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2019年5月17日 (金)

鎖国の歴史

Img_890339_14167499_0    1641年のこの日、江戸幕府は平戸のオランダ人を長崎の出島に移住させた。これで鎖国体制の完成をみた。

   江戸幕府は海外との貿易を統制し、日本船の渡航を禁止した。とくにオランダ人以外の西洋人が日本にくることを禁じ、オランダ人を長崎の出島に住まわせて、かつてに貿易することを禁じた。スペイン、ポルトガル、イギリスとの交渉は絶たれた。これは新教国オランダが日本との貿易を独占するため、旧教国の植民地主義を、国土侵略の実例であると宣伝したことが、幕府の外交政策、禁教令に反映していると説かれる。しかし16世紀のおける世界史状況を考えると、すでにスペイン、ポルトガルは衰退期に入っているのに反し、イギリス・オランダはその植民地を奪取しつつあって、むしろ新教国の植民地政策のほうが、はるかに恐るべき存在であった。以上の理由から、幕府関係者がオランダが新教国であるから安心であるとしたのではあるまい。島原の乱後ポルトガル船の来航を禁止し、それを一般国民に納得させるため、禁教問題が利用された。すなわちポルトガル・スペイン両国は、国土侵略を企図し、キリスト教はそれを主導する邪宗教であるから、これらの国とはいっさい交渉を絶つべきであるとし、以後江戸時代を通じて、キリスト教を極端に危険視した。オランダ・イギリスには当初、平戸・長崎の2港に限って貿易が許可されていたが、イギリスは日本向けの中国商品を入手する市場をもたなかったので、ついに赤字経営がかさなり、1623年に平戸商館を閉鎖した。オランダはこのころ台湾に基地を設置することに成功し、ここで中国とともに、江戸時代を通じてわが国と交渉を続けた。朝鮮とは1607年以後、宗氏の対馬を介して貿易が行われた。江戸時代は鎖国といわれるが、通商交易に関して言えば、長崎をはじめ、薩摩、対馬、松前の4ヵ所を拠点に貿易が行われていた。(5月17日)

1587年 豊臣秀吉が「バテレン追放令」を出す

1600  オランダ船リーフデ号、豊後に漂着

1604  糸割符制度を創設

1609  オランダ人に通商許可

1612 キリスト教の禁教令を出す

1613 イギリス人に通商許可

1616 明以外の外国船の来航地を長崎・平戸に限定

1623 イギリス、平戸の商館を閉鎖

1624 スペインの来航を禁止

1628 浜田弥兵衛、オランダ人マイツを台湾に捕縛、平戸に拘禁す

1633 奉書船以外の海外渡航を禁止

1635 すべての日本船の渡航を禁じ、帰国者は死刑、唐船も長崎に限る

1636 出島を築きポルトガル人を置く

1637 島原の乱

1639 ポルトガル人を追放

1641 オランダ人を出島に移す(鎖国の完成)

 

 

 

 

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