百済の義慈王
義慈王(ウィジャ)は百済の第31代、最後の王。在位641年~660年。660年に唐・新羅軍に滅ぼされる。「宮女と酒食に溺れて心ゆくまで楽しみ、酒を飲むことに際限がなかった」と三国史記にある。百済滅亡時に3千人の女官たちは、唐軍に追われて逃げ場を失い絶壁から身を投げたと伝わる。花びらが散るように美しかったことから落花岩(トックァアム)と呼ばれる。世界人物伝
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