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2019年9月11日 (水)

喜怒哀楽の語源

Photo_3    近年、スポーツや音楽が盛んで、手拍子やガッツポーズなど高揚した感情を全身で表現することが多い。今年限りで引退する阪神の鳥谷敬はグラウンドで絶対に喜怒哀楽を見せない珍しい選手だった。喜怒哀楽は素直に表したほうがいいのだろうか。しかし、それは一瞬の感情でしかない。どんな喜びも、とどんな愛も、どんな命も、やがて終わりがきます。人は哀しみとともに生きているのです。「喜怒哀楽」という言葉は小学校で習う有名な四字熟語ですが、その出典や本来の意味は意外と知られていない。「中庸」第一章にあります。四書の一つで儒教で大切な経典です。とくに宋時代の朱熹がその重要性を説いている。中国の思想の大きな流れは、前漢に国教となった儒教であるが、後漢には訓詁学として盛んとなるが、次第に儒教は魅力を失い、仏教がひろく普及していく。とくに禅宗は、宋代に入って儒教、老荘思想とも結びついていた。南宋の朱子も若い頃は禅へ傾倒していた。進士となった朱子は、24歳のとき延平(福建省南平市)の李侗(1092-1163)の教えを受けた。李侗は、禅理をまくしたてる朱子に向かって「おまえは、宙に浮いた理屈ばかりをいうが、眼前の事実についてはなにもわかっていない。道は玄妙なものではない。ただ日用の間に着実に工夫することによって自然に会得できるのだ」と説く。それには「未発の気象」を養うことだという。「未発の気象」とは『中庸』の「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中という。発してみな節にあたる。これを和という」という言葉に基づくもので、感情の動く以前の、澄みきった、偏りのない心である。この心は「黙座して心を澄ます」ことによって体認される。禅理と共通するものをもちながら、しかも現実への着実な取り組みを説くこの教えは、朱子の学問の方向を決定するようになった。つまり「喜怒哀楽」とは、感情のおもむくまま、泣いたり、笑ったりしてはいけないことをいっているのである。(3月9日)

 

 

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