無料ブログはココログ

« 2019年8月 | トップページ

2019年9月18日 (水)

日日是好日

  森下典子のエッセイ「日々是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ」の映画化。典子はお茶を習い始めて二十五年。就職につまづき、いつも不安で自分の居場所を探し続けた日々、失恋、父の死という悲しみのんなで、気づけば、そばに「お茶」があった。題名となった禅語の「日日是好日」にちにちこれこうじつの意味は、毎日いい日が続いてけっこうなことだ、などといった浅い意味ではない。日日是好日とは、日々の苦しみ、喜び、楽しみなどというこだわり、とらわれをきっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地のことである。

2019年9月16日 (月)

勤務中も読書しなさい

P_minakamitakitaro    「人生は何事もなさぬにはあまりに長いが何事かをなすにはあまりにも短かすぎる」というのは中島敦の名言である。水原秋櫻子(1892-1981)の句に「余生なほなすことあらむ冬苺」がある。俳人として有名な水原だが、産婦人科の医師でもあった。文学者の「二足のわらじ」は医者が多い。軍医の森鴎外をはじめ、斎藤茂吉、木下杢太郎、木々高太郎、なだいなだ、クローニンなど。政治家では石原慎太郎、宗教家では今東高、瀬戸内寂聴、玄侑宗久など。水上滝太郎(画像)は、明治生命の近代化に多大な功績を残した実業家でもあった。出欠勤、遅刻、早退については、社員の意志に任すといった徹底した自由主義を貫き、一方で学問を奨励する。余暇に学問をするというのではなく、執務中でも余裕のある時には勉強をすべきだというのが彼の思想だった。「勉強しなくては駄目です。執務中でも、余暇があったら読書をしなさい」が彼のモットーだった。

 

 

おでんと凡人

 波乱万丈、貧乏暇なし、平々凡々と、人にはさまざまな人生があるものの、所詮はみんな同じ一生である。  江戸川柳に、「どぶろくとおでんは夜の共稼ぎ」がある。屋台の寒い冬には屋台のおでんが美味しい。ホトトギスの高浜虚子(1874-1959)には、何故かおでんの句が多い。虚子は若いころから酒好きであったが、大正8年に軽い脳溢血で倒れた。そのため大好きな酒はたしなむ程度にしたが、おでん屋でおでんを食べながら少量の酒を楽しんでいたようだ。虚子におでんの句が多いのは、平凡を愛する心が人生観となっているからであろうか。

 

  振り向かず返事もせずにおでん食ふ

 

  おでんやを立ち出でしより低唱す

 

  戸の隙におでんの湯気の曲り消え

 

  硝子戸におでんの湯気の消えていく

 

  志 俳諧にあり おでん食ふ

 

  おでんやの娘愚かに美しき

 

 

2019年9月15日 (日)

知性と教養って何?

Vitruvian20man    とにかく現代ほど知性と教養が求められる時代はない。池上彰や林修先生の冠番組がテレビで放送され、某大学教授が毎日のようにテレビ出演しているのを観ると、勉強している時間はあるのか、と心配したくなる。漱石・鷗外の時代に比べると、現代人は知性と教養が劣化したと感じるのは私だけだろうか。「知の巨人」伝説をもつ有名人といえば梅原猛、立花隆、荒俣宏、松岡正剛、渡部昇一、紀田順一郎、谷沢永一など多くいる。

   ルネサンスが生んだ偉大な天才レオナルド・ダ・ヴィンチの興味や関心は当時知られていた学問のほとんどすべての分野に及んでいる。レオナルドが残した手稿の大半が科学や技術に関するものである。そしてそこにはレオナルドの深い洞察力と自然に対する鋭い観察がある。

Marnold  イギリスのマシュー・アーノルドは19世紀繁栄をもたらした自由主義が本来の姿を失って、社会の各階級は物質万能の思想にとりつかれ、政治・経済・文化・宗教の各領域に混乱と無秩序が現出していることを憂い、この無秩序を教養によって救うことを説いた。主著「教養と無秩序」(1869年)では個人の教養の充実によって社会の文化もまた進歩するものと説いている。

    では常識や知識・教養とは何か。現代人はこのことにつねに悩む。若い人は学校などで教わる科目や授業内容で将来役に立つのだろうかと。また大学の進路で、人文科学・自然科学・社会科学のいずれを選択するのか。画家や音楽家になりたかったが、親のすすめで法学部や経済学部へ行ったという人も多いだろう。またクイズ問題が得意で、実社会では物知りと言われても、教養人とは言われないだろう。口語的に「あの人は教養がある」と言う場合は、人付き合いや社交の場において、洗練された会話や身のこなし、マナーのある人ができる能力をさすことが多い。だが人ウケがする話術だけが教養人の要素ではない。ある人は教養人とは「慎みと品格」である、と言っていた。その人が学習して得た知識をひけらかして得意満面の人間は教養を感じさせない。だからといって、過去の人類の知識をまったく貯蔵しなければおバカといわれる。つまり人格プラス知識の貯蔵庫、の両輪が求められる。功績を誇り学問をひけらかす人々は、人間としての価値を外面にだけ求めている。本来そなわっているまことの心を失わなければ、たとい功績や学問がなくても、それだけで立派な人生が送れることを理解していない。

   日本国際ギデオン協会という団体がある。日本人にはこの「ギデオン」がわからない。ギデオンとは旧約聖書・士師記に登場する12人の士師の1人。神からの召命を受け、当時のイスラエル人を近隣の部族の襲撃から守るリーダーとなった。わずか300人の兵で12万人のミデヤン人の軍勢を破った戦いは有名で、信仰の勇者として知られる。女士師デボラや怪力のサムソンの物語など教養として知っておくべきだろう。

異常なまでに高められた常識のことを、世間は知恵と呼んでいる(コールリッジ)

 

Matthew Arnold、5月2日

 

 

2019年9月14日 (土)

団結は力なり

英語のことわざ。Union is strength.

1人で何かをやるよりも、複数で団結する方が大きな力をもち、大きなことを成し遂げられる。もともとは古代ギリシアのころからいわれてきたことばで、ギリシアの詩人ホメロスの「イリアス」に、Union gives strength,even to weak men.(弱き者も団結は力を与う)とある。

 

2019年9月11日 (水)

喜怒哀楽の語源

Photo_3    近年、スポーツや音楽が盛んで、手拍子やガッツポーズなど高揚した感情を全身で表現することが多い。今年限りで引退する阪神の鳥谷敬はグラウンドで絶対に喜怒哀楽を見せない珍しい選手だった。喜怒哀楽は素直に表したほうがいいのだろうか。しかし、それは一瞬の感情でしかない。どんな喜びも、とどんな愛も、どんな命も、やがて終わりがきます。人は哀しみとともに生きているのです。「喜怒哀楽」という言葉は小学校で習う有名な四字熟語ですが、その出典や本来の意味は意外と知られていない。「中庸」第一章にあります。四書の一つで儒教で大切な経典です。とくに宋時代の朱熹がその重要性を説いている。中国の思想の大きな流れは、前漢に国教となった儒教であるが、後漢には訓詁学として盛んとなるが、次第に儒教は魅力を失い、仏教がひろく普及していく。とくに禅宗は、宋代に入って儒教、老荘思想とも結びついていた。南宋の朱子も若い頃は禅へ傾倒していた。進士となった朱子は、24歳のとき延平(福建省南平市)の李侗(1092-1163)の教えを受けた。李侗は、禅理をまくしたてる朱子に向かって「おまえは、宙に浮いた理屈ばかりをいうが、眼前の事実についてはなにもわかっていない。道は玄妙なものではない。ただ日用の間に着実に工夫することによって自然に会得できるのだ」と説く。それには「未発の気象」を養うことだという。「未発の気象」とは『中庸』の「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中という。発してみな節にあたる。これを和という」という言葉に基づくもので、感情の動く以前の、澄みきった、偏りのない心である。この心は「黙座して心を澄ます」ことによって体認される。禅理と共通するものをもちながら、しかも現実への着実な取り組みを説くこの教えは、朱子の学問の方向を決定するようになった。つまり「喜怒哀楽」とは、感情のおもむくまま、泣いたり、笑ったりしてはいけないことをいっているのである。(3月9日)

 

 

2019年9月 7日 (土)

苛砕に大体無し

かさいにだいたいなし。陳寿「三国志」魏書・梁習伝。重箱の隅をつつくように、細かいことをくどくどと言うような人は、大局的な見地に立ってものをみることができない。

« 2019年8月 | トップページ

最近のトラックバック

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30