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2019年3月 3日 (日)

井伊大老の死

 万延元年3月3日のその朝、彦根藩邸に、浪士襲撃を密告した手紙が投げ込まれたという。その文面は、水戸脱藩浪士の暗殺計画にふれ、警戒するよう忠告してあった。直弼は、水戸浪士が自分の命を狙っていることは承知していたが、自分の胸にしまったまま家臣にももらさず、登城の駕籠に乗り込んだ。供廻りの人員は規定どおりの数である。徒歩が26人、それに足軽、草履取り、駕籠かき含め、総勢60余名。そのうち最後まで大老の駕籠を護って奮戦したのは8名にすぎない。まったく無傷のものが8名もいて、このものたちは、浪士襲撃と見るや、「一大事でござる」と叫びつつ、藩邸へ駆けつけ注進したのはよいが、どこか隠れたり逃げたりして、事件後、どこからともなくあらわれ、同僚の死体の整理にあたっている。譜代大名のうちでもその威名を天下に知られたほどの彦根35万石の大藩・井伊家自体が、これほどにおとろえていたことをみるべきだろう。

   井伊直弼は駕籠に乗ったまま討たれ、その討たれ方に、銃撃を腰に受けて動けなかったとする説と、死を天命として受け入れたとする説がある。最初に駕籠目がけて斬り込んだのは、稲田重蔵であるが、直弼の首級をあげたのは有村次左衛門といわれている。その間わずか3分ほどの暗殺劇だった。吉村昭の「桜田門ノ変」によると、「有村次左衛門と広岡子之次郎が、濠の方から駕籠に走り寄り、刀を突き入れるのを見た。鉄之介には、駕籠でさえぎられて見えなかったが、有村が扉をひらいたらしく、うずくまって肩をしきりに動かしている。その動きに、やはり駕籠には井伊大老がいて、稲田(重蔵)の体あたりで致命傷を負い、外に出られなかったのだろう、と思った。(中略)有村が再び叫んだ。その顔には泣いているとも笑っているとも判じがたい異様な表情がうかんでいる。刀の先の首を見つめた鉄之介は、遂に井伊大老の首級をあげたのだ、とかすんだ意識の中で自分に言い聞かせた」と関鉄之介の日記をもとに描写している。

  有村、広岡はその後、重傷をうけて自害した。関は文久2年に斬首されている。(3月3日)

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