ブルガリアの三人
バルカン半島北東部に位置するブルガリアは、古来より交通の要地にあり、紀元前はトラキアと呼ばれていた。10世紀スラブ民族の大量移住とアジア系のブルガール族の国家形成によりブルガリア王国が成立した。長らくトルコの支配下にあったが1909年ブルガリア王国として国際的に承認された。二度の世界大戦には二度とも敗戦国となる。ブルガリアといえば琴欧州や碧山という力士が有名だが、現代史としては、フェルディナンド1世、ボリス3世、シメオン2世と名前を記憶しておこう。
ブルガリアの国王フェルディナンド1世(1861-1948)は、ドイツのザクセン・コブルク家の出身で、1887年第2代ブルガリア公に選出され、首相スタンプロフを失脚させて実権を握り親露政策をとった。1908年、オーストリアのボスニア・ヘルツェゴビナ併合に乗じて独立を宣言、国王となり、2度のバルカン戦争を通じてオーストリアに接近した。第一次世界大戦には、マケドニアの取得を目ざしてドイツ側に参戦したが、1918年敗戦により退位し、コブルクに帰った。
ボリス3世(1894-1943)は1918年父フェルディナンド1世の退位によって24歳で即位した。1934年親ドイツ派軍人の支持を得て親政を確立。第二次世界大戦では中立を模索するが結局枢軸国側で参戦。1943年、ヒトラーを訪問するが、その直後に急死する。心臓発作とされているが、暗殺説もある。
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