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2019年12月31日 (火)

リチャード・キンブル

  リチャード・キンブルという名前は、「リチャード・キンブル。職業医師。正しかるべき正義も時として盲しいる事がある。」というナレーション(日本語訳では矢島正明)で始まるアメリカABCのテレビ番組「逃亡者」(1963~1967)の主演デビッド・ジャンセンが演じた役名であるが、「スーパーマン」のクラーク・ケントや「ベン・ケーシー」とともに日本人にもなじみの深いアメリカ人名のひとつである。

  妻の殺害という無実の罪で死刑を宣告されたが、州立刑務所へ移送中に列車事故でからくも脱走した。無実の罪を自らの手で晴らすために、ジェラード警部(バリー・モース)の執拗な追跡をかわしながらも、なぞの真犯人「片腕の男」を捜す。「孤独と戦いながら、今日を、そして明日を生きるために」。毎回の逃避行のスリリングな展開とキンブルの知的で物静かな態度に女性ファンが魅了された。声優の睦五郎も適任だった。

      *

 デビッドジャンセンが好きだった。知的で物静かな態度、口元のかげりと微笑み、よみがえる踏切のシルエット。

逃げゆく後ろ姿、無実を晴らす孤独の旅路、深夜のバス停留所。

夜霧にサイレンが泣いている。盲しいる正義の申し子ジェラードの追跡をかわしながら、なぞの真犯人「片腕の男」を捜す。窮地をさ迷うキンブル。

名前を変えたあなたを手配書の届かぬ小さな町でずっと守ってあげたかった。

デビッドジャンセンが好きだった。(永山キヨテルさんの作品を一部改稿)

          *

  この「逃亡者」のテレビ・シナリオには実際の事件をヒントに書かれたらしい。モデルとなった医師サム・シェパードは1954年のオハイオ州の自宅で妻を殴り殺した罪で、有罪を宣告された。最高裁はマスコミの報道に陪審員が影響されたとして、1966年では証拠不十分で無罪になっている。

 

   

2019年12月29日 (日)

年の暮れ雑感

下駄買うて 箪笥の上や 年の暮れ(永井荷風)

   もうすぐお正月だ。この句は初詣のために新しい下駄を買ってウキウキしている感じかなと思っていたら、ある解説者はこの下駄は女物で、年始にプレゼントするつもりだろう、とあった。

 残すところ、あと2日となったが、来年の干支は「子」で十二支の最初となる。もう十二支すべてを迎えることはないだろう。年の暮れになると交通事故が多発する。飲酒の機会が多くなるし、人や車の動きが慌しくなるからである。迎春準備でスーパーは混雑している。火事も12月は増える。離婚するカップルも増えるらしい。綺麗サッパリして来年こそはいい年にしたいと思うのだろうか。また寒くなると亡くなる人も多くなる。著名人の訃報も多い。

ちょこっと京都に住んでみた

   女優木村文乃が自転車に乗って京都を巡る風変わりなドラマ。あまり観光地でないふつうの京都を紹介しているのがかえって新鮮である。文乃は町家古本はんのき(上京区鳳瑞町)で「雑草ノオト」(毎日新聞社 2002年刊)を買う。雑草にはそれぞれの味わいがある。「私、人生に失敗しちゃった」と言う。実はさまごろ私生活でも離婚報道があったばかり。清純派の彼女には激動の数年だったが、演技派女優としての進境著しい。「サギデカ」の刑事役もよかった。「麒麟がくる」を期待している。

 

2019年12月28日 (土)

アカシア

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   黄色または白色の小花を咲かせる。花言葉は友情(friendship)。日本では俗にアカシアと称されるのは、ニセアカシア(ハリエンジュ)であり、アカシアとは別種。街路樹に植えられることが多いので、西田佐知子が歌う「アカシアの雨がやむとき」もニセアカシアだろうか。日本では松、桜、ケヤキなど様々な種類の木が街路樹に植えられるが、明治神宮外苑や大阪御堂筋などイチョウが多いのはなぜか?チコちゃんに叱られるによると、他の木の葉に比べると燃えにくく、火に強いから。つまり防災や排気ガスに強いという理由から街路樹に選ばれている。

 

 

2019年12月22日 (日)

秘められた日本の恥

Shiori Ito,symbol of Japan's MeToo movement,wins rape Lawsuit damades

伊藤詩織さん、レイプ訴訟に勝訴、ミーツゥー運動のシンボルに

 この問題は、日本で考えている以上に海外では大きな話題となっている。イギリスBBCがトップニュースに近い扱いをしていた。当該事件は2015年4月に発生した。TBSの幹部社員が伊藤さんを無理やりホテルにつれて性的暴行をしたというもの。警察に訴えたが刑事事件としては却下された。レイプが合意か、密室で起こった事件を立証することは難しい。伊藤さんは数年間、メディアに姿をさらして被害を世論に訴え、権力者と闘った。英語力がなければ海外のメディアを動かすことはできなかっただろう。だが男性中心の日本社会、海外と日本では事件の反応も異なる。隠蔽体質の日本では、国会でも質疑がなされたが論議が深まることはなかった。ブラックボックスを打ち破ることは容易ではない。松本清張が生きていればどのような取材をしただろうか。この事件の背後にはさまざまな日本の闇がかくされている。

2019年12月16日 (月)

ラスプーチンのペニス

   1916年12月16日(グレゴリオ暦12月29日)深夜、ロシアの怪僧ラスプーチン(1871-1916)が暗殺された。ラスプーチンは血友病に苦しむ皇太子を祈祷で回復させ、皇帝ニコライ2世や皇后アレクサンドラの信任を得た。彼は淫らな言葉と野卑な振る舞いで貴婦人を誑し込んで国政に関与するようになる。やがて巷には皇后とラスプーチンとが愛人関係であるとの噂が流布するようになり、反対貴族のフェリックス・ユスポフ侯爵らがラスプーチンの暗殺計画をめぐらす。12月29日、ラスプーチンはユスポスの邸宅(モイカ宮殿)に招待された。やがて毒入りワインを5杯を飲みほすが、ぼんやりとした表情になるだけだった。この状態にたまりかねたユスポフは拳銃を取り出して、彼の胸をねらって射撃した。ところがラスプーチンはそれでも死なず、足元のさだまらぬまま屋外に出て、そこでウラジミール・プリシケヴィチに2回射撃される。彼は雪の中に倒れたがそれでも死なず、額を狙撃されてようやく死亡した。額を撃った人物が誰なのか今も謎のままである。死体は3日後にネヴァ川で発見され、皇后によって手篤く埋葬された。ラスプーチンの遺体は2月革命の際に民衆に掘り返されて焼く捨てられたとされる。

   ところが最近、サンクトペテルブルグのエロチカミュージアムで、なんとラスプーチンのペニスが展示され話題となっている。これまでもラスプーチンの巨根伝説はあったが、まさか現存するとは。ホルマリン漬けされた長さ28.5cmのこのペニスが本物であろうか。娘のマリア・ラスプーチンが保管したところまでは知られていたが、長い間、行方がわからなかった。

 

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2019年12月15日 (日)

霧のロンドン、花のパリ

   イギリスの天気は変わりやすい。ロンドン紳士といえば山高帽と細巻きの黒い傘というイメージがあるが、毎日のように小雨が降っているか、さもなくば曇り模様の天候だ。地図の上で、日本よりはるかに高い緯度に位置している。樺太とほぼ同じくらいと考えてよい。高緯度地域にはほぼ一年中居座る大規模なアイスランド低気圧から発生する移動性低気圧が国内の天気をめまぐるしく変化させるからだ。

   「ロンドンに飽きた人は、人生に倦きたのさ」といったのはサミュエル・ジョンソン博士だ。ロンドンの街はどんなに歩いても飽きない。ロンドンの経済の中心はテムズ川左岸、ロンドン橋の北方を占めるシティである。金融の中心地ロンバート街やジャーナリズムの中心地フリート街がある。またギルド・ホール、ロンドン塔、セント・ポール寺院もシティにある。シティの西はウェスト・エンド、北東にはイースト・エンドがひろがる。ウェスト・エンドは古書の街チャリング・クロス街、リージェント街、ピカデリー街など繁華街がある。イースト・エンドはかつては貧民街だったが、第二次世界大戦のさいの爆撃により焼失を機会に、新しい住宅地へと変貌した。

   だが、ロンドンに生まれ育った生粋のロンドンっ子が詩人とか作家になるというのはあまり聞かない。たとえば明治東京の夏目漱石やボードレールのパリというように、深い因縁はないような気がする。ウィリアム・シェークスピアは地方出身(ストラトフォード オン エーボン生まれ)だし、あれほどロンドンをわが町のように描いたデイケンズもポーツマスの生まれである。推理作家コナン・ドイル(エジンバラ生まれ)も、流行作家サマーセット・モーム(パリ生まれ)もロンドン人ではない。しかし、ロンドンにゆかりのないイギリス文学者をあげることは難しい。ここでロンドンゆかりの文学者を思いつくままにあげてみよう。ジェフリー・チョーサー、エドマンド・スペンサー、ジョン・ダン、ベン・ジョンソン、アイザック・ウォルトン、ジョン・ミルトン、ジョン・バニアン、ジョナサン・スウィフト、ダニエル・デフォー、アレグザンダー・ポウプ、トマス・グレイ、リチャード・シェリダン、ウィリアム・ブレイク、チャールズ・ラム、コウルリッジ、リイ・ハント、バイロン卿、パーシー・ビシー・シェリー、ジョン・キーツ、ウィリアム・エインズワース、アルフレッド・テニソン、ロバート・ブラウニング、ウィリアム・サッカレー、マシュー・アーノルド、トマス・ハーディ、バーナード・ショウ、H.G.ウェルズ、トマス・スターンズ・エリオット、ジェームズ・バリー、ウィリアム・イェーツ、ベアトリックス・ポター、ジョン・ゴールズワージー、チェスタートン、ヴァージニア・ウルフ、ディヴィド・ハーバート・ロレンス、アーサー・ウェリー、イーヴリン・ウォーなど。

吉良邸討ち入りにかかる費用は?

 映画「決算!忠臣蔵」が公開中。原作は山本博文の「忠臣蔵の決算書」(新潮選書)討ち入りには莫大なお金がかかる。江戸と上方を往復する交通費、浪士たちの江戸での生活費、武器購入などの軍事費、浅野内匠頭の墓を建てる、などなどの仏事にも多大な費用がいる。内蔵助の敵をあざむくための祇園での放蕩は史実であろうか。さまざまな謎がわいてくる。神奈川県の箱根神社には「預金候金銀受払帳」の原本が所蔵されている。同社は仇討の元祖として有名な曽我兄弟と深い関わりを持ち、江戸時代には既に「仇討の神様」として広く知られていたのである。この史料によると討ち入りにかかった総額は約969両(現在の金額で約8200万円)と計上されている。最後に討ち入りのために江戸に下る旅費は、1人一律3両が渡されたとある。

 

2019年12月14日 (土)

1日3食なのはなぜ?

 日本人の誰もが朝昼晩と一日に三回食事をする。古代、貴族は朝夕の二回の食事が普通で、その他は簡単な間食をするくらいであった。しかし、農民や職人などの労働階級の人々は、必要に応じて一日に三回も四回も食事をしていた。三度の食事の習慣が一般化して、昼食の存在がはっきりとするのは江戸時代になってからのことである。江戸時代中期に、庶民の間にも菜種油で明かりで暮らすようになり、その影響で、夜も活動できるようになった。つまり照明のおかけで活動時間が伸びた結果、2食では足りなくなり、朝と夕の間に昼食を挟むことが一般化したという。(NHKチコちゃんに叱られる!拠り)

2019年12月10日 (火)

ライバル中国史 項羽と劉邦

 NHKザ・プロファイラー「劉邦」。漢王朝を開いた劉邦は、40歳までは酒と女性が大好きな「ダメおやじ」。だが民衆に圧制をしいた秦の打倒に立ち上がる。ライバルは楚の名将軍の孫で24歳の項羽。圧倒的武力で道を切り開いた項羽と、人を信じ人に愛された劉邦。劉邦は何度も項羽に敗れながらも、最後には勝利し、皇帝となって「漢」を一代で築いた。人生の半ばすぎから一発逆転に成功した、劉邦の秘訣を探る。

    項羽(前232-前202)は姓は項、名が籍、字が羽。つまり正式な名前は項籍であるが、一般に項羽と記されることが多い。 項羽は秦王政15年(前232年)、楚の下相(かしょう)、現在の江蘇省宿遷に生まれた。羽(う)とは、字(あざな)、つまり呼び名である。項氏は、代々楚の将軍をつとめる名門の家柄で、項(河南省項域)に封ぜられて食邑を得たために、項をその姓にしたといわれる。項羽の末の叔父に項梁がいて、項梁の父すなわち項羽の祖父は、楚の名称項燕である。項羽は幼くして孤児となり、項梁に養われた。項羽の父・母の名前を調べたがわからなかった。 2014年放送のNHK「古代中国よみがえる伝説 項羽と劉邦~王者の条件」では、項羽の子孫が現在もおり、項羽は項家の29代目となるが、両親の名前は明らかではなかった。

    漢高祖劉邦(前247-前195)、姓は劉、名は邦、字は季。実は、生まれた年が分からない。死んだ年は史書に記されている(紀元前195年6月1日)。「漢高祖12年(前195)4月、黥布(:げいふ)を撃ったときの傷がもとで病み、長楽宮で崩ず」とある。ただし卒年が62歳、60歳、あるいは53歳などがあり、逆算すると生年は前256、前249、前247年となる。いずれにせよ、劉邦のほうが項羽より年長であったことは間違いない。 本籍だけは沛郡豊県中陽里(江蘇省徐州市沛県)と、やけに詳しく記されている。 

   劉邦の家はごく平均的な農民であった。父は劉太公、母は劉媼。彼には、長兄に劉伯、次兄に劉喜、異母弟に劉交がいる。劉邦は末っ子で劉季(りゅうき)、つまり「劉の末っ子」と呼ばれていた。 

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 ところで劉邦の家族の名前をみると「父の名は父親といい、母の名は劉氏の老母という」という程度の意味である。漢の創業者である劉邦の家系のことは司馬遷の時代にすでにほとんどわからなかった。 

   劉邦自身の名である「邦」というのも、もっともらしい名がつけられているが、それほどの意味がある文字でない。劉邦の字は「李」(末っ子)というのだが、ある人は李が本名で、邦というのは皇帝になってからつけられた名前だという説もある。なぜなら史記、漢書には劉邦という記録はない。後漢の荀悦の「漢紀」に「劉邦」の名前がはじめて記されている。ともかく劉邦の出自は微賤なものであったからその名も知れず、だから史記漢書の著者はよんどころなく太公、劉媼などと記したのである。しかし近年の説では、曽祖父は劉清、祖父は劉仁浩といい、豊城の西北6㎞の地、金劉塞村に古碑があり、裕福な農夫だったことがわかった。従って史書に両親の名がないのは、忌諱に触れるのを憚ってあえて記録しなかったと考えられている。 

  劉邦の容貌は生まれつき隆準(鼻が高い)で竜顔、あごひげほおひげが美しく、左の股に72の黒子があったという。72という数字は9と8かけたもので、九は天の数、八は地の数とされるから、天地の徳をあわせもった人、すなわち天子たるべき人であることを示したもので、五行思想にもとづいて後世に付け加えられた話であろう。「古代中国よみがえる伝説」では劉邦は4人兄弟の末っ子とあるが、3男であろう。また江蘇省豊県の「劉清之墓」遺跡は観光地を目的に近年整備されたもので考古学的な裏付けがあるようには見えない。

 

 

三億円事件の日

Img_785584_61955498_0     1968年12月10日午前9時20分頃、東芝府中工場従業員のボーナスのための現金約3億円を積んだ日本信託銀行の現金輸送車が府中刑務所北側の路上で後を追ってきた白バイ警官に止められた。白バイ警官は爆発物らしき物を発見、行員たちが車外へ出て避難すると、運転席に乗り込みそのまま走り去った。このようにして3億円はまんまと奪われてしまったのである。1968年当時の3億円は現在の貨幣価値に直すと約10億円にあたる。1988年12月に民事時効が成立。戦後最大の未解決事件となった

2019年12月 9日 (月)

狼よさらば

  1974年度の映画「狼よさらば」ザ・シネマで今夜放映。監督はマイケル・ウィ―ナーで、主演のチャールズ・ブロンソンとは「チャトズ・ランド」「メカニック」「シンジケート」などコンビ作品が多い。製作総指揮はイタリアの大プロデューサー、ディーノ・デ・ラウレンティースが当たった。原作はブライアン・ガーフィールドの小説で、脚色に当たったのは「ポセイドン・アドベンチャー」のウェンデル・メーズ。原題「Death Wish」とは「死の願望」を意味する。愛する家族を失った男ポール・カージーが警察にかわって町のダニを退治するという本筋は、ヴィジランテ(自警団)物として、以後「ロサンゼルス」「スーパーマグナム」「バトルガンM-16」「狼よさらば地方闇のリベンジャー」全5作シリーズ化され、ブロンソン映画の定番となる。

 ポール・カージーは、ブルックリン開発の有能なエンジニアで、ハドソン川を見下ろすアパートに住んでいた。ニューヨークの典型的な中産階 級であり、平凡だが幸せな毎日を送っていた。ところがある日、ポールは娘キャロルの夫ジャックから悲しい電話を受けた。「ジョアンナとキャロルが入院したと警察から知らせて来ました」チンピラに妻のジョアンナが殺され、キャロルが暴行されたのである。スーパーで買物中の2人に目をつけた3人組が、アパートに押し入ったのだ。哀しみの葬儀をすますと、ポールは黙々と仕事へ戻った。そうすることしか、苛立ちと悲しみを消すすべはないのだ。みかねた社長は、彼にテキサスの新しい開発計画を与え、現地の開発会社へ向かわせた。現地のジェインチルは、ある日自宅の射撃場へポールを案内した。1890年製のリボルバーが、標的めがけ、弾丸を吐き出してした。彼の体の血が次第に熱くなってくることがわかった。ジェインチルはポールが帰る日、そのリボルバーをプレゼントした。ニューヨークへ帰ったある夜、リバーサイド公園を散歩するポールの後から、チンピラが拳銃をかまえた。だが次の瞬間、ふりむいたポールの拳銃が火をふいた。チンピラの体がのけぞるように飛んだ。ポールは自宅に戻ると吐いた。だがそのショックは、翌日になると不思議と消えていた。そればかりか心のわだかまりが吹き飛んだように思えるのだった。それ以後、ポールはチンピラを殺すため、夜の町を歩きまわるようになった。デパートのそばの路地で3人、地下鉄の車内で2人。人々は「私的警察」といってこの行為を歓迎した。しかし犯罪は犯罪であり、警察も捜査にのり出した。だが、オショア警部は、なぜか彼をとらえようという気にはなれなかった。やがて、第5の殺人がおきた。ポール自身も今度は傷ついた。彼を尾行していたオショア警部は、待っていた時が来たのを感じた。ポールを病院に見舞うと、現場で拾ったリボルバーを見せながらこう言った。「君がどこかの支店に転勤するのなら、こいつを川に捨てるがネ」(Paul Kersey)

 

2019年12月 7日 (土)

「人生七十古来稀なり」 年齢の異称

 政府は成人年齢を20歳から18歳に引き下げることを2022年の施行を目指して検討している。結婚年齢を男女ともに18歳に統一するが、飲酒・喫煙などは20歳未満禁止を維持するらしい。

   三木露風の「赤蜻蛉」の三番目の歌詞。「十五でねえやはよめにいき おさとのたよりもたえはてた」戦前の婚姻適齢は男子17歳、女子15歳だった。だが実際には守られていなかったらしい。大正11年の国勢調査によると、東京市には9歳の男子と7歳の女子が結婚している例がある。これほどでなくても、10歳から15歳までで配偶者のある者は、男44人、女145人もあったという。

    戦後、わが国の民法において男子が18歳以上、女子が16歳以上にさだめられたのは、当時のアメリカの各州の婚姻適齢がこのケースが多かったため倣ったとされている。世界各国の婚姻適齢を調べると、だいたい男女を問わず、未成年者においても配偶者が成年であるという条件で16歳以上で婚姻の可能性を開いている。つまり男女問わず結婚相手が18歳以上なら16歳の婚姻を可としている。16-16はダメだが、18-16なら良いというものである。どうやら女子16歳を婚姻適齢の開始とする国が多いようである。だが、人口問題をかかえる現代中国では男子22歳、女子20歳と婚姻適齢を各国に比べ遅らせている。ただし、古くから中国では女子16歳のことを「破瓜(はか)」といい、詩文などで使われることがあった。「瓜」は二つの「八」字に分けられ、二八の16歳。転じて8の2乗で男子64歳をいうこともある。また女子の処女膜が性交によって破られることを意味する。この意味での使用が多いという。

   年齢には面白い異名がつけられている。今はふつう満年齢で数えるが、この場合はむかしの風習で数え年が用いられる。15歳は「志学」、30歳は「而立」、40歳は「不惑」、50歳を「知命」、60歳は「耳順(じじゅん)」、61歳は「還暦」。これから先は賀寿名。66歳は「緑寿(ろくじゅ)」、70歳は「古稀」、77歳は「喜寿」、80歳は「傘寿」、81歳は「半寿(はんじゅ)」「盤寿(ばんじゅ)」、88歳は「米寿」、90歳は「卒寿」、99歳は「白寿」、100歳は「期(き)」または「上寿(じょうじゅ)」紀寿(きじゅ)」という。108歳は「茶寿」、111歳は「皇寿(こうじゅ)」「川寿(せんじゅ)」、119歳は「頑寿(がんじゅ)」。120歳は「昔寿(せきじゅ)」「珍寿(ちんじゅ)」という。これほどの長寿は珍しいということから。大還暦(だいかんれき)還暦が2回迎えられたことから。長寿世界一だった泉重千代さんに向けて作られたという。特に年齢は決まっていないが、「長寿の祝い」として「頌寿(しょうじゅ)」がある。(参考;中野展子「年齢の話題事典」)

東海道新幹線の車体が青と白なのは?

 五歳の女の子の素朴な疑問「なんで東海道新幹線の車体の色は青と白なのか?」チコちゃんは知っています「色を決める会議の席にあったタバコの箱が青と白だったから」

  1964年東海道新幹線が開業した。その数年前のこと。車体の色を決める会議で赤派と白派が対立していた。ある幹部が机の上に置かれたタバコの箱をみて、「この色、いいんじゃない」と言った。当時人気があった「ハイライト」の白と青のシンプルなデザインはスピード感ある色合いだ。すぐに青と白の二色を参考にデザインすることに決定した。この挿話は新幹線の当時の内部資料にも残っているらしい。

2019年12月 4日 (水)

2019年の出来事

   平成から令和に元号が変わった2019年。即位礼正殿の儀で天皇陛下が即位を宣言した。記録的な大雨や巨大台風が日本列島を直撃し、甚大な被害をもたらした。世界遺産の首里城の火災。政治家、スポーツ選手、俳優など、多くの人の記憶に残る著名人が他界した。元首相の中曽根康弘、400勝投手金田正一、萩原健一、高島忠夫、梅宮辰夫など。また30年以内に70%の確立で発生するとされる首都直下地震に恐怖を感じている。池袋事故など高齢者の自動車運転が社会問題になる。音楽ではFoorinの「パプリカ」がヒット。加山雄三、矢沢永吉が病気のためライブ公演を中止。スポーツ界では、イチローや阿部慎之介、吉田沙保里ら平成を彩ったアスリートが引退を発表。その一方で、女子ゴルフの渋野日向子が20歳で全英女子オープン優勝。ラグビーW杯で日本代表が初のベスト8入りする。新語・流行語大賞は「ワン・チーム」。囲碁・仲邑菫が10歳で史上最年少プロ棋士になる。国会議員の小泉進次郎とフリーアナウンサーの滝川クレステル、菊池桃子の再婚、壇蜜、橋本マナミなど著名人の結婚ラッシュが話題になった。リチウム電池の開発に貢献した吉野彰がノーベル科学賞に選ばれた。東京五輪が開催される2020年が明るい年であることを願う。

 

肉体の悪魔

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   第1次世界大戦下のパリ近郊のリセ。17歳の青年フランソワ(ジェラール・フィリップ)は看護婦マルト(ミシュリーヌ・プレール)と出会い、ひと目で恋に落ちる。軍人の婚約者がいるマルトも、年下のフランソワにどんどん惹かれていく。だがマルトの母の反対や、フランソワの両親の心配もあり、二人は別れる。しかし半年後、偶然の再会をきっかけに以前にも増して、二人の恋は燃え上がる。夜の桟橋で逢う約束をした二人。そこにはすでに一時間もフランソワを待つマルトの姿があった。二人は肉体の悪魔にひきずられていく。この許されぬ愛もやがて戦争が終結すれば断ち切らねばならないのだ。マルトが妊娠した。それが隠せなくなった時、ついにマルトは夫にすべてを打ち明ける決心をする。フランソワには、それに反対する勇気もなかった。別れのひとときを思い出のレストランですごした二人は、はじめてランデブーをしたカフェに出かけ、そこで終戦を知らせる国歌を聞いた。だがマルトは力つきて倒れ、フランソワは駆けつけた母によって引き離されてしまった。凱旋した夫に見取られ、死の床のマルトは、フランソワの名を呼びながら、愛の結晶を残して死んでいた。

   クロード・オータン・ララ監督「肉体の悪魔」(1947)は、レイモン・ラディゲの有名な恋愛小説をロマンティックに脚色した戦後フランス映画を代表する作品。当時24歳だったジェラール・フィリップは17歳の少年の繊細な心を完璧に演じあげた。彼は1922年12月4日南仏カンヌで生れた。女性たちのため息をあつめたフランス映画界のプリンスは1959年、36歳の若さで世を去った。墓は南仏サントロペ近郊の美しい村ラマチュエルにある。

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2019年12月 1日 (日)

昨日のテレビ、今日のテレビ

 本日は田畑政治1898年の誕生日。「いだてん」は五輪プロパガンダではなかったが、迷走ぶりが酷かった。昨夜は一挙放送「深夜食堂」を見る。今夜は「首都直下地震」「大阪マラソン」「福岡マラソン」など。(12月1日)

 

映画の日

    神戸湊川神社前の高橋鉄砲店の2代目店主の高橋信治、大阪心斎橋の三木福時計店店主の三木福助がリネル商会(神戸居留地14番)を通じてキネトスコープを輸入し、神戸の料亭「宇治川常盤」で明治29年11月17日に上映したのが日本で最初の映画公開である。キネトスコープとはエジソンが発明したもので、レンズをのぞいて箱の中の動画を見る装置。

    一般の人にもキネトスコープを公開しようということで、神戸花隈の有料貸席「神戸倶楽部」が11月25日から12月1日まで興行された。馬車と自転車の競走などの簡単な映像であったが、好評だった。「12月1日は映画の日」というのは、これに因んできりのよい日という理由で昭和31年に制定されたものである。▽「ターミネーター」シリーズ最新作「ターミネーター・ニューフェイト」が公開中だが、興行的に世界中でコケたらしい。▽最新の恋愛映画は「ラスト・クリスマス」エミリア・クラークとヘンリー・ゴールディング。でもエミリアは33歳で大人女子。相手役のヘンリー・ゴールディングはマレーシアのイケメン俳優。▽ムービー・プラス「スパイダーマン」日本語吹き替え版が四本立て。

 

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