ポチョムキン村
戦艦ポチョムキンは1905年6月14日に起きた水兵たちの反乱でその名を知られるポチョムキン号。艦名は略称名で正式には「ポチョムキン・タヴリーチェスキー公」である。つまり人名で、グレゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキン(1739-1791)、ロシア帝国の軍人でエカテリーナ2世の愛人として知られる。女帝の1787年のクリミア視察にあたって、ポチョムキンはボール紙で急ごしらえの家をでっち上げて沿道に並べたといわれる。村の窮状を見せないようにしたのである。「ポチョムキン村」(Potemkin Village)とは「見せかけだけの作り物」の意味で用いられる。
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