諸子百家(春秋戦国時代の文化)
前7~前6世紀の頃に生じた中国社会の激動と変化は、文化・思想の上にも及んできた。この時期には後代の東洋文化の基底となる多くの思想・学問・技術が起こっている。周代の宗法がくずれ、封建制度がすたれ、氏族的秩序に代わって個人の実力主義の世となり、各国の君主は才能ある者を求め、能力によって人材を登用し、自国の富国強兵をめざしたため、諸種の思想が活発に展開した。一般にこの時期の多彩な思想家を総称して諸子百家あるいは九流百家と呼び、儒家、道家、墨家、名家、法家、陰陽家、縦横家、兵家、農家などがそれである。
儒家は春秋時代の末に孔子が現れ、古典の教養を重視し、その弟子たちに「周易」「書経」「詩経」「春秋」などの経書を通じて夏・殷・周のいわゆる先王の道を学ぶことを奨励した。孔子の思想は、仁を説き、仁の根本は孝悌なりとし、この孝悌に忠という公平の心と、恕という同情とを加えて、隣人郷人を愛し、次第に範囲をひろめて遂に人類全体に仁すなわち博愛を実行することを説く。孝悌は宗法社会の秩序を維持する根本道徳であり、この孝悌を中心とする道徳を以て政治を行うべきことを彼は主張する。孔子の死後、七十子の徒といわれる多くの弟子たちは、孔子の提唱した仁愛と礼楽の理想を受け継ぎ、儒家という思想的集団を形成し、次の戦国時代にかけて曾参の「孝経」、子思の「中庸」、孟軻の「孟子」などが著わされた。また孔子一問の問答が「論語」にまとめられた。
孔子より少し遅れて現れたのが墨子で、儒家の仁を別愛として排斥し、兼愛交利を説き、またその礼教を煩雑とみて素朴主義を採り、勤労と倹約を尊んで、戦争を憎んだ。墨子の集団は宗教結社に似た同志的感情で結ばれ、戦国時代を通して大きな勢力を持っていた。
楊朱は前4世紀前半ごろに出て快楽説をとり、墨家の兼愛に対して為我(自愛)説を立てた。彼は道家の系統を引いている。道家は老子および荘子によって代表される。老子は何時ごろの人であるかよく分からないが、荘子は前4世紀、孟子とほぼ同時代の人である。道家思想の出発点は、世の中の混乱は人々が知識と欲望を求め過ぎるところにあるとみて、無為にして自然の道に従えばよいと主張する所にある。そして宇宙の最高原理である道は無であり、人の感覚を越えた存在であるとし、道の体現者である王への服従を説いた。
名家は独特の論理学が発達し、既成の概念にとらわれずに対象を認識することを主張した恵施や、ものの名と実とは一致すべきだと説いた公孫龍などが現れた。しかし名家は概念そのものを体系化することができず、ついに詭弁論理学に陥ってしまった。白馬非馬論・堅白異同論などが有名である。
法家は春秋末期より各国で成文法が作られ、また商鞅のように新法の制定によって秦に重く用いられたものもあるが、法治こそ国家支配の根本原理であるとして、法家思想の体系化を行ったのは、前3世紀末に出た韓非である。彼は初め李斯とともに荀子に学び、荀子の礼を尊ぶ思想から出て、法家思想へと進んだ。「韓非子」は彼の著作である。なお李斯は秦の始皇帝の宰相として法家思想を実行した。
陰陽家は万物の生成と変化や宇宙間の現象をすべて陰陽二気の働きによってを説明しようとした。陰陽説は、後には五行説と結びついて陰陽五行説とも言われ、しだいに迷信化していった。五行説は木火土金水の5要素の循環あるいは相克から宇宙間の現象を説こうとするものである。
兵家は諸侯の国々において対外関係の解決を軍事に求める以上は、兵法によらなければならないと説くものである。孫武、呉起賀活躍し、「孫子」「呉子」などが著わされた。
縦横家は軍事によるよりも弁論によって対外関係を有利に展開させようと説くもので蘇秦、張儀のような外交戦略家が現れ、その活躍のさまは「戦国策」に描かれている。このような外交戦略家を諸侯は争って迎えたが、なかでも斉の王族孟嘗君、趙の平原君、魏の信陵君、楚の春申君などは有名である。
農家は農業改革を推し進める者たちで、その農家の中でも重税を否定し、逆に素朴な農耕社会を理想とする神農家などがあげられる。君主も民も平等に農耕すべきとする平等説を主張した。
戦国時代の初め、儒家の思想は魯・衛を中心として黄河以北に、墨家は比較的広く、道家は黄河以南に伝わったが、これら学派の集まったのは斉の都臨淄であった。斉の威王・宣王の学術奨励によって稷門の下に集まる諸派の学士70余人によって「稷下の学」と呼ばれる学問が発達した。しかし、斉は諸国の討伐にあい、学士も分散した。やがて秦が統一をすると、各地に分散した各派の学者たちは、宰相呂不韋のもとに集まり、儒家の思想を中心とした各学派の説を折衷した「呂氏春秋」を編纂することになったのである。(参考:大澤陽典「アジアの歴史」法律文化社)
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