禅譲放伐
中国の歴史は、夏、殷、周、春秋・戦国、秦、漢へと流れるが、これまで夏は伝説・神話の時代と考えられてきた。ところが、最近、黄河流域河南省の二里頭遺跡から夏王朝の王宮と考えられる遺跡と2万人以上の大集落が発見された。河南省では龍山文化→二里頭文化→二里岡文化→殷墟文化という発展段階が認められる。つまり二里頭文化をもって文献に認められる夏王朝に相当するとする説が有力となっている。じつは司馬遷の「史記・夏本紀」の中では、伝説の「五帝」の最後の王である舜から、治水の功績が認められて禅譲された禹が夏王朝を開いたとある。五帝がそれぞれ徳をもって国を治めた個人であるのに対し、禹は世襲によって王権を継いだという点で大きく異なる。17代続いた夏王朝は、最期の王・桀によりにより、呆気なく滅んだ。代わって新王朝を開いたのが、殷族の湯である。前1550年頃のことである。つまり堯・舜・禹・の交替が禅譲、夏・殷・周の交替は放伐とされる。
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