古代エジプトのパン、ぶどう酒、ビール
「人はパンのみにて生くるにあらず」「新しいぶどう酒を古い皮袋に入れようとはしない」これら有名な聖句は古代イスラエル人がモーセ以前、古代エジプトで約400年間も奴隷となって苦しめられていたことを表わすとともに、エジプトから文化・文明を享受していたことを表わしている。
古代エジプトでは、もっとも貧しい人々でさえ、パン、ビール、そして数種類の野菜とくに玉ねぎを食べて生活していた。古王国以降のエジプトの墳墓に刻まれた供養文には、「千のパン、千のビール…」という言葉を入れるのが普通だった。パンはエンマー小麦から作られた。この小麦は、鞍形挽き臼で苦労して挽かれた。パンは日常の食用と儀式用に特別に作られるものがあった。葬祭殿の壁画には、儀式用のパンが作られ、供物奉献の場面が見事に描かれている。
ビールは普通、大麦(ホルデウム・ヴルガレ Hordeum vulgare)から作られ、濃厚でどろどろしたスープのような液体であって、アルコール分は必ずしも強くなかったが、栄養は豊富だった。新王国のインテフィケルの墓の壁画には、鉢をもった子供の姿が描かれ、「私に少しエールをください。お腹がすいていますから」というせりふが一緒に書かれており、ビールが単なる飲み物というよりむしろ、食物としての性格をもっていたことがわかる。ビールはまた、ナツメヤシで甘味をつけていたり、ほかの果物で味付けされることもあった。このように中世後期まで、ビールの醸造は広く、一般に家庭内で行われていたが、さまざまなビールが出回るため、1516年4月23日、ドイツのバイエルン公ウィルヘルム4世がビール純粋令を公布して泡立ちあるビールを完成させた。
ぶどう酒はエジプト社会では豊かな階級が飲むものだった。貴族の邸宅の庭では、使用人がぶどうを摘み、踏み潰し、主人が客人にすすめるぶどう酒を作った。ワインを入れた壷には、種類と醸造の場所と年がしばしば記されていた。これらはビンテージ・ワインではなく課税のためである。
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