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2020年1月21日 (火)

蒲生氏郷

蒲生氏郷。父は蒲生賢秀、母は後藤但馬守の女。弘治2年、近江国蒲生郡日野城に生まれる。はじめ賦秀、のちに氏郷と改名、大坂で洗礼を受けレオンと称した。主家の六角氏が内紛により力を弱めた永禄11年、父賢秀は、織田信長と結ぶため、氏郷を人質として岐阜に差し出した。そこで元服し賦秀と名乗り、信長の近習となった。翌12年、伊勢出陣に従い武功をあげ、信長の女冬姫を室とし、以後、父賢秀とともに、織田軍の中核として各地を転戦した。天正10年の本能寺の変では、安土城を退去した信長の家族を日野城に迎え、明智光秀の襲来に備えた。同11年に羽柴秀吉と結び、秀吉と敵対する滝川一益の亀山城などを攻め、その功ににより亀山城を与えられた。翌12年には伊勢12万石を与えられ、松ヶ島城主、同16年、正四位下近衛少将となり、新たに松坂城を築きこれに移った。天正18年、小田原攻め後には陸奥・越後を治める会津に移封され42万石に、翌年、九戸の乱鎮定の功で、さらに18万5000石を加増された。実高は92万石の大大名であった。文禄元年、朝鮮出兵のため肥前国名護屋城に赴くが、下血するなど体調がすぐれず、翌2年には帰国、3年に上洛するが、翌年、病状が悪化し伏見の自邸で没した。秀吉が、氏郷の力を恐れ毒殺したという説があるが、俗説である。

 

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