仁徳陵の被葬者は仁徳天皇じゃないの!?
大阪府堺市にある仁徳天皇陵が世界遺産に登録された。日本最大の前方後円墳、仁徳天皇陵だが正式には堺市、羽曳野市、藤井寺市の三市にまたがる44基の古墳で「百舌鳥・古市古墳群」と呼ばれる。百舌烏の地には仁徳、反正、履中の3天皇陵が存在する。これまで仁徳陵から出土した宮内庁が保管している埴輪などを検討すると履中陵より新しい可能性がでてきた。つまり考古学的な調査からいうと、履中陵→仁徳陵→反正陵の順で築造されたことになる。真実を明らかにするためには、古墳を調査すればよいのだが、宮内庁は認めていない。仁徳天皇陵から明治年間に出土した人物形埴輪の頭部は、島田髷に似た髪型をしているが、これらは5世紀後半に当る埴輪編年Ⅳ期の特徴を備えている。仁徳陵は5世紀中頃と思われ、履中陵と同時期とする説もある。現在、教科書などでは仁徳天皇陵という呼び名はせずに、大仙陵古墳としている。
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