東西交流とガラス
ガラスの起源はエジプトやメソポタミアの古代文明が最も古いが、中国にも西周時代ものが出土している。表面の釉薬は融けてガラス化しているが、内部の胎は完全にガラス化していない、液玉、ファイアンスfaienceと呼ばれる珠である。春秋時代の珠も出土している(画像)。ファイアンスは不完全なガラスといえる。3世紀の邪馬台国時代、北九州の三雲、井原遺跡からファイアンス珠が1個だけ出土している。井原遺跡は伊都国があった地と考えられる。中国で作られたものであるか、遠く西アジアで作られたものであるのか。東西交流と日本との関係を示す数少ない貴重な文物といえる。
5世紀になると東西交流はシルクロードを通じてさらに盛んになった。先ごろ、奈良県橿原市の新沢千塚古墳群で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国領内で見つかったローマ・ガラスとほぼ一致したという。遠方の起源の異なるガラス器が5世紀の日本に伝来を示すもので、幅広い東西交流がおこなわれ、文化の発展も、もたらされた。(世界史)
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