古代インド
アレクサンドロス大王はインドのパンジャブ地方まで侵入したが、これを迎え撃ったのはインドでは誰でも知っている伝説の英雄ポロスである。この大王の侵入がきっかけとなって、古代インドにおける最初の統一帝国マウリア王朝がチャンドラグプタ(月護王)によって実現できた。王は、「インド人の最大の王」と呼ばれ、その専制政治のありさまは仏典のうちにも伝えられている。メガステネースは、チャンドラグプタの宮廷について次のように伝えている。王の身のまわりの世話は婦人たちによってなされる。王が泥酔しているときに、その婦人が王を殺して、王の後継者と夫婦になる機会がある。王は昼間は眠らない。夜間も種々の陰謀が起こるのを防ぐために、ときには寝台を変更する必要がある、と。「アルタシャーストラ」にも次のようにしるされている。王に対して毒物が使用されたり、危険な人物が接近しないように、万全の警戒がなされ、多くの試食者をおき、王は夜ごとにその寝所をかえる。成長した王子にたいしても十分に注意しなければならない。王子はカニのようにその父王を食うからである、と。「夜安らかに眠ることのできる王は幸福である」という諺は、陰謀が行なわれるインドの宮廷生活の一面をたくみに言いあらわしている。
チャンドラグプタ王はおそらく前317年から前293年までインドを統治したと伝えられるが、没年は不明である。強権政治を実行し、刑罰は苛酷であった。しかし、全インドにわたって多数の公路を建設し、駅亭を設け、また約半里ごとに標識としての柱を建てた。道路の主要交差点には、国家の倉庫を建設し、物資を収納し、緊急のさいの用に供させ、また農産物の増加をはかるために運河や貯水池をつくった。ジャイナ教の文献ならびにマイソール地方の諸碑文によると、彼はジャイナ教を信奉し、ある時期に退位してから、バドラバーフの弟子となって出家し、彼に従って南インドのマイソール地方に移り、カルパップ山で苦行を修め、最後には宗教的な餓死または三昧死をとげたという。セレウコスが、彼の宮廷に派遣した大使メガステネースのインド見聞記の現存断片は、彼の帝国の実情を側面から伝えている。(世界史)
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