3つに分かれる。①「豊後国風土記」による景行天皇が訪れた際、「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田(おほきだ)国と名づくべし」と言ったとして土地の広大さや「大き田」から転化した。オオギタ→オオキダ→オオイタと変化したらしい。②オホ(接頭語)、キダ(刻まれた地形)の転で、河岸段丘を表わす③天皇直轄説。「キダ」とは「刻まれて」天皇直轄領、もしくは神社領となった、つまり領主から「分けてもらった土地とする説が有力である。
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