「司馬遼太郎」筆名余話
本日は菜の花忌。小説家・司馬遼太郎の1996年の忌日。筆名の由来は、「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)から来ている」とある。この説明は事実であるものの、寺内大吉の証言(上田正昭との対談)によれば、司馬(当時は福田定一)は深い意味で考えてつけたのではなく、「ペンネームはとっさにつけたらしいです」と語っている。「講談倶楽部」という雑誌の懸賞応募作品「ペルシャの幻術師」で初めて、司馬遼太郎のペンネームを使ったが、寺内の記憶によれば、司馬は自分がどんなペンネームを使ったかまるっきり覚えていなかったという。懸賞に応募する時にたまたまつけたので、「さあ、なんて名前だったかな」と言っていた。それを聞いた上田は「いや~僕はもっと深い意味があるのかなと思っていましたが」と答えた。寺内は「深い意味でつけたやつはダメなんですよ。気軽につけたやつが案外良いのです。変に姓名学みたいに凝った奴がダメなんでね」と語った。出典は、「姫路文学館紀要9」2003年3月所収の「青春の司馬遼太郎」より。
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