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2020年1月 1日 (水)

正月から早々に死ぬことについて

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    昨夜の紅白で竹内まりやが「いのち歌」を歌っていた。教科書に載っていたり、学校の合唱曲としてとても有名な曲だそうだ。たしかに生まれてきたことに感謝する内容でわかりやすく若い人に向いている。だが万人向きではない。老人会で披露すると少し年寄りにはキツイ歌詞がある。「いつかは誰でもこの星にさよならをする時が来るけれど命は継がれていく」。つまりあなたは死ぬが子孫がいるじゃないか、ということ。良い歌とは婉曲的で詩的な余韻があるものだ。人がいつか死ぬのは当たり前のことだが、合唱で大勢の人からいわれたくないものである。ひっそりと静かに死にたい。さしずめ竹内まりやは現代の一休だろう。

   一休和尚は正月早々、竹棒の先にされこうべをさすと、洛中へと歩き出した。町中に入ると、家々の門の口にこの髑髏を差し出して、「御用心、御用心」といいながら、歩きまわる。正月気分で祝っているところへ、髑髏であるからたまったものではない。どの家も門を閉ざしてしまった。

   一休いわく「この髑髏よりめでたいものはない。目が出て、穴ばかりが残ったのを目出たしという。人間、死んでこの髑髏にならねば、めでたいことはひとつもない」一休、歌っていわく。

 門松は 冥途の旅の 一里塚

    めでたくもあり めでたくもなし

 (参考:『禅門逸話選』 禅文化研究所)

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