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2019年11月20日 (水)

日本歌謡史男性アイドル編

   NHK「鶴瓶の家族に乾杯」久しぶりに西郷輝彦が登場していた。数年前に癌を患い痩せている。町の人も白髪の姿に驚いている様子。中年の女性が「西郷さんといえば歌手よりも時代劇のスターという感じです」と。この言葉を西郷自身はどう受け止めていたのか。歌手西郷輝彦は「星のフラメンコ」に代表されるが、歌謡史においては必ずしも高い評価がされていない。しかし私はとても重要な役割を果たした男性歌手だと思っている。60年代ポップス界は創成期であり、お手本はエルビス・プレスリーであった。カントリー・ウェスタンやロカビリー旋風が過ぎた後、揺り戻しに日本的な青春歌謡のブームがやってきた。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家の登場である。ところがビートルズ来日によってグループ・サウンズの大流行で橋幸夫と舟木一夫はピンチに立たされる。西郷はもともとブリスリーが好きで、ビートが利いたリズム・サウンドが得意だった。70年代に入ると「真夏のあらし」や「情熱」「略奪」「愛したいなら今」とロックポップ色を前面に出した曲をリリースする。西郷のポップス・サウンドはにしきのあきら、西城秀樹に継がれていく。西城の曲「情熱の嵐」も西郷の「真夏のあらし」と「情熱」を足して割ったタイトルだ。2000代になるとJポップ全盛となるが、流行とは不思議なもので、元型を創設したミュージシャンのことはすっかり忘れされるものらしい。またネット記事のほとんどは商業ベースであり、公平性・客観性・中立性が確保されず、正当な評価は生まれない。とくに音楽というジャンルは好みがあるので顕著である。歌の上手下手ではなく、歌謡史の流れでみると西郷輝彦という歌手はとても重要な位置づけをもつと考えている。僕の意見に賛同する人は少ないだろう。

 

 

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