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2019年11月 1日 (金)

リスボン地震

Photo_2  1755年のこの日、ポルトガルのリスボンで大地震が起きた。当時、地震は「神の罰」だと考えられ、その強大な力の前では、人間はただ祈り、受け入れるしかなかった。このため復旧の気運が高まらなかった。

  リスボンは英語で、ポルトガル語では「リジュボア」と発音する。ローマ帝国時代の古名オリシポが転訛したものである。さらに、古名の語源は、フェニキア語のアリス・イポ(alis ibbo、良い港)である。ここを最初に開いたのはフェニキア人である。その後、ローマ時代から西ゴート王国時代を経て、8世紀にはアフリカから新たに侵入してきたイスラム教徒の支配下に入る。その後、国土回復運動に際し、1147年に初代ポルトガル王アフォンソ・エンリケシュがリジュボアを占領すると、王はサラセン軍が築城した丘上の城を整備して、サン・ジョルジュと名付けて居城とした。またマヌエル1世(在位1495-1521)は10㎞下ったテージョ河の河口にベレン城(画像)を築いた。1515年から1521年にかけてのことである。ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見やカブラルのブラジル発見などポルトガルの黄金時代が築かれた。1569年にはペストにより6万人の死者が、1755年11月1日、午前9時40分、マグニチュード9の巨大地震がリスボンを襲い、津波と火災により10万人の死者を出した。ポンバル侯爵(1699-1782)はリスボンを復興計画にもとづき防災都市にした。欧州諸国はリスボンに救援物資を送り、リスボン地震がもたらした影響は思想や文化にまで及ぼしている。(Lisboa,Olisipo)

 

250pxgaiola_pombalina
 ポンパリーナ様式の耐震構造

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