私を野球につれてって
本日は「ベースボール記念日」。1846年のこの日、公式な記録に残る史上初の野球の試合がニュージャージー州ホーボーケンで行われた。野球はアレクサンダー・カートライトが1842年にタウンボールを楽しむニッカ・ボッカ―・ベースボール・クラブという社交クラブを設立したことに始まる。1845年に決められたニッカ―・ボッカ―・ルールが現代の野球規則の下地になった。
フランク・シナトラ、ジーン・ケリー主演のミュージカル野球映画「私を野球につれてって」(1949)の主題歌は今でも大リーグ試合中の7回の攻撃の前に歌われる国民の愛唱歌である。映画の中で当時の大統領セオドア・ルーズベルト(1858-1919)が登場している。第26代大統領で在位期間は、1901-1909なので、今からほぼ100前のお話。エスター・ウィリアムズのクラシックな水着姿も美しい。他にベティー・ギャレット、エドワード・アーノルドが出演している。
だがなぜかこの映画は日本未公開だった。昭和24年といえば、赤バット・青バットで野球ブームが到来、笠置シズ子の「ホームラン・ブギ」が流れていた。フランク・オドール監督(1897-1969)率いるサンフランシスコ・シールズが来日。3Aのチームに対して日本は1勝10敗という結果に悔しい思いをしたものだ。
ところで映画の中のようにセオドア・ルーズベルトが熱心な野球ファンであったかは知らないが、第28代大統領ウッドロー・ウィルソン(1856-1924)には次のようなエピソードがある。
第一次世界大戦中のことで、大統領は好きな野球を見ることができなかった。だが、ある日、ワシントンで赤十字の基金を集めるための慈善試合が行なわれ、久しぶりに野球を見ることができた。ご機嫌でホワイトハウスに帰ってきたが、待っていたのは憂鬱な知らせであった。
「閣下、炭鉱のストライキで石炭が不足しています」
「大統領も、ストライキ三つでアウト、ということにならんもんかね」とウィルソンは補佐官にぼやいてみせたという。(6月19日)
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