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2019年6月18日 (火)

イギリスとスペインとの同盟

Aragon    イギリス(イングランド)では、ばら戦争終結後成立したテューダー朝のもとで中央集権化が進められ絶対王政が成立した。イギリス王ヘンリー7世の長男で王位継承者のアーサーは、1489年のメディナ・デル・カンポ条約によって、スペイン王フェルディナンドと女王イサベルの娘であるアラゴン王家出身のキャサリン(画像)と婚約した。この条約はたびたび更新された末に、1497年6月18日にヘンリー7世の手で裁可された。アーサーはまだ11歳で、キャサリンは1歳年上にすぎなかった。スペインとの同盟は明らかに、当時におけるヘンリー7世の外交政策のうえで重要な位置を占めていたのである。1501年に2人が結婚して5か月後、アーサーが死んだ。そこで、キャサリンはアーサーの弟のヘンリーと婚約させられた。この結婚は血族との理由で許されないはずだったから、教皇の特赦を得たに違いない。のちにキャサリンとの離婚問題からイギリス国教会が成立する。その後キャサリンは囚人扱いを受けても離婚を認めず、あくまで王妃としての毅然たる態度でイギリスにとどまり、信仰篤い修道生活に明け暮れた。(Catherine of Aragon)

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