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2019年7月 1日 (月)

大阪城エレベーター設置は「大きなミス」か?

    現在の大阪の地は、古くは難波の津と呼ばれたところで、大陸との交通の玄関であった。仁徳天皇の都という伝えもある。7世紀中期の孝徳天皇の時代になると、大陸風の宮殿が建った。これは遺跡が発見された確かな事実である。日本の本格的な宮殿の最初といえる。さらに8世紀の聖武天皇の時代には、同じ位置で宮殿が建て替えられている。中世末の大坂には石山本願寺があって、強大を誇っていた。本願寺は現在の大阪城のところと推定されている。石山本願寺は織田信長の手に入り、続いて豊臣秀吉がここを政権の中心としての城とした。それは天正11(1583)年のことであるが、元和元(1615)年には豊臣氏とともにほろんでしまった。勝った徳川氏はここに城代を置き、西国地方を抑える要の地として城地を整備し、寛永7(1630)年に出来上がった。:再建された天守は寛文5(1665)年落雷で焼失、以後再建されることはなかった。主な城主・城代は、以下のとおり。豊臣秀吉、豊臣秀頼、松平忠明、内藤信正、阿部正次、青山宗俊、戸田忠寛、松平信篤、牧野貞明。

    大阪城の現在の天守閣は、昭和6年11月に復興されたものであり、鉄筋コンクリート造り、高さは56メートルにおよぶ。戦前は城域全体は日本陸軍が管理し、戦後は進駐軍が城を接収し、天守閣がふたたび公開されたのは昭和24年のことである。なお江戸時代までは「大坂」であったが、明治以後は「大阪」と書くようになった。安倍首相がG20サミットの夕食会で「大阪城にエレベーターを付けたことは大きなミス」と発言したことが話題になっている。本人はジョークのつもりだったようだが、バリアフリーがあたり前のご時世、列席した首脳も笑う人は誰もいなかった。これは近く復元される名古屋城にエレベーターを設置しないことを踏まえた発言かもしれない。復元の建造物にEVはありかなしか?名古屋城のように図面が残っており忠実に再現する場合と、大阪城のように戦国時代の正確な図面がない場合とは事情が異なる。昭和期にコンクリートで建造した大阪城は創作デザインなのでEVを設置したことは「大きなミス」と言えないのではないか。

 

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