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2019年5月 9日 (木)

邪馬台国の位置

Photo_4  「歴史読本」が2015年秋号をもって休刊となった。同誌は年1回ペースで邪馬台国特集を組み、売り上げを伸ばしてきた。読者の最大の関心事は「邪馬台国はどこか」という謎解きであり、学者の数だけ邪馬台国の所在地がある、といわれた。しかし近年は邪馬台国ブームも沈静化した感があり、雑誌の売り上げも停滞するようになったのだろう。邪馬台国の所在地は九州北部説のほか近江、出雲、阿波や、海外説がある。哲学者・木村鷹太郎(1870-1931)が1910年に発表した邪馬台国エジプト説である。木村はギリシャ神話と日本神話の比較から古代の東アジア諸民族は太古に西方から移住したものだという見解を得ていた。この木村の珍説は、2010年、稲羽太郎の著書「卑弥呼とセべクネフェル女王」が刊行され、後継者が現われた。稲羽が卑弥呼と同一人物とみたセべクネフェルはエジプト第12王朝、BC1797年~1795年頃在位の女王である。また加治木義博は卑弥呼はインドから来たと唱えている(「真説日本誕生 黄金の女王・卑弥呼」1992年)。このほか加瀬禎子「邪馬台国はフィリピンだ」(1977年)もある。しかし2009年に纏向遺跡から大宮殿が発見され、畿内説が優位に傾きつつあった。だが再び九州説も巻き返しつつある。それは纏向遺跡は中央政府だが、邪馬台国は地方政権の一つで九州北部にあったという考え方である。魏の使者は畿内までは行かず、九州の様子をみて倭人伝を書いたとする。

 

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日本画家、安田靫彦の代表作「卑弥呼」が院展に出品されたのが1968年のことでこの時期、邪馬台国ブームは頂点に達していた。(木村「東西両大学及び修史局の考証を駁す 倭女王卑弥呼地理について」読売新聞1910年7月2日付より5回連載)

 

 

 

 

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