濃姫の最期
来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で沢尻エリカの代役が川口春奈と発表される。「天地人」では織田信長(吉川晃司)は天下を目前にしながら、明智光秀(鶴見辰吾)の謀反にあい本能寺にて自害する。本能寺の変のドラマでいつも気になるのが信長の正室の濃姫(帰蝶)と光秀の正室の凞子の存在である。とくに濃姫の没年は不詳であるが、一説には1556年に22歳で病死した、1582年の本能寺の変で信長とともに死んだ、1612年に78歳で逝去した、と諸説ありその死は謎に包まれている。濃姫の墓所、墓石すら特定されていない。数年前の大河ドラマ「功名が辻」では、明智光秀(坂東三津五郎)と濃姫(和久井映見)とのラブロマンスが全面的に描かれており興味深かった。今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の春風亭小朝と内田有紀とのロマンスはもちろん無かった。本能寺の変で勇敢に戦い、その生涯を閉じるのだろうか。
観月ありさ「濃姫Ⅱ」では濃姫と光秀が幼馴染みという設定であった。光秀の父(光綱)と濃姫の母(小見の方、斎藤道三の妻)は共に光継の子。つまり2人は従兄妹の関係。出生年は、濃姫が1535年、光秀が1528年で7歳上。男女の親密な関係があったのだろうか。
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先日、BSの歴史番組で、明智光秀が本能寺の変で信長を討つまでの過程をやっていました。番組の最後の締めくくりの歴史研究家の言葉で「もし、明智光秀が謀反を起こさず織田信長がそのまま生きていたら、後世の歴史はどうなっていたか」という問いに「おそらく、海外に目を向けていた信長は鎖国はしないだろうし、それどころか戦艦を作って、当時のイギリスと戦ってもしかしたら勝ってしまってヨーロッパまで進出、制覇していたかもしれない。そうしたら、今、公用語は英語ですが、織田信長によって近畿地方の関西弁が世界の公用語になっていたかもしれない」という壮大な空想が面白かった。
投稿: | 2014年7月 9日 (水) 18時38分