佐久間艦長の遺書
福井県若狭町にある佐久間記念交流会館には海軍軍人、佐久間勉大尉の日記や遺品が展示されている。明治43年4月15日、佐久間大尉を艦長とする第6号潜水艇は山口県新湊沖で事故が発生。遭難の翌朝、引き揚げられた第六潜水艇には、乗組の佐久間大尉以下14名全員すでに殉職していた。潜水母艦「豊橋」に安置された艦長のポケットに発見された一冊の手帳には、沈没の原因、処置、その他が細かく記され、これが佐久間艦長の遺書として、後世にまでながく伝えられることとなった。この遺書の全文が、当時の全国の新聞が掲載されたとき、海軍当局は、潜水艇乗組員の士気の喪失を心配したが、反対にかえって若人の士気を鼓舞し、その後、潜水艇勤務を熱望する者が多くなったといわれる。
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