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2020年1月19日 (日)

長崎は今日も雨だった

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   日本全国各地の地名をおり込んだ歌謡曲。「函館の女」「知床旅情」「津軽海峡冬景色」「港町ブルース」「伊勢佐木町ブルース」「女ひとり」「柳ケ瀬ブルース」などなどご当地ソングが無数にある。日本列島最北端は原みつるとシャネル・ブルースの「稚内ブルース」か。今話題の明智光秀の生誕地、岐阜県可児市(かにし)。森昌子が「可児市音頭」(1982年)に歌っている。数でいえば東京や横浜ソングが多いが、なぜか長崎にヒット曲が多く、神戸はあまりヒットしないというジンクスが歌謡界にはある。長崎という町は旅人の心を酔わせる不思議な魔力がある。踏む足に柔らかな石畳の面に唐寺の甍に、そして古びた西洋館の蘇鉄をふるわす海風に沃しい異国の香りが漂う。そんなエキゾチックな魅力がある長崎は、戦前から流行歌の格好の歌所となった。由利あけみ「長崎物語」(昭和14年)、樋口静雄「長崎シャンソン」(昭和21年)、小畑実「長崎のザボン売り」(昭和23年)、藤山一郎「長崎の鐘」(昭和24年)と長崎物は必ずヒットするといわれた。昭和40年代に入り、魅惑のムード歌謡の時代もご当地ソングのナンバー・ワンは長崎だった。高橋勝とコロラティーノ「思案橋ブルース」(昭和43年)、青江三奈「長崎ブルース」(昭和43年)、そして内山田洋とクールファイブの「長崎は今日も雨だった」(昭和44年)の大ヒットへと続く。「長崎は今日も雨だった」も「思案橋ブルース」のヒットがなければ、世に知られることは無かったかもしれない。ところで思案橋とは歌のせいで、長崎の橋だけと思われがちであるが、もともと江戸が元祖で元吉原の遊郭と堺町の芝居小屋が近くにあり、「行こうか戻ろうか」と思案したので思案橋という名がついたといわれている。

 

 ないているような 長崎の街

 雨に打たれて ながれた

 ふたつの心は かえらない

 かえらない 無情の雨よ

 ああ 長崎 思案橋ブルース

    ところで長崎で一番有名な橋は、やはり眼鏡橋だろう。石造2連アーチ橋と水面に映る橋とが合わさった姿が眼鏡のように見えるところから、この名がついたのだろう。寛永11年に興福寺の住職・黙子如定禅師(1597-1657)が造ったものである。昭和57年7月の長崎大水害では崩壊したが、復旧された。画像は昭和40年代前半のもので、周辺マンションなどが建設される以前の眼鏡橋の景観がうかがえる。

 近年のご当地ソングの傾向は「五能線」(水森かおり)や「尾曳の渡し」(森山愛子)「只見線恋歌」(奥山えいじ)といったようにあまり知られていない地名が好まれるようである。五能線は秋田県能代駅と青森県川部駅を結ぶ日本海の絶景で人気のローカル線。尾曳の渡しは群馬県館林にある。只見線は福島県会津若松駅から新潟県小出駅を結ぶローカル線。尾瀬沼を水源とする全長約145㎞の只見川が知られる。

 

 

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