フランス王国と百年戦争
フランス王国の歴史は4つの王朝の時代に分かれる。カペー(987-1328)、バロワ朝(1328-1589)、ブルボン朝(1589-1792,1814-1830)、オルレアン朝(1830-1848)。およそ1000年にわたる王国の歴史で最大の事件はイングランドとの百年戦争である。百年戦争の原因は二つある。一つ目はアキテーヌ公領問題。スペインに近いフランス南西部のぶどう酒の産地ガスコーニュ地方を含む、イングランド王の知行アキテーヌ公領の領有権問題である。13世紀前半の一連の対仏の厖大な知行を失ったが、1259年の対仏パリ条約によって、それらを正式に放棄し、フランス王からの知行としてアキテーヌ公領のみを保持することとなった。13世紀末以降、公領内のイングランド王の支配権を弱め、公領を侵食しようとするフランス王と、公領をフランス王に義務を負った知行ではなく、自己の絶対的主権を置こうとするイングランド王との間の争いが激化した。公領は2度フランスに没収されたが、そのつどイングランド王に返還された。2つ目はフランス王位継承問題。1328年フランス王シャルル4世が死亡し、カペー王家の直系男子が絶えた。イングランド王エドワード3世は、シャルルの妹の子であることを理由にフランス王位継承権を主張したが、フランス貴族はこれを認めず、シャルルの父王の叔父の子バロア家のフィリップ6世を王に推戴した。イングランド王は一度はこれを認めたが、1337年フランス王がアキテーヌ公領没収を宣言すると、臣従を撤回してフィリップのフランス王位継承権を否定した。イングランド王は、ノルマンディーおよびガスコーニュ方面からフランスに侵入して、1453年まで続く「百年戦争」がはじまった。フィリップ6世はクレシーの戦い(1346年)で敗れ、ドーヴァー海峡に臨むカレーを占領されるなど苦戦を続けるが、百年戦争は結局フランスの勝利に終わる。この戦争を通じて英仏両国で国民意識が形成された。(Valois)
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