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2019年2月28日 (木)

モンテーニュの読書室

La_tour_de_la_librairie_au_chateau_    本日はエッセイ記念日。エッセイといえば、フランスのミッシェル・ド・モンテーニュの誕生日(1553年2月28日)に因んだものとか。1533年フランス南西部ボルドー近郊のモンテーニュ城館に生まれたモンテーニュはヨーロッパ各地を旅行し、見聞を広めた。1571年、官を辞し、モンテーニュ城館の塔に読書室(librairie)を造り、読書と思索の生活に入った。やがて「エセー(随想録)」の執筆を初め、「随想録」2巻が執筆した。サン・テミリオンの読書室の天井にはギリシア語、ラテン語の成句が書き込まれている。40近いこれらの銘文には、知識の不確実さ、生の無情さを強く説くものが多い。彼自身は「私は何を知るか(クセジュ)?」という表現を好んだ。これは、彼が常に真理探究の過程にある、という意味であった。(Montaigne,Bordeaux,Saint-Emilion,Que sais-je?)

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2019年2月27日 (水)

「ム」事項索引インデックス

Mapofmusandampeninsula   アラビア湾の入り口でホルムズ海峡に面したムサンダム半島はアラビア半島の一部で、大部分がオマーンの飛び地で、アラブ首長国連邦(アブダビ、ドバイ、シャルジャ、ラスアルハイマ、フジャイラ、アジャマン、ウムアルカイワイン)がある。▽ムスティエ文化は中期旧石器時代にヨーロッパを中心に広くひろがっていた文化。▽ムワッヒド朝は北アフリカとイベリア半島南部を支配したイスラム王朝(1130-1269)。▽ムズターグアタはパミール高原の東縁をかざるカシュガル山脈の高峰。標高7546m。1956年べレツキーが登頂に成功した。▽「むずむず脚症候群」じっとしていると脚にむずむずとした不快感や痛みが現れる慢性的な症状のこと。夕方から夜にかけて強くなることが多く、睡眠障害にもつながる。ドーパミンの機能低下や鉄分不足、遺伝的なものが原因と考えられているが、正確にはまだ解明されていない。▽ムーア人はイスラム軍が711年からイベリア半島を征服したとき、スペイン人はこれをモロスMorosとよび、これが英語ではムーアMoorsといわれた。もとはモロッコのマウリタニア地方のベルベル人をさすことばで、ローマ人もこれをマウリMauriとよんだ。▽「陸奥話記」前九年の役を扱った戦記物。▽ムリダンガムは南インドの太鼓。▽映画監督フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ムルナウ(1888-1931)は表現派的な怪奇ものを手がけたが、小市民の心理をついた「最後の人」(1924年)は無声映画史上の傑作。▽「ムリームリー」オーストラリア、アボリジニ神話の夢の精霊。▽「ムルマンスク」ロシアのムルマンスク州の州都。北極海の一部であるバレンツ海のコラ・フィヨルド東海岸に位置する不凍港。オーロラが見える。(むむむ)

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ムーア人
ムイスカ文化
ムウェル(湖)
ムエタイ
無学祖元
ムガル帝国
無窮動
無垢島(大分)
椋梨俊平
ムクノキ(樸樹)
むくみ(浮腫)
ムクンドラーム・チャクラバルティ
無限大
ムコ(墨湖) 韓国
向島百花園
武庫川
無作為抽出
ムササビ
武蔵野
ムサンダム半島
枲の垂衣(むしのたれぎぬ)
霧社事件
武者小路実篤
無重力
無条件降伏
無神論
ムズターグアタ(山)
ムスティエ文化
むずむず脚症候群
ムスリム商人
無声映画
ムーセイオン
ムソルグスキー
ムータンチャン(牡丹江)
むち打ち症候群
ムツゴロウ(鯥五郎)
ムッソリーニ
睦仁
陸奥宗光
陸奥話記
無敵艦隊
棟方志功
ムラビンスキー
村山槐多
ムーラン・ルージュ
無理数
ムリリョ
Mridangam ムリダンガム(楽器)
ムリームリー
ムルシア(スペイン)
ムルナウ
ムルマンスク
室生寺
室戸岬
室町時代
ムワッヒド朝
ムンク
ムンテニア公国(ルーマニア)
ムンプス難聴

東西文明の交流・シルクロード文献目録

101011160122625 世界の諸地域にはそれぞれの独特の文明が発展してきたが、それらは孤立したものでなく、現代から見れば緩慢ではあるが、政治・経済・文化にわたって伝播・交流をくりかえし、互いに他地域の文明と直接・間接に関連しながら現代にいたっている。古くは石器時代末期から青銅器初期にわたる彩陶文化があげられるが、ここでは甘粛省敦煌市にある仏教遺跡「敦煌莫高窟」の事例をふりかえってみよう。莫高窟・西千仏洞・安西楡林窟・水峡口窟など600あまりの洞窟があり、その中に2400余りの仏塑像が安置されている。開掘され始めたのは五胡十六国時代の355年あるいは366年とされ、その後、元代に至るまで1000年に渡って掘り続けられた。しかし永い歳月がたって、敦煌は忘れ去られたが、1900年5月26日に王円籙が発見し、このニュースは世界中に知れ渡った。オブルーチュフ(ロシア、1905)を初めとして、スタイン(イギリス、1907、1914)、ペリオ(ランス、1908)、ウォーナー(アメリカ、1922)等が敦煌写本の大部分を莫高窟から持ち去ったのである。

 敦煌を経て新疆に入ると、道は3つに分かれる。天山山脈を挟んで天山北路、天山南路、そして西域南道である。タクラマカン砂漠の北をトルファン、ウルムチ、コルラ、クチャ、アクスを経てカシュガルに到る天山南路を行きユーラシア大陸を横断する。

新疆探検記 橘瑞超 民友社 1912
西域発見の絵画に見えたる服飾研究 原田淑人 東洋文庫 1925
敦煌石室の遺書 石浜純太郎 大阪・懐徳堂夏期講座 1925
鳴沙余韻 敦煌出土未伝古逸仏典開宝 矢吹慶輝編著 岩波書店 1930
西域文明史概論 羽田亨 弘文堂 1931
塞外民族 岩波講座東洋思潮12  白鳥庫吉 岩波書店 1935
中央亜細亜の文化 岩波講座東洋思潮14  羽田亨 岩波書店 1935
新西域記 大谷探検隊報告 全2巻 上原芳太郎編 有光社 1937
敦煌秘籍留真 神田喜一郎 小林写真製版所 1938
十三世紀東西交渉史序説 岩村忍 三省堂 1939
西康西蔵踏査記 劉曼卿著 松枝茂夫、岡崎俊夫訳 改造社 1939
西域画聚成 結城素明 審美書院 1941
ゴビ沙漠探検記 澤壽次 東雲堂 1943
古代絹街道 アルベルト・ヘルマン著 安武納訳 霞ヶ関書房 1944
支那西域経綸史 上 曾問吾著 野見山温訳補 京都・東光書林 1945
大夏と月氏 駒井義明 京都謄写版 1953
ゴビ砂漠探検記 世界探検紀行全集11 スウェン・ヘディン著 梅棹忠夫訳 河出書房 1955
西域経営史の研究 伊瀬仙太郎 日本学術振興会 1955
中国西域経営史研究 伊瀬仙太郎 :巌南堂書店 1955
東西文化の交流 アテネ文庫 伊瀬仙太郎 弘文堂 1955
古代天山の歴史地理学的研究 松田寿男 早稲田大学出版部 1956
西域 中国の名画 熊谷宣夫 平凡社 1957
敦煌 中国の名画 長広敏雄 平凡社 1957
敦煌仏教資料 西域文化研究 西域文化研究会編 法蔵館 1958
敦煌 井上靖 講談社 1959
敦煌文献研究論文目録 東洋文庫内 敦煌文献研究連絡会編 1959
東方見聞録 青木一夫訳 校倉書房 1960
ゴビ沙漠綺譚 危険を買う8000キロの旅 アーサー・ブリーン著 山崎ミドリ訳 内田老鶴圃 1961
モンゴルから中央アジアへ 坂本是忠 地人書館 1961
シルクロード 東西文化のかけ橋 長澤和俊 校倉書房 1962
ゴビ砂漠探検記 秘境探検双書 ロジェトベンスキー著 南信四郎訳 ベースボール・マガジン社 1963
ゴビ砂漠横断 ヘディン中央アジア探検紀行全集6 スウェン・ヘディン著 羽島重雄訳 白水社 1964
西域佛典の研究 敦煌逸書簡譯 宇井伯寿 岩波書店 1969
西域 グリーンベルト・シリーズ 現代教養文庫 井上靖・岩村忍 筑摩書房 1963
敦煌美術の旅 北川桃雄 雪華社 1963
敦煌資料 1 中国科学院歴史研究所資料室 大安 1963
シルクロードと正倉院 林良一 平凡社 1966
西域 世界の文化15 水野清一編 河出書房新社 1966
シルクロード踏査記 角川新書 長沢和俊 角川書店 1967
スタイン敦煌文献及び研究文献に引用紹介せられたる西域出土漢文文献分類目録初稿 非仏教文献之部 文書類Ⅱ 東洋文庫敦煌文献研究委員会 1967
海のシルクロードを求めて 三杉隆敏 創元社 1968
西域 大世界史10 羽田明 文芸春秋 1968
西域 カラー版世界の歴史10 羽田明 河出書房新社 1969
西域仏典の研究 敦煌逸書簡訳 宇井伯寿 岩波書店 1969
埋もれたシルクロード 岩波新書 V・マッソン著 加藤九祚訳 岩波書店 1970
敦煌学五十年 神田喜一郎 筑摩書房 1970
シルクロードの詩(うた) 森豊 第三文明社 1971
西域 筑摩教養選 井上靖・岩村忍 筑摩書房 1971
敦煌の文学 金岡照光 大蔵出版 1971
絲綢之路 漢唐織物 新彊維吾尓自治区博物館出土文物展覧工作組編 文物出版社 1972
敦煌の民衆 その生活と知恵 東洋人の行動と思想8 金岡照光 評論社 1972
明代西域史料 明実録鈔 明代西域史研究会 京都大学文学部内陸アジア研究会 1974
おばあさんシルクロードを走る 森村浅香 日本交通公社 1975
アレキサンダーの道 アジア古代遺跡の旅 井上靖 文藝春秋 1976
古代遊牧帝国 中公新書 護雅夫 中央公論社 1976
敦煌出土于闐語秘密教典集の研究 論説篇・賢劫佛名経と毘盧舎那仏の研究 田久保周誉著 春秋社 1976
敦煌の旅 陳舜臣 平凡社 1976
シルクロード地帯の自然の変遷 保柳睦美 古今書院 1976
シルクロードのドラマとロマン 青江舜二郎 芙蓉書房 1976
遺跡の旅・シルクロード 井上靖 新潮社 1977
西域物語 新潮文庫 井上靖 新潮社 1977
西域紀行 シルクロードの歴史と旅 藤堂明保 日本経済新聞社 1978
シルクロード探検 大谷短剣隊  長沢和俊編 白水社 1978
敦煌千仏洞 萩原正三編著 シルクロード 1978
敦煌道経 目録編 大淵忍爾 福武書店 1978
敦煌の美百選 円城寺次郎編 日本経済新聞社 1978
シルクロード史研究 長澤和俊 国書刊行会 1979
シルクロードと仏教文化 岡崎敬編 東洋哲学研究所 1979
チムール帝国紀行 クラヴィホ著 山田信夫訳 桃源社  1979
敦煌道経 図録編 大淵忍爾 福武書店 1979
熱砂とまぼろし シルクロード列伝 陳舜臣 角川書店 1979
シルクロード 全6巻 日本放送出版協会  1980
シルクロードと仏教文化 続 岡崎敬編 東洋哲学研究所 1980
シルクロードと仏教 金岡秀友・井本英一・杉山二郎著 大法輪閣 1980
シルクロードのアクセサリー 砂漠の華 並河萬里 文化出版局 1980
敦煌の自然と現状 講座敦煌1 榎一雄編 大東出版社 1980
敦煌の歴史 講座敦煌2 榎一雄編 大東出版社 1980
敦煌の石窟芸術 潘絜茲編著 土居淑子訳 中央公論社 1980
敦煌の美術 莫高窟の壁画・塑像 常書鴻ほか 大日本絵画 1980
敦煌莫高窟 全5巻 岡崎敬・鄧健吾編 平凡社 1980-1982
シルクロード・絲網之路6 民族の十字路(イリ・カシュガル) 司馬遼太郎・NHK取材班 日本放送出版会 1981
シルクロードと日本 雄山閣 1981
シルクロードの文化交流 その虚像と実像 大庭脩編 同朋舎 1981
西域 人物と歴史 教養文庫 井上靖・岩村忍 社会思想社 1981
西安から敦煌へ シルクロード今と昔・上 車慕奇 小学館 1981
敦煌の絵物語 東方選書8 金岡照光 東方書店 1981
日本に生きるシルクロード 仏教・音楽・風俗の源流を訪ねて 鎌田茂雄ほか 廣済堂出版 1981
熱砂の中央アジア ユーラシア・シルクロード1 加藤九祚・加藤久晴 日本テレビ放送網 1981
魅惑のシルクロード(講談社ゼミナール選書) 長沢和俊ほか 講談社 1981
わたしのシルクロード NHK編 平山郁夫ほか 日本放送協会 1981
海のシルクロード 絹・香料・陶磁器 藤本勝次ほか 大阪書籍 1982
シルクロードと日本文化 森豊 白水社 1982
シルクロードに生きる  踏査記録 森田勇造 学習研究社 1982
西域美術1~2 敦煌絵画 大英博物館スタイン・コレクション ロデリック・ウィットフィード 上野アキ訳 講談社 1981
シルクロードの化粧史 シルクロード史考察18  森豊 六興出版 1982
トルキスタンへの旅 岩波新書 タイクマン著 神近市子訳 岩波書店 1982
敦煌莫高窟壁画 中国の文様3 上海人民美術出版社 美乃美 1982
敦煌石窟 美とこころ 田川純三 日本放送出版協会 1982
敦煌石窟 敦煌文物研究所編 鄧健吾文 平凡社 1982
敦煌石窟寺院 世界の聖域別巻2 柳宗玄、金岡照光 講談社 1982
敦煌の風鐸 常書鴻著 秋岡家栄訳 学習研究社 1982
果物のシルクロード 城山桃夫 八坂書店 1983
シルクロード踏査行 長沢和俊 くもん出版 1983
シルクロードの文化と日本 長沢和俊 雄山閣 1983
敦煌書法叢刊 全29冊 拓本 饒宗頤編 二玄社 1983-84
敦煌禅宗文献の研究 田中良昭 大東出版社 1983
敦煌・西蔵・洛陽 美と愛の旅1 瀬戸内寂聴 講談社 1983
シルクロードの風 カメラ紀行 平山美知子写真、平山郁夫挿画 読売新聞社 1984
西域紀行 旺文社文庫 藤堂明保 旺文社 1984
敦煌を語る 池田大作 角川書店 1984
アジアの奥地へ(西域を行く) 上 ユーリ・レーリヒ著 藤塚正道・鈴木美保子訳 連合出版 1985
シルクロードの謎 前嶋信次 大和書房 1985
塞外民族史研究 上下 白鳥庫吉 岩波書店 1986
三蔵法師の旅を旅する 杉本茂春 編集工房ノア 1986
.シルクロード考古学  全4巻 樋口隆康 法蔵館 1986
西安からカシュガルへ 旺文社文庫 長沢和俊 旺文社 1986
敦煌物語 中国の都城3 集英社 1987
敦煌資料による中国語史の研究 東洋学叢書 高田時雄 創文社 1988
敦煌・吐魯蕃発見社会経済史料集3(全2冊) 東洋文庫編 汲古書院 1988
ならシルクロード博覧会公式ガイドブック 財団法人なら・シルクロード博協会 1988
私のシルクロード 細呂木千鶴子著 大阪書籍 1988
流砂の楼蘭 玉木重輝 白水社 1988
敦煌の伝説 上下 陳鈺編 東京美術 1989
シルクロードの謎 光文社文庫 町田隆吉 光文社 1989
敦煌の文学文献 講座敦煌9 金岡照光編 大東出版社 1990
敦煌仏教の研究 上山大峻 法蔵館 1990
シルクロードの開拓者 張騫 田川純三著 筑摩書房 1991
西域 後藤正治写真集 日本カメラ社 1992
西域仏跡紀行 井上靖 法蔵館 1992
漢代以前のシルクロード 川又正智 雄山閣 2006
図説シルクロード文化史 ヴァレリー・ハンセン著 田口未和訳 原書房 2016
ユーラシア文明とシルクロード ペルシア帝国とアレクサンドロス大王の謎 山田勝久、児島建次郎、森谷公俊 雄山閣 2016
シルクロードに仏跡を訪ねて 大谷探検隊紀行 本多隆成 吉川弘文館 2016

女性雑誌の日

20101115_2089246     雑誌の休刊・廃刊が相次いでいる。インターネットや雑誌のデジタル版の普及で紙ベースの情報需要の低下が進行しているらしい。50年前の皇太子ご成婚とともに雑誌の創刊が相次ぎ、トップ屋という流行語も生れた。松本清張などの小説も雑誌の普及によるところが大きい。図書館では雑誌とはいわず遂次刊行物という。よく耳にする話として、「世界」や「中央公論」はどこでもバックナンバーはあるが、「女性セブン」「女性自身」「週刊女性」をみたくてもなかなか公共図書館で保存しているところがない、ということである。そこで私設図書館である大宅壮一文庫というのが非常に雑誌の保存に力を入れているところで、編集者に役に立つそうだ。しかし近年はインターネットの普及で利用者が減少し、経営難で存続の危機にある。お宝鑑定団で週刊テレビガイドを創刊から収集している人がいた。テレビ番組表などは一般には放送が済めば無価値に等しいが、テレビ史を研究する者には一級資料であろう。コレクションとしては、あまり経済的負担なしにユニークなコレクションができるであろう。ただし現在のように多チャンネル時代になり再放送ばかりとなって、テレビ番組表を保存する価値があるや、なしや、意見の分かれるところであろう。

Cd02aad5s   本日は「女性雑誌の日」。1693年のこの日、ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌「ザ・レディズ・マーキュリー」が創刊された。日本では明治17年、婦人雑誌「女学新誌」が最初である。翌年「女学雑誌」が出た。続いて明治20年「以良都女(いらつめ)」、徳富蘇峰の明治25年9月25日創刊の「家庭雑誌」が有名である。内容は男性目線の「家庭」と「良妻賢母」である。明治44年平塚らいちょうによって「青鞜」が、大正5年に「婦人公論」が出された。これらは女性の地位の向上と女性解放を目的としていた。こうした流れに対して、明治41年に羽仁もと子が「婦人之友」を創刊し、新しく家庭生活の改善など実用性を前面に打ち出して成功したのが明治43年創刊の「婦女界」であった。以後、大正6年に「主婦之友」、大正9年に「婦人倶楽部」が創刊された。戦後、女性誌の普及は一般雑誌をしのぐほどになる。昭和45年に創刊した女性ファッション誌「an・an」。雑誌名の由来は、当時ロシアのモスクワ動物園にいたパンダ「アンアン」からとった。なぜパンダの名前が雑誌名になったかというと、当時an・an編集部のスタッフが、黒柳徹子からはじめてパンダという動物の存在を知らされたから。「ロシアにパンダという動物がいて・・・」と黒柳の話を聞いて感銘を受けたことから、雑誌のタイトルを「an・an」に決めたという。(2月27日)

 

 

 

 

2019年2月26日 (火)

二・ニ六事件

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反乱軍は赤坂の山王ホテルを占拠し、司令部にしていた

    ニ・ニ六事件を起こした将校たちは「陸軍歩兵大尉野中四郎外同志一同」の名をもって「蹶起趣意書」を遺している。そこには「万民の生々化育を阻害して塗炭の痛苦に呻吟せしめ」ている「元老重臣軍閥官僚政党」の「君側の奸臣軍賊を斬除して」「彼の中枢を粉砕する」とある。この実現のため軍隊組織を最大限に動かし、兵器・弾薬を使用して決行したクーデターがニ・ニ六事件(昭和11年)である。

    それは昭和5年ごろから、軍人や国家主義者は、クーデータを計画し、暗殺を決行した。その主な事件は次のものである。

浜口雄幸狙撃事件(昭和5年11月14日)決行

三月事件(昭和6年2月~3月)          未遂

十月事件(昭和6年9月~10月)        未遂

満州事変(昭和6年9月18日)           :決行

血盟団事件(昭和7年2月、3月):      決行

五・一五事件(昭和7年5月15日)      決行

神兵隊事件(昭和8年1月~7月)    未遂

相沢事件(永田斬殺事件)(昭和10年8月12日) 決行

  そして昭和11年2月26日の複数の場所への一斉襲撃が、革新運動の最後・最大の事件であった。前夜から降り始めた雪は、東京で実に30年ぶりという大雪となり、その中を、第一師団隷下の歩兵第一、第三連隊の将校、兵を主力とする約1400名の兵士が決起した。岡田啓介首相、斉藤実内大臣、高橋是清蔵相、鈴木貫太郎侍従長、渡辺錠太郎教育総監の公邸、私邸を襲撃。河野大尉の一隊は湯河原の旅館に牧野伸顕前内大臣を襲った。いわゆるニ・ニ六事件である。

   参謀本部は、佐倉、甲府、高崎の連隊、約7000で叛乱軍を包囲し、説得を続けた。28日、天皇の奉勅命令が出されるや、反乱軍は降伏した。反乱軍を指揮した将校たちへの軍法会議は一審制、非公開、弁護士なし、であった。北一輝など民間人を含む19名の死刑、将校下士官は無期禁錮などに処せられる厳罰が下された。荒木貞夫、真崎甚三郎大将を頂点とする皇道派はここに壊滅し、陸軍はこの事件のもたらした脅威を最大限に利用して日本ファシズム体制を完成し、日本の全権力を握って、戦争へと突入していくのである。

2019年2月25日 (月)

菅原道真の怨霊伝説

0902142     菅原道真は901年に大宰府に左遷され、2年後、2月25日、59歳で薨死した。道真の死後、天変地異が多発したことから、無念の死をとげた道真の崇りだと人々が考えた。時平が909年に早世し、923年には醍醐天皇の皇太子が夭折し、930年に醍醐天皇が46歳で崩御した。 事態を重く見た朝廷は、道真の霊を鎮めるため、子孫を京都に呼び戻し、官位を追贈したほか、京都に北野天満宮を創建し、王城鎮護の神として祀るなど、道真への敬意を表わした。この名誉回復の結果、道真一族は、五男淳茂、長男高視の息・文時が文学博士となった。中世となると、菅原氏は紀伝道を家業とし、明治になると子爵を授けられ、一族は繁栄した。配流の地で悲運の死を迎えた道真が、毎日恩賜の御衣を捧持して君恩を忘れなかったという話は、学校教育の場で忠臣の姿として称賛され、広く知られる。

2019年2月24日 (日)

ビクトリア湖とタンガニーカ湖

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ナイル川の最上流はビクトリア湖に流入するルワンダ国のルヴィロンザ川である。長い間、ナイル川の源流は謎であった。1856年イギリスの探検家リチャード・バートン(1821-1890)とジョン・スピーク(1827-1864)はナイル川源流を探すため、アフリカ大湖沼地域を探検した。2人はタンガニーカ湖を発見したが、途中バートンは病気のため探検を中止した。結局、スピークが1人で探検し、ヴィクトリア湖を発見した。ビクトリア女王にちなんで名付けた。タンガニーカは、土語のコウタンガニーカ kou-tanganika(合流する)に由来するとしている。

    地図帳でみるとタンガニーカ湖は南北に細長い形をしている。それでも面積は琵琶湖の49倍、ビクトリア湖は102倍もある。地図帳のアフリカの縮尺は4000万分の1、琵琶湖の縮尺は100万分の1だから、日本人はアフリカを実際よりもずっと小さなイメージをもっているのである。タンガニーカ湖やマラウイ湖が細長い形をしているのには理由がある。いまからおよそ1000万年前、アフリカ大陸が南北に割れ始め、1年間に数センチずつ離れていった。グレート・リフト・ヴァレーと呼ばれる渓谷ができ、湖ができたのである。

 

外来語のメリットとデメリット

   71歳の男性が公共放送であるNHKが番組内で「リスク」や「ケア」など、外国語を使わなくても表現できる言葉を多用し、精神的苦痛があったとして141万円の慰謝料を求める提訴があったという。言いがかりのような気がするが、外来語の多用にも呆れることもある。コメンテーターなどが外来語を駆使したほうが賢くみえ、カッコイイ話法と勘違いしているふしがみえる。W杯初戦コートジボワールに敗戦。「ポテンシャル(潜在能力)を引き出す」「次回はパフォーマンスを見せる」「ポジティブになる」「プレッシャーをかける」「リスペクトする」とカタカナ語が氾濫していた。あさイチ特集「13人に1人がLGBT」で「カミングアウト」という外来語を多用している。最初の説明を聞き洩らしたのかもしれなが、途中からだと意味がわからなくて気になった。LGBTであることを告白するという意味で使っているらしい。最近よく耳にする「ハイブリッド」という言葉。もとの意味は「異なった要素を混ぜ合わせたもの」つまり雑種のこと。電気とガソリンで走るのでハイブリッド・カー。

   訴訟の例にあがった外来語はリスク(危険性)、システム(しくみ)、イブニング(夕方)、ケア(介護)、トラブル(問題)、コンシェルジュ(案内係)、アスリート(運動選手)、ディープ(深い)、コンプライアンス(法令順守)。いずれも今では頻繁に使用されているので、意味は解することができるが、この中で30年前なら日本語で使用した言葉がいくつもある。私が気になるのは「アウェイ」awayという言葉である。サッカーなどで相手の本拠地で戦うことで「敵地」。野球では「ビジター」といっていた。ドラマ「電車男」(2005)の中でオタク仲間が「場違いなこと」という意味で「アウェイ感がある」など使ったことから普及した。更にそこから派生して「苦手なこと」という意味でも使われる。「ビッチ」という言葉もわかりづらい。元来、性労働に従事する女性の蔑称であった。姦婦、淫売、売女を直喩的に罵しる言葉として使われた。すなわち、「男に媚び諂い、誰とでも同じ臥床で一夜を明かせる女子」という意味。ネットで使われる「ビッチ」は、単なる「糞女」という罵倒語。「モテキ」に使用する「ビッチ」も解釈は難しい。ドラマ版の小宮山夏樹(松本莉緒)は分かりやすいビッチだが、映画版の長澤まさみはビッチなのかピュアな天使なのか、解釈は二分している。

「ドメスティック」と聞くと瞬時に、「ドメスティック・バイオレンス」を連想してしまうが、本来domesticとは、「家庭的な」という意味。

She is a very domestic woman.

彼女はとても家庭的な女性だ

   「ドメスティック・バイオレンス」の影響で良いイメージのない外来語であるが、「ドメスティック」そのものに間違ったイメージを抱くことのないようにしたい。「ドメスティック・バイオレンス」も外来語ではなく、単に「家庭内暴力」と日本語を使うことをおすすめする。

シャニダールの花粉はネズミが運んだものだった!?

Photo_4   イラク北部クルディスターンにあるシャニダール洞窟で1960年に9体のネアンダルタール人骨が発掘された。そのうち4体は埋葬されたもので、化石とともに数種類の花粉が発見された。アメリカの考古学者ラルフ・ステファン・ソレッキは「ネアンデルタール人には死者を悼む心があり、副葬品として花を添える習慣があった」という報告をしたため、約6万年前のネアンデルター人が現代人と同じような感情があるものとして世界的に知られるようになった。だが近年になって、ソレッキの説を疑問視する学者もいる。ネアンデルタール人が埋葬をしていたことは事実であるが、花粉が死者を悼むための花であったかは疑問も多い。ネアンデルタールがDNA解析で現世人類と異なる系統にあること、現代人のような前頭葉を持たないこと、などが理由にあげられる。近年、これらの花粉は洞窟の中に巣くっていたネズミが持ち込んだものという説が出されている。

ネアンデルタール人の埋葬といえば、1938年発見されたウズベキスタンのテシク・タシュ(Tsehik Tash)も知られる。洞窟からネアンデルタール人の特徴をもつ子どもの頭の周りに6頭の山羊の角を立ててあった。A・オクラドニコフは葬礼の起源を示すものと考えている。(Shanidar,Neanderthalensis,Ralph Stefan Solecki)

 

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アノミア「岬」

   石川県の禄剛崎(ろっこうさき)は、能登半島の先端に位置し、日本海に面する岬。私の住んでいるところから一番近い岬は神戸の和田岬。一番遠いのは、宗谷岬、あるいは沖縄県の喜屋武岬。本州最北端は竜飛崎ではなく、大間崎。本州最南端は潮ノ岬。九州最南端は佐多岬。ユーラシア大陸の最東端はチュクチ半島にあるデジニョフ岬。最北端はチェリュスキン岬。最西端はポルトガルにあるロカ岬。最南端はマレーシアにあるピアイ岬。北アメリカ最北端はバロー岬(アラスカ)。最南端はホーン岬(チリ)。アフリカ最南端はアガラス岬。

誠忠・児島高徳の墓

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 「児島高徳」 羽石光志画

    児島高徳(生没年不詳)の実在性には疑問はあるが、備前の人、本姓は三宅、備前守範長の子といわれる。

    後醍醐天皇が隠岐に配流される途中、児島高徳は舟坂山や杉坂で救出しようと企てたが果たせず、せめて自分の覚悟なりともお知らせしたいと美作院庄(岡山県津山市)の宿所に潜入して、庭の桜の大木の皮を削って詩句を書きつけた。

天勾践を空しゅうすることなかれ。時に范蠡なきにしもあらず。

(天よ、どうか後醍醐天皇をお見捨てなきよう。天皇も范蠡のような忠臣がここにおりますことをお信じ下さい)

   翌朝、警護の武士たちが見つけて騒いでいたが、天皇はその意味がお分かりで、快げにお笑いになったという。

    1333年2月24日、児島高徳は、天皇が隠岐を脱出して船上山で旗を揚げると、一族を率いて馳せ参じ、千草忠顕や新田義貞に属して各地に転戦した。正平7年、兵を集めて入洛を企てたが、失敗した。戦いに敗れて剃髪し、志淳と称したというがその後の消息は分からない。現在、鳥取県米子市の涼善寺(岩倉町99)に児島高徳の小さな墓がある。

2019年2月23日 (土)

「え」 ファースト・ネームから引く人名一覧

334427_501   エイナル・ゲルハルセン(1897-1987)はノルウェーの政治家。オスロ市長となるが、ナチスの侵略後、罷免され、強制収容所で暮らした。戦後、首相となりノルウェーの戦後改革に貢献した。▽エドワード・G・ロビンソンは戦前のギャング映画スター。ルーマニア出身のユダヤ人で、本名はエマニュエル・ゴールデンベルク。Gとはゴールデンベルクだった。▽エドワード・テラー(1908-2003)Edward Tellerはハンガリー出身の核物理学者で「水爆の父」と呼ばれる。▽エドワード・テイラー(1642-1729)Edward Taylor アメリカの牧師・詩人。▽19世紀の小説家エミール・ガボリオは「ルコック探偵」などフランス第一の大衆的人気作家となり、今日の大衆文学の源流のひとつといえる。▽「エリアス・カネッティ」(1905-1994)ブルガリアのユダヤ系小説家。代表作「眩暈」「群衆と権力」。1981年ノーベル文学賞。▽「エル・ファニング」米国女優。ダコタ・ファニングの妹。「メアリーの総て」▽「エルマンノ・ヴォルフ・フェラーリ」はイタリアの作曲家。喜歌劇の多くは今日あまり演奏されないが、「マドンナの宝石」間奏曲はよく知られる。

エアハルト・エッツラウプ
エイヴィンド・ユーンソン
エイナル・ヘンリー・ゲルハルセン
エウセビウス・ソポロニウス・ヒエロニムス
エヴァ・アウリン
エヴァ・グリーン
エヴァ・メンデス
エヴァ・ロンゴリア
エヴァリスト・ガロア
エヴァン・レーチェルウッド
エヴァンジェリスタ・トリチェリ
エヴリヤ・チェレビー
エクトール・アンリ・マロ
エクトール・ギマール
エゴン・シーレ
エスコ・アホ
エスター・ウィリアムズ
エスター・ラルストン
エズラ・ルーミス・パウンド
エズラ・ファイヴェル・ヴォーゲル
エディー・アルバート
エディー・フィッシャー
エディー・マーフィー
エディー・レッドメーン
エティエンヌ・カルジャ
エティエンヌ・ルイ・アルチュール・ファロー
エディット・ピアフ
エド・ウェストウィック
エド・サリバン
エド・ハリス
エドヴァルド・ハーゲルッブ・グリーグ
エドヴァルト・ムンク
エドウィージュ・フイエール
エドウィン・ハッブル
エドウィン・ライシャワー
エドゥアール・ダラディエ
エドゥアール・ミシュラン
エドゥワール・マネ
エドガー・アラン・ポー
エドガー・ドガ
エドガー・ライス・バローズ
エドガートン・ハーバート・ノーマン
エードリアン・ブロディー
エドアルド・キヨッソーネ
エドアルド・シェワルナゼ
エドアルト・フリードリヒ・メーリケ
エドアルト・メーリケ
エドナ・パーヴァイアンス
エドマンド・カートライト
エドマンド・スペンサー
エドマンド・バーク
エドムンド・ウィリアム・ロス
エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール
エドモン・ロスタン
エドモント・カートライト
エドモンド・デ・アミーチス
エドワード・アップルトン
エドワード・アーノルド
エドワード・アレキサンダー・ウェスターマーク
エドワード・R・マロー
エドワード・イシンバエワ
エドワード・ウィッテン
エドワード・ウィンパー
エドワード・エルガー
エドワード・オールビー
エドワード・ギボン
エドワード・クック
エドワード・G・サイデンステッカー
エドワード・G・ロビンソン
エドワード・サイード
エドワード・ジェームス・オルモス
エドワード・ジェンナー
エドワード・シルベスター・モース
エドワード・ズウィック
エドワード・スタイケン
エドワード・スノーデン
エドワード・ソーンダイク
エドワード・テイラー(詩人)
エドワード・デボノ
エドワード・テラー
エドワード・ドミトリク
エドワード・ノートン
エドワード・バーンズ
エドワード・ヒース
エドワード・ファーロング
エドワード・フォックス
エドワード・フォーブス
エドワード・ホッパー
エドワード・ベレゴー
エドワード・モンタギュ
エドワルド・ハーゲルーブ・グリーグ
エバ・ガードナー
エバ・マリー・セイント
エバリスト・ガロア
エフィミー・ヴァーシリエヴィチ・プチャーチン
エフィム・プチャーチン
エフゲニー・プルシェンコ
エフゲニー・ムラヴィンスキー
エフゲニア・メドベージェワ
F・マーレー・エイブラハム
エフレム・ジンバリスト JR
エマ・ストーン
エマ・チャンバース
エマ・トンプスン
エマ・ロバーツ
エマ・ワトソン
エマニュエル・ウンガロ
エマニュエル・セイナー
エマニュエル・ド・クルーシー
エマニュエル・ベアール
エマニュエル・マクロン
エマニュエル・リバ
エマヌエル・デ・ウィッテ
エーミー・アーヴィング
エーミー・アダムズ
エーミー・マディガン
エーミー・ロケイン
エミリア・フォックス
エミリアーノ・サパタ
エミリー・ドゥケンヌ
エミリー・ブラント
エミリー・ブロンテ
エミリー・ロイド
エミリー・ワトソン
エミリオ・アギナルド
エミリオ・エステヴェス
エミール・アドルフ・フォン・ベーリング
エミール・アントワーヌ・ブールデル
エミール・ガボリオ
エミール・ガレ
エミール・クストリッツァ
エミール・ザトペック
エミール・テオドール・コッハー
エミール・デュルケーム
エミール・ハーシュ
エミール・ブルンナー
エミール・ベーリング
エミール・ヤニングス
M・ナイト・シャマラン
エラ・フィッツジェラルド
エラリー・クイーン
エラリー・チャン
エリア・カザン
エリアス・カネッティ
エリアス・リョンロート
エリオ・ディルボ
エリオット・グールド
エリサ・ランディ
エリザベス・ヴァイニング
エリザベス・シュー
エリザベス・テーラー
エリザベス・パーキンス
エリザベス・バークレー
エリザベス・ハーリー
エリザベス・バンクス
エリザベス・ボウエン
エリザベス・マクガバン
エリザベス・モンゴメリー
エリザベータ・トゥクタミシェワ
エリシャ・オーチス
エリック・クラプトン
エリック・サティ
エリック・ストルツ
エリック・バーナ
エリック・ロメール
エリナー・パーカー
エーリヒ・ケストナー
エーリヒ・ゼーリヒマン・フロム
エーリヒ・フォン・シュトロハイム
エーリヒ・フロム
エーリヒ・ヘッケル
エーリヒ・ホーネッカー
エーリヒ・マリア・レマルク
エリファレット・レミントン
エル・グレコ
エル・ファニング
エルヴィス・プレスリー
エルヴィン・シュレディンガー
エルヴィン・フォン・ベルツ
エルヴィン・ロンメル
エルケ・ソマー
エルザ・スキャバレッリ
エルザ・マルティネッリ
エルズワース・ハンティントン
エルダル・シェンゲラーヤ
エルナン・コルテス
エルノー・ルービック
エルビス・プレスリー
エルマー・バーンスタイン
エルマンノ・ヴォルフ・フェラーリ
エルマンノ・オルミ
エルンスト・アッベ
エルンスト・エンゲル
エルンスト・ルスカ
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
エルンスト・ルビッチ
エレイン・ローブル・カニグズバーグ
エレオノーラ・ロッシ・ドラーゴ
エレン・バーキン
エレノア・ルーズベルト
エレン・バーンスティン
エレン・ページ
エロール・フリン
エンゲルベルト・ケンペル
エンゲルベルト・フンパーディンク
エンツォ・アンゼルモ・フェラーリ
エンリコ・カルーソ
エンリコ・ダルガス
エンリコ・フェルミ

 

 

茶色の小瓶

   ビールのコマーシャルでよく聞く曲である。原曲はアメリカの音楽家ジョセフ・イーストバーン・ウィナーが1869年に発表した楽曲。茶色の小瓶とは酒瓶のことで、いつも小瓶を腰にぶら下げて、酒がやめられないという呑兵衛の酒ソング。禁酒法時代に好まれたが、1939年、グレン・ミラーがアレンジを加えて演奏した曲が世界的にヒットした。日本では「こんにちはやまびこん」という別な歌詞で合唱曲であったが、吹奏楽でしばしば演奏され、世代を超えて親しまれている名曲となった。

人間万事塞翁が馬

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   人間の一生のうちで、何が幸福になり、何が不幸になるかは予測がつかず、簡単には決められない。禍福は定まりなく、変転するものだから、安易に喜んだり悲しんだりすべきでないということ。出典は、「淮南子」人間訓にある。「人間のあらゆること(人間の禍福)」を意味する「人間万事」を加えて、「人間(じんかん)万事塞翁が馬」とも言う。元の僧、熙晦機の詩「人間万事塞翁が馬、推枕軒中雨を聴いて眠る」がある。「世の中は幸と不幸が、かわるがわる起こる。あれこれ考えないで、そろそろ落ち着いて、自然のまま、雨風に耳を傾けて日々暮らす」という意味か。「推枕軒」とは熙晦機の書斎兼居間の雅称か。

脳に危険なスマホ依存症

 スマホを四六時中使っていないと不安になるスマホ依存症が問題になっている。スマホ依存が「もの忘れ」を引き起こす原因になるらしい。その「もの忘れ」はスマホ認知症だった(青春出版社)の著者奥村歩医師が解説する。「私が開設している「もの忘れ外来」の患者さんは、かつては大半が認知症の不安を抱えた高齢者の方たちでした。ところが、5年ほど前から30代から50代の働き盛り世代が目立つようになり、現在は約5割が65歳までの世代。皆さん、自分はアルツハイマー型認知症ではないか、心配して来館される患者さんです」だが、MRIで脳の状態を検査しても、アルツハイマー型認知症の特徴である、記憶をつかさどる脳の海馬部分の萎縮は見られない。「そこで患者さんに聞き取りをすると、皆さん、それこそ食事中だけでなく、トイレやベットの中でも肌身離さずスマホを操っているヘビーユーザーだという共通点が見られたのです」奥村医師はこれを「スマホにより脳が過労している状態」とし、「スマホ認知症」と名付けた。過度にスマホを使用すると脳過労になる。その大きな要因が、脳の中にある前頭前野への影響だ。いわば脳の中にゴミをためている状態になっている、と医師は指摘する。

ダコダ・ファニングの誕生日

    本日はハリウッド女優ダコダ・ファニングの誕生日。7歳でデビューした彼女も25歳のお年頃。新作は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」1969年夏のロサンゼルスが舞台であのシャロン・テート殺人事件を題材にしている話題作。レオナルド・ディカプリオやブラッド・ピットら豪華スターが多数出演する。(2月23日)

グーテンベルク「ワインと印刷」

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  アメリカの書誌学者ダグラス・C・マクマートリーは「人類の文化史上、重要さの点で活版印刷術の発明に勝る大きな出来事はない」と言い、イギリスの評論家トーマス・カーライルは「近代文明における偉大な3要素は、火薬と印刷と新教徒の宗教である」と言っている。

   長い間いろいろな説があったが、今日では、ドイツの金属職人ヨハネス・グーテンベルク(1399-1468)を印刷術の発明者とするに異議をはさむ者はほとんどいない。グーテンベルクが発明した印刷機は、オリーヴやブドウの搾り機からヒントを得て、木製の平圧式印刷機を作った。金属の活字にインクを付け、紙に押しつける、この技術がブドウ搾り機によく似ている。その実用化は一般に1445年頃とされる。これを企業化させたのは、ヨハン・フスト(1400-1466)とペーター・シェッファ(1430頃-1503)で、彼らはグーテンベルグから未完のまま引き継いだ「グーテンベルグ42行聖書」(1455年刊)を完成させ、「聖詩篇」(1457年刊)、「48行聖書」(1462年刊)、その他数多くの書物を刊行した。(2月23日、Johannes Gutenberg)

2019年2月22日 (金)

雑学教室 第43集

Trivia  山本譲二、角川博、前川清。演歌歌手には高校時代野球経験のある人が多い。▽大江千里の妹の名は万理。ふたりあわせて千里万里。▽アルベルト・シュヴァイツァーはサルトルの母といとこ同士。▽タラバガニは英語でKing Crab。つまり「カニの王様」。本当はタラバガニ(足が8本)はカニ(足が10本)ではなく、ヤドカリの仲間。▽ハリネズミはネズミと付くが生物学上はモグラに近い。▽赤穂義士の吉良邸討ち入りの日、史実では雪は降っていなかった。歌舞伎の演出によるものである。▽翔んで埼玉。埼玉県は昼夜間人口比率が全国で最も低い。▽ピタゴラスの定理は彼自身の発見かどうかは疑わしい。

250pxthe_isleworth_mona_lisa ▽スイスのモナリザ財団が「若きモナリザ」(アイルワースのモナリザ)はダ・ヴィンチ本人が描いた真筆であると発表した。つまりダ・ヴィンチは2枚のモナリザを描いたことになる。ところでルーブル美術館のモナリザは誰によって日本に紹介されたのかわからない。文献上で夏目漱石の「永日小品」(1909)より以前の記述が見つからない。漱石は薄笑いをした気味の悪い絵と評している。▽晩年のマネはリウマチにより歩行が困難になり、左足を切断している。▽日本プロ野球初の逆転満塁サヨナラホームランを打ったのは巨人の川上哲治である。▽大学の合格通知に電報を使ったのは、1956年、早稲田大学が事の始まり。そのときに「サクラサク」という表現を使い、それが全国へ広がった。(雑学ブログ)

「フ」事項索引インデックス

Dolce_vita_021[  ふ  ]

   「フィリッピの戦い」前42年、カエサルを暗殺したブルトゥスがアントニウスに敗れる。▽イタリアの監督フェリーニはデカダンのローマを好んでテーマとし、1960年の「甘い生活」でカンヌ映画祭グランプリを受賞。▽「フィトンチッド」微生物の活動を抑制する作用をもつ、樹木などが発散する化学物質。▽「フェーン現象」山を越えて風が吹くとき、山の風下側では気温が高く、湿度が低くなる現象。▽「フィウメ問題」第一次大戦後のフィウメの領有をめぐるイタリア・ユーゴスラビア間の紛争。▽「ファイアストン」ゴム会社でタイヤ製品。▽「ファン・アイク兄弟」油彩画法を初めて確立。▽「プロジェクションマッピング」パソコンで作成したCGとプロジェクターの様な映写機を用い、建物などに映像を映した出すこと。▽「フェートン号事件」1808年8月15日イギリスの軍艦の長崎侵入事件。日本の警護体制の弱点が露呈した。▽「フナフティ島」南太平洋のエリス諸島にあるツバルの首都がおかれる小島。フナフティ国際空港がある。▽「BRICS(ブリックス)」経済発展が著しいブラジル(Brazill)、ロシア(Russia)、インド(India)、中国(China)の頭文字を合わせた4カ国の総称だったが、2011首脳年4月中国の北京でおこなほれた4カ国首脳会議に南アフリカ共和国(South Africa)が初参加したことにともない、正式名称がBRICsからBRICSとなった。▽「筆島」伊豆大島にある筆のような形をした高さ30mほどの岩礁。▽「ブディ・ウトモ」1908年ジャワ島において知識人が中心となって結成された民族主義団体。

 

Choco ▽海洋の原生生物や動物性プランクトンは、これまでに知られている約1万1千種類を大幅に上回り、約15万種類が存在するとみられることが、フランスやドイツ、日本などの国際チームによる大規模な調査で明らかになった。▽「フェアトレード商品」発展途上国の原料や製品を適正な価格で購入することによって、生産者の持続的な生活向上を支える仕組みをいう。▽「ブロッケン現象」太陽などの光が雲や霧によって散乱され、人の影の周りに虹色の光の輪が現われる現象。▽「風信帖」京都の教王護国寺が所蔵する空海の三通の自筆の書状。宛所を欠くが、いずれも最澄あてのものと思われる。▽「ブイヤベース」南仏プロヴァンス地方の海鮮料理。▽「普通の女の子に戻りたい」人気グループ・キャンディーズが1977年7月にファンの前で突然引退を宣言したときに言った言葉。▽イタリアの数学者フィボナッチ(ピサのレオナルド)が「算術の書」(1202年)で「0(ゼロ)}を西欧に紹介した。▽「粉本主義」粉本と呼ばれる絵画手本や古画から構図や図様を学び描くもので、否定的な評価として「粉本主義」と呼ばれることが多い。御用絵師として画家の技術を一定の水準に保つためのものであったが、しだいに画一的で創造性の乏しい作品しか生み出さないようになる。江戸期狩野派や土佐派について語られることが多い。▽「ブラーフミー文字」前4世紀のマウリア朝から後5世紀グプタ朝に至るまで長く用いられたインドの文字。▽「フリーア美術館」米国ワシントンDCにある美術館。アジアの古美術品を多く所蔵する。▽「不染鉄」郷愁を誘う風景を壮大かつ緻密に描いた幻の日本画家。1891-1976。(ふふふふ)

 

ファイアストン
ファイユーム
ファウスト
ファゴット
ファシスト
ファシズム
ファショダ事件
ファッション
ブーア戦争
ファーティマ朝
ファラオ
ファラスタ党
ファラデーの法則
ファランクス(密集陣形)
ファリサイ派
ファルサロスの戦い
ファルスター島(デンマーク)
ファルセット(裏声)
ファン・アイク兄弟
ファン・デルワールスの状態方程式
ファン・バン・ドン
フィウメ問題
フィーエルヤッペン
フィギュアスケート
フィッツジェラルド
フィッツナウ・リギ鉄道
フィードバック
フィトンチッド
フィニアン主義
武韋の禍
フィボナッチの数列
フィヨルド
フィラデルフィア
フィラリア症
フィリッピの戦い
フィリップス電気会社
フィリピン
フィールド自然史博物館
フィレンツェ
ブイヤベース
フィンランド
風信帖
風説留
フェアディール政策
フェアトレード商品
賦役黄冊
フェートン号事件
フェナス石
フェニキア
ブエノスアイレス
フェノロサ
フェビアン協会
フェヒナーの法則
フェルドゥスィー
プエルトリコ
フェーン現象
フォンタネージ
プガチョフの乱
溥儀
プクサールの戦い(1764年)
福沢諭吉
福島事件
富国強兵
富士山
伏見城
藤原京
二葉亭四迷
双葉山定次
プチャーチン
普通選挙
普通の女の子に戻りたい
伏羲(ふつき)
仏教
ブディ・ウトモ
筆島
風土記
フナフティ島(ツバル)
不入の権利
富本銭
ふみ絵
不輸不入の権
ブラーフミー文字
ブラックホール
プラッシーの戦い(1757年)
プラトン
プラナリア
フラメンコ
フランク王国
Plankton62プランクトン
フランシスコ・ザビエル
プランタジネット朝
フランドル
フリーア美術館
ブリガダ症候群
ブリキの太鼓
ブリザード
ブリスツイードミル
ブリックス
ブリューゲル
ブルーインパルス
ふるさと納税
プレオブラジェンスカヤ教会
プレスター・ジョン
プレスリー,エルビス
プレリアール22日法
プロシア
ブロッケン現象
プロテスタント
プロビデンスの目
プロブレマティカ(未詳化石)
プロ野球
プロレス
プロレタリア文学
フロンティア(新開地)
フロンドの乱
文永の役
文化大革命
文化・文政
文芸復興
豊渓里(プンゲリ)核実験場
フン人
フンボルト海流
粉本主義
文明開化
文禄の役

 

 

猫の日

A0250573_16393   本日2月22日は「にゃん、にゃん、にゃん」の語呂合わせで「猫の日」。終日なにもしないでゴロゴロ過ごそう。身近なペットといえば犬と猫で、犬が987万頭、猫が984万頭のペットがいる。猫より犬のほうが多いが、なぜか猫に関する慣用句の方が多い気がする。「猫に小判」「猫の額」「猫と鰹節」「猫の手も借りたい」「猫の目」「猫も杓子も」「猫を被る」などなど。

   むかしは路地のあちこちで野良犬や野良猫を見かけたが、最近は見かけなくなった。動物捕獲業者が夜中に攫っていくのだろう。とくに猫は三味線の皮にするので高く売れる。動物愛護の観点から問題があるが、野良犬・野良猫が減ることは衛生上からは望ましい。犬・猫の居住率が高まったの世話をする飼い主が増えたこともあるだろう。猫カフェ、猫タクシー、グーグーだって猫である、などなどの映画・漫画も作られ、猫好きの人が増えた。

中国漢籍図書目録

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 天一閣。門には「南国書城」の額がある

   天一閣は明の寧波の豪商、范欽(1506-1586)が1561年から1566年にかけて創建した蔵書楼。現存するアジアでも最古の図書館の一つといえる。蔵書家の多いことで知られる浙江省鄞県でも天一閣が珍しい書物が集められていることから、当時から天下第一といわれ、それが命名の由来である。天一閣の前庭に池があるのは防火対策である。蔵書内容は嘉靖・万暦年間(1522-1619)に刊本されたものが多く、旧鈔本、金石拓本、明代の地方志、科挙関係資料などが多数ある。清の四庫全書の編纂には天一閣の図書を参考にし、文淵閣はこの楼閣にならって作ったといわれる。

    中国漢籍目録

愛日精盧蔵書志 36巻 張金吾 清・嘉慶道光年間
安雅堂集 19巻 宋琬  清
晏子春秋 作者未詳 戦国
晏子春秋音義 2巻 孫星衍  清
安南史略 19巻 安南黎崱撰 元
安陽集 50巻 韓琦 北宋
安陸集 1巻 付録1巻 張先 宋
伊尹書 玉凾山房輯入佚書87所収 殷 
郁離子 10巻18篇 劉基
夷堅志 420巻 洪邁撰 宋
委巷叢談 1巻 田汝成撰 明
夷門広牘 106巻 周履靖編 明(1597年)
韻語陽秋 20巻 葛立方撰 宋
陰騭録 袁了凡 明
隠秀軒詩 10巻 鐘惺撰 明
蟫史 11巻 穆希文撰 明
陰騭録 袁了凡  明
陰符経考異 1巻 朱熹 宋
韻府群玉 20巻 陰時夫撰 元
雨窓欹枕集 洪楩 明
尉繚子(うつりょうし)
雲烟過眼録 4巻 周密 宋
雲笈七籤 120巻 張君房 宋
瀛涯勝覧 1巻 馬歓撰 明
嬴奎律髄 49巻 方国撰 元
剡源集 30巻 戴表元 元
円機活法 24巻 王世貞 明
弇山堂別集 100巻 王世貞  明
弇州山人四部稿 174巻 王世貞  明
塩邑志林 樊維城編  明
王忠文公集 20巻 王褘(金華叢書集部所収)  明
女四書 4巻 王相・編  清
女論語 曹大家撰 説郛所収 後漢
戒庵漫筆 8巻 李翅撰 説郛・常州先哲遺書所収  明
音論 3巻 顧炎武 清
解学士全集 11巻 解縉  明
開漢一笑 上下とも14巻 李贄  明
開元天宝遺事 4巻 王仁裕撰 五代
懐香記 2巻 陸采撰 明
艾子後語 陸灼撰  明
艾子外語  屠本畯撰  明
海内十洲記 1巻 伝・東方朔 前漢(百子全書・漢魏叢書所収)
開闢演義 周遊  明
霞客遊記 12巻 除宏祖撰  明
花間集 10巻 趙崇祚編 (四部叢刊所収) 後蜀
格致叢書 胡文煥  明
学蔀通辨 12巻 陳建撰  明
何氏語林 30巻 何良俊撰 明
画禅室随筆 4巻 董其昌撰  明
漢官七種 孫星衍編 清
漢官答問 陳樹鏞 
漢魏叢書 何鏜  明
漢魏六朝七十二家集 347巻 張燮撰 明
漢魏六朝百三名家集 80巻 張溥編 明
漢舊儀補遺 孫星衍 清
漢州志40巻 劉長庚 清
漢詔疏 陳衍 明
漢書正誤 王峻 清
漢書地理志稽疑 全祖望 清
漢書補注 王先謙 清
官場現形記 李宝嘉 清
漢晋迄明諡諱考 劉長華  清
邯鄲記 2巻 湯顕祖 明
漢唐事箋 朱禮 元
季漢書 60巻 謝陛撰 明
居業録 余祐編  明
蛾術編 82巻 王鳴盛撰 清
冀州風土記 盧植 漢
求古録 顧炎武撰 清
金匱要略 張機撰 漢
今古奇観 40巻 抱甕老人撰 明
金史 135巻 托克托(トクト)等奉勅撰 元
欽定続文献通考 250巻 嵆璜等奉勅撰 清
金瓶梅 蘭陵笑笑生 明
郡齋読書志 4巻 後志2巻 考異1巻 付志1巻 晁公武撰 宋
訓纂篇 揚雄撰 漢
藝苑巵言 王世貞  明
闕里誌 24巻 陳鎬撰  明
元史 210巻 宋濂王褘等捧勅撰
元史新編 95巻 魏源撰 清
元詩紀事 2巻 銭大昕撰 清
兼明書 5巻 邱光庭撰 唐
孔叢子3巻 孔鮒撰 後漢
呉越春秋 趙皣  前漢
元朝秘史 15巻 元
古逸叢書 200巻 黎庶昌 黎氏日本東京使署 1882-1884
考異 2巻 王夫之 清
項羽都江都考 劉文淇 清
広漢魏叢書 何允中  明
孝経 1巻 漢
皇極経世書 12巻 邵雍撰 宋
孔子家語 10巻 前漢
皇朝文衡 100巻 程敏政編  明
皇朝類苑 78巻、目1巻 江少虞撰 宋
耕養斎集 王鳴盛 清
古楽府 10巻 左克明撰 元
後漢紀 30巻 袁宏撰 晋
後漢書・志 司馬彪 晋
五経大全 117巻 胡広  明
古今韻会挙要 30巻 元
古今歳時雑詠 46巻 蒲貫中編 宋
古今雑劇三十種 元
古今事文類聚  祝穆
古今小説  40巻  明
古今書刻 上篇1巻、下篇1巻 周弘祖撰 明
古今詞話 8巻 沈雄編 清
古今説海 142巻 陸楫撰  明
古今談概 馮夢龍撰 明
古今治平略 33巻 朱健撰 明
古今注 3巻 崔豹撰 晋
古今通韻 12巻 毛奇齢撰 清
古今列女伝 解縉等奉勅撰  明
五雑俎 16巻 謝肇淛撰 明
古詩源 14巻 沈徳潜撰 清
古微書 36巻 孫殻編 明
古文苑 21巻 唐
古文関鍵 2巻 呂祖謙
古文孝経 1巻  漢
古文真宝 20巻 黄堅
古列女伝 7巻 劉向  前漢
困学紀聞 20巻 王応麟
顧氏文房小説 顧元慶編 明
五車韻瑞 160巻 凌稚隆撰 明
五代会要 30巻 王薄
五代史 薛居正
菜根譚 洪自誠  明
斉民要術 10巻 賈思勰 後魏(北魏)
西遊記 呉承恩  明
冊府元亀 1000巻 王欽若等奉勅撰 中華書局 1960
山谷集 70巻 黄庭堅
左氏伝解詁 30篇 賈逵  後漢
三体詩 6巻 周弼
三輔黄図 6巻 唐
三輔決録 2巻 趙岐  後漢
三略 3巻 黄石公
雑学辨 1巻 朱熹
雑事秘辛  楊慎  明
三国志 65巻 陳寿撰 晋
三国志演義 羅漢中 明
三才図絵 106巻 王圻  明
山堂肆考 228巻、補遺12巻 彭大翼撰  明
爾雅翼 32巻 羅願撰 宋
左氏蒙求 2巻 呉化龍 明
詩格 10巻 王昌齢撰 唐
史記 130巻 司馬遷
史記考要 柯維騏  明
史記索隠 30巻 司馬貞 唐
史記正義 130巻 張守節 唐
史記評林 130巻 凌稚隆編 明
史糾 6巻 朱明編 明
資治通鑑 294巻 目録30巻 考異30巻 司馬光
資治通鑑綱目 59巻 朱熹
詩集伝 8巻 朱熹
四書集注 19巻 朱熹
四書大全 36巻 胡広等奉直勅撰 明
詩人玉屑 20巻 魏慶之
字説 20巻 王安石 宋
詩藪 胡応麟 明
事物紀原 宋・高承撰、明・李果訂
事物原会 清・王汲編 清嘉慶2年休寧汪氏古愚山房刊本
史通 20巻 劉知機 唐
集異記 薛用弱 唐
集古印譜 6巻 顧従徳 明隆慶6年(1572年)
周書 50巻 唐
朱子感興詩註 1巻 蔡謨
朱子行状 黄榦
朱子語類 140巻 黎靖徳
笑苑千金 張致和
七略 劉歆
諡法 劉熙
諡法劉熙注補遺 劉熙
四民月令 1巻 崔寔
釈名 8巻 劉熙
十八史略 7巻 曾先之撰 元
周礼註疏 42巻 唐
春秋会要 姚彦渠 中華書局  1955
春秋経伝集解 30巻 杜預 晋
春秋公羊伝 11巻
春秋穀梁伝
春秋左氏伝 30巻
春秋左氏伝解誼 服虔
春秋左伝解詁 賈逵
春秋左伝正義 60巻 孔穎達 唐
春秋釋例 15巻 杜預  晋
春秋繁露 17巻 董仲舒
笑海叢珠 陸亀蒙撰 元
笑府 13巻 馮夢龍 明
笑話集 侯白撰 隋
貞観政要 10巻 呉競 唐
傷寒論 16巻 張仲景
尚書大伝 4巻 鄭玄注
書影 10巻 周亮工 明
女誡 班昭  漢
初学記 30巻 徐堅等奉勅撰 唐
書断 3巻 張懐瓘撰 唐
書譜 1巻 孫過庭 唐
書目三編 別録・七略輯本・漢書藝文志補注・四史儒林文苑伝注 上・下 広文書局 1969
事林広記 陳元靚撰 宋
新五代史 75巻 欧陽脩撰 宋
真山民集 1巻 真山民撰 宋
慎子 1巻 慎到 周(?)
申子 申不害撰 戦国(?)
晋書 130巻 房玄齢撰 唐
鐔津文集(しんしんぶんしゅう) 20巻 契高 宋
神仙伝 10巻 葛洪 晋
新唐書 225巻 欧陽脩、宋祁奉勅撰 宋
水経注 40巻 酈道元 北魏
水経注図 水経注疏要刪 楊守敬撰 清
随函録 20巻 可洪編 後晋
酔翁談録 10集、毎集2巻、計20巻 羅燁撰 元
隋書 85巻 魏徴等奉勅撰 唐
崇文総目 5巻 補遺1巻  宋
図画見聞誌 6巻 郭若虚撰 宋
図絵宝鑑 5巻 夏文彦撰 元
説苑 20巻 劉向
西漢会要 上下 徐天麟撰 宋
西漢詔令 林虔  宋
西漢年紀 30巻 王益之撰  宋
旌異記 15巻 侯白撰 隋
西廂記 王実甫 元
正蒙書 10巻 張戴撰  宋
潜虚 1巻 司馬光撰  宋
潜夫論 10巻36篇 王符 後漢
宣和遺事 2巻  南宋
蒼頡篇 李斯 秦
宋史 496巻 脱脱(トクト)撰 元
捜神記 30巻 干宝撰 晋
捜神後記 10巻 隋
宋名臣言行録 朱熹撰 李幼武補編  宋
滄浪詩話 厳羽  宋
楚漢春秋 1巻 陸賈
楚辞章句 17巻 王逸
楚辞補注  17巻 洪與祖撰  宋
素書 黄石公
大学衍義 43巻 真徳秀撰 宋
太極図説 1巻 周敦頤  宋
太玄経 10巻 揚雄
大唐西域記 12巻 玄奘述、辨機撰 唐
太平寰宇記 200巻 楽史撰  宋
太平御覧 1,000巻  李昉等奉勅撰  宋
太平広記 500巻 李昉  宋
大載礼 85篇 載徳
竹林名士伝 袁宏  晋
茶経 陸羽 唐
中論 2巻 徐乾
長安志 20巻 宋敏求撰 北宋
朝会儀記 蔡質
長恨歌伝 陳鴻 唐
地理風俗記 応劭
陳書 36巻 姚思簾等奉勅撰 唐
通典 200巻 杜佑撰 唐
輟畊録(てっこうろく) 陶宗儀
點考工記 鄭玄
東漢会要 40巻 徐天麟撰 宋
東観漢記 24巻 武英殿聚珍本 姚之駰 後漢
東漢詔令 楼肪 宋
東京夢華録 10巻 孟元老撰 宋
唐才子伝 10巻 辛文房撰 元
東萊左氏博議 25巻 呂祖謙 宋
唐史論断 3巻 孫甫撰 宋
唐六典 30巻 唐
唐律疏議 30巻 長孫無忌等奉勅撰 唐
独談 2巻 蔡邕 後漢
杜工部集 20巻 杜甫 唐
南史 80巻 李延寿撰 唐
南州異物志 楊孚 後漢
南北郊冕服議 劉蒼 漢
白氏文集 白居易 唐
風俗通義 10巻、付録1巻 応劭 後漢
武経総要 宋
文献通考 348巻 馬端臨撰 元
文中子 10巻 薛収・姚義等編 唐
法言 揚雄 前漢
封禅儀記 馬第伯 漢
北夢瑣言(ほくぼうさげん)  孫光憲 宋
補史記 1巻 司馬貞  唐
孟子集注 7巻 朱熹撰 宋
問礼俗 董勛 魏
野客叢書 12巻 王楙撰 宋
容斎随筆 16巻 洪邁撰 宋
酉陽雑俎 20巻、続集10巻 段成式撰 唐
與地紀勝 200巻 王象之 宋
礼記集説 160巻 衛湜撰 宋
礼記要義 33巻 魏予翁撰 宋
来南録 1巻 李翺  唐
楽善録 10巻 李昌齢編 宋
洛陽伽藍記 5巻 楊衒之撰 北魏
六臣注文選 60巻  宋
陸宣公奏議 22巻 陸贄撰 唐
律呂新書 2巻 蔡元定撰 宋
龍龕手鑑 4巻 行均編 遼
劉賓客嘉語録 1巻 韋絢撰 唐
両漢詔令 洪咨夔 宋
両京新記 韋述 唐
緑窓新話 上下2巻  南宋
臨川集 100巻 王安石  宋
麟台故事 5巻  宋
類説 60巻 曽慥編  宋
類篇 15巻 司馬光撰  宋
蠣釈 27巻 洪适撰  宋
麗句集6巻 許之吉撰 明天啓5年(1625年)
歴代故事 10巻 楊次山撰  宋
濂洛風雅 6巻 金履祥撰 元
録異記 8巻 杜光庭 前蜀
論語集注 10巻 朱熹撰  宋

2019年2月21日 (木)

「し」 ファースト・ネームから引く人名一覧(男性)

Tumblr_mdhuwzuxmd1qzz8m7o1_500   第35代アメリカ大統領、ジョン・フィッツジェラルド・ジャック・ケネディは1963年パレードの最中に暗殺されるという衝撃的な最期だった。彼は理想主義を追い求めたため多くの敵をつくり、いまも暗殺に関して多くの謎が残されている。▽クリスチャン洗礼名ヨハネ(John)は英語圏ではジョン、仏語圏ではジャン(Jean)となり、最も一般的な男性名である。▽神聖ローマ皇帝ジギスムントはオスマン帝国征討を企てたが、ニコポリスの戦いでバヤジット1世に敗北。▽「ジェームズ・マーシャル」1848年、カリフォルニア州サクラメント付近で砂金を発見。▽「ジャマールッディーン・アフガーニー」1839-1897。インドの英領化などから危機感を抱き、欧米の侵略に対抗するため汎イスラム主義(イスラム教徒連帯運動)を唱えた。イラン人だがアラブ世界に広く活動し、大きな影響を与えた。▽「ジュリアン・バーンズ」現代イギリスのポストモダン作家。代表作「フローベールの鸚鵡」。▽「ジョージ・スミス」1840-1876。イギリスの考古学者。1872年、ニネヴェから出土した粘土板から聖書に記された洪水の記述を発見した。▽「ジョセフ・パクストン」イギリスの建築家。ロンドン万国博覧会で水晶宮を建設。▽「ジョン・アイアランド」20世紀イギリスの作曲家。▽「ジョン・チャドウィック」1920-98。イギリスの言語学者。マイケル・ヴェントリスとともに線文字Bを解読した。▽「ジョン・ファウルズ」20世紀イギリスの小説家。代表作「コレクター」「フランス軍中尉の女」。▽「ジョン・ウォリス」17世紀イギリスの数学者。

 

ジアウル・ラーマン
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ジャック・ド・モレー
ジャック・ピカ―ル
ジャック・ベニーニュ・ボシュエ
ジャック・ルネ・シラク
ジャック・ラカン
ジャック・ルイ・ダヴィッド
ジャック・ルビー
ジャック・ロゲ
ジャック・ワイルド
ジャマールッディーン・アフガーニー
シャルル・エドゥアール・ガブリエル・ルルー
シャルル・オーギュスタン・サント・ブーヴ
シャルル・ガルニエ
シャルル・ダンジュー
シャルル・デュトワ
シャルル・ド・ゴール
シャルル・トレネ
シャルル・フーリエ
シャルル・フレデリック・ウォルト
シャルル・ペロー
シャルル・ホードレール
シャルル・マルタン・エミール・ガレ
シャルル・メシエ
シャルル・モーリス・ド・タレーラン・ペリゴール
ジャワルラール・ネルー
ジャン・アンリ・デュナン
ジャン・アンリ・ファーブル
ジャン・オノレ・フラゴナール
ジャン・カルヴァン
ジャン・ギャバン
ジャン・コクトー
ジャン・シベリウス
ジャン・ジャック・ルソー
ジャン・ジュネ
ジャン・ジロドゥ
ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ
ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー
ジャン・バティスト・カミーユ・コロー
ジャン・バティスト・コルベール
ジャン・バティスト・シメオン・シャルダン
ジャン・バティスト・ド・ラ・サール
ジャン・バティスト・ポクラン(モリエール)
ジャン・バティスト・ラシーヌ
ジャン・バティスト・ラマルク
ジャン・ピアジェ
ジャン・フランソワ・シャンポリオン
ジャン・ポール・サルトル
ジャン・ポール・シャルル・エマール・サルトル
ジャン・マルタン・シャルコー
ジャン・ミッシェル・バスキア
ジャン・ラシーヌ
ジャン・ル・ロン・ダランベール
ジャン・レノ
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ
ジャンブージー
ジュゼッペ・アルチンボルド
ジュゼッペ・ヴェルディ
ジュゼッペ・ガリバルディ
ジュゼッペ・マッツーニ
シュテファン・ツヴァイク
ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ
シュメル・ノア・アイゼンシュタット
シュリ・プリュドム
ジュリアナ・ホレイシア・ユーイング
ジュリアン・デュヴィヴィエ
ジュリアン・バーンズ
ジュール・アントワーヌ・リサジュー
ジュール・ヴェルヌ
ジュール・ガブリエル・ヴェルヌ
ジュール・デュビュイ
ジュール・マザラン
ジョアキーノ・アントニオ・ロッシーニ
ジョアシャン・ブーヴェ
ジョアン・ロドリゲス
ジョアン・ミロ
ジョー・モンタナ
ジョイ・ポール・ギルフォード
ジョヴァンニ・ジョリッティ
ジョコ・ウィドド
ジョサイア・コンドル
ジョシュア・チェンバレン
ジョゼッペ・ガリバルディ
ジョージ・アチソン
ジョージ・アームストロング・カスター
ジョージ・イーストマン
ジョージ・ウィリアムズ
ジョージ・エドワード・ムーア
ジョージ・オーウェル
ジョージ・ガーシュウィン
ジョージ・ガモフ
ジョージ・クルーニー
ジョージ・ケナン
ジョージ・ゴードン・バイロン
ジョージ・シーガル
ジョージ・スチーブンソン
ジョージ・スティビッツ
ジョージ・スティーヴンス
ジョージ・スミス
ジョージ・スミス・パットン・ジュニア
ジョージ・チャキリス
ジョージ・チャップマン
ジョージ・デニソン・モルガン
ジョージ・バークリー
ジョージ・バーナード・ショー
ジョージ・ハーバート・リー・マロリー
ジョージ・ハリソン
ジョージ・バンクーバー
ジョージ・ヒューバート・ウィルキンス
ジョージ・フィッツジェラルド
ジョージ・フォアマン
ジョージ・フレデリック・ヘンデル
ジョージ・ブール
ジョージ・マクドナルド
ジョージ・マーシャル
ジョージ・モルガン
ジョージ・ルイカー
ジョージ・ルーカス
ジョージ・ワシントン
ジョージアス・アグリコラ
ジョゼフ・アディソン
ジョゼフ・イニャス・ギヨタン
ジョセフ・エストラーダ
ジョゼフ・キッティンジャー
ジョゼフ・コンラッド
ジョゼフ・スワン
ジョセフ・ドッジ
ジョゼフ・ニーダム
ジョセフ・パクストン
ジョセフ・パトリック・ケネディ
ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュ
ジョセフ・フランクリン・ラザフォード
ジョゼフ・フーリエ
ジョゼフ・プリーストリー
ジョセフ・ポール・ディマジオ
ジョーゼフ・ピューリツァー
ジョーゼフ・マラード・ウィリアム・ターナー
ジョゼフ・ラニエリ
ジョナサン・スウィフト
ジョニー・デップ
ジョニー・ハイケンス
ジョニー・ピアソン
ジョニー・レイ
ジョニー・ワイズミューラー
ジョバンニ・カッシーニ
ジョバンニ・バッティスタ・ピアッツェッタ
ジョバンニ・ピエトロ・カラファ
ジョバンニ・ボッカッチョ
ジョモ・ケニヤッタ
ジョリス・カルル・ユイスマン
ジョルジオ・アルマーニ
ジョルジオ・デ・キリコ
ジョルジュ・オスマン
ジョルジュ・クレマンソー
ジョルジュ・ジャック・ダントン
ジョルジュ・スーラ
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
ジョルジュ・バタイユ
ジョルジュ・ビゴー
ジョルジュ・ビゼー
ジョルジュ・ブラック
ジョルジョ・モランディ
ジョルジョーネ
ジョルダーノ・ブルーノ
ジョン・アイアランド
ジョン・アーヴィング
ジョン・アダムズ
ジョン・アレキサンダー・マクドナルド
ジョン・アーネスト・スタインベック
ジョン・ウィクリフ
ジョン・ウィリアム・ストラット
ジョン・ウィリアム・フェントン
ジョン・ウィルキンソン
ジョン・ウェイン
ジョン・ウェスレー
ジョン・ウェブスター
ジョン・ウォーノック・ヒンクリー・ジュニア
ジョン・ウォリス
ジョン・オーギュスト・ドミニック・アングル
ショーン・オケーシー
ジョン・オースティン
ジョン・オハラ
ジョン・カーヴァー
ジョン・カボット
ジョン・ギールグッド
ジョン・クインシー・アダムス
ジョン・クレランド
ジョン・ケージ
ジョン・ケネス・ガルブレイス
ジョン・コルトレーン
ジョン・ジェイ
ジョン・ジェームズ・オズボーン
ジョン・スティーブンソン
ジョン・スチュアート・ミル
ジョン・ダン
ジョン・ディヴィソン・ロックフェラー・シニア
ジョン・ディクスン・カー
ジョン・チャドウィック
ジョン・デューイ
ジョン・デンバー
ジョン・ドルトン
ジョン・ナッシュ
ジョン・ニュートン・ミッチェル
ジョン・ノックス
ジョン・バーゴイン
ジョン・バニヤン
ジョン・ハーバード
ジョン・バーディーン
ジョン・ハートフィールド
ジョン・ファウルズ
ジョン・フィッシャー
ジョン・フィリップ・スーザ
ジョン・フィリップ・ホランド
ジョン・フィルモア・ヘイフォード
ジョン・フォード
ジョン・フォン・ノイマン
ジョン・フレミング
ジョン・ブレンダン・ケリー
ジョン・ヘンリー・ホリデイ(ドク・ホリデイ)
ジョン・マイケル・タルボット
ジョン・マケイン
ジョン・マリー・ギュイヨー
ジョン・ミルトン
ジョン・メイナード・ケインズ
ジョン・モルガン
ジョン・モンタギュー(第4代サンドウィッチ伯爵)
ジョン・リトル
ジョン・ル・カレ
ジョン・レノン
ジョン・ロージー・ベアード
ジョン・ロック
ジョン・ロックフェラー
ジョン・ローン
シーラバトラ
シラノ・ド・ベルジュラック
シリマヴォ・バンダラナイケ
シルヴィオ・ベルルスコーニ
ジル・エアネス
シルベスター・スタローン
ジロラモ・サヴォナローラ
ジーン・ワイルダー

 

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   インド映画を代表するスター、シャー・ルク・カーン。代表作「恋する輪廻 オーム・シャティ・オーム」。

鉄腕アトムの人気は不滅です

  子どもの頃、手塚治虫の漫画を読んで育った。とくに「鉄腕アトム」は大のお気に入りの作品。だが漫画の神様と称えられた手塚も没後20年以上たち、手塚治虫を知らない若者も増えたようだ。ところがお隣の国、韓国では未だに手塚治虫の「鉄腕アトム」は人気が高い。実は韓国人は長い間、「鉄腕アトム」を日本製とは知らなかったからだ。韓国では1970年代「宇宙少年アトム」の名でテレビ放送されて大ヒットした。今の韓国社会を支える大人はみなアトムを見て育つた世代なのだ。韓国女性歌手キム・ヒョヌ(26歳)がなにげなくインスタグラムに投稿した写真にも大きなアトム人形が傍らに佇むのも可笑しい。

支那学文献目録

09271610_542662d9b20a1  19世紀後半から中国や日本で「支那」という言葉が使われていたが、現在では使われない。一般的には「支那」を差別語と考える人が多いが、歴史的に語源を調べるとかなり古い言葉で、玄奘の「慈恩伝」の中にも使われており、成立時は差別的な意味は含まれない。英語の「チャイナ」や「ラ・シーヌ」(仏語)、「ヒーナ」(独語)、「ラ・チーナ」(伊語)、「チナ」(西語)、「シーナ」(オランダ語、ポルトガル語)もみな秦の音の訛りで、古代インド、ギリシア・ローマと伝わったものである。日本語の「支那」も本来は一般的な呼称であったが、戦時中に蔑称として用いられた歴史があり、現在は使われていない。近年、石原慎太郎が「中国をシナと呼ぼう」と会見でシナを連発したが、中国ネットで非難が集中したことは記憶に新しい。ここでは書誌学的研究の立場から、タイトルに「支那」を含む図書を集める。ちなみに「中国」という語はすでに戦前からすでに使用されていた。ことがある。実例として、「近世中国史」風間阜1937年、「中国文化界人物総鑑」橋川時雄1940年など

支那総説 1~6 金子弥兵衛、中島精一 中近堂 1883
支那地誌 総体部 下村修介編 参謀本部編纂課編輯出版 1887
支那貨幣考 ダブルユ・ヴィッセリング著 駒井重格訳 専修学校 1891
支那教学史略 2冊 狩野良知 吉川半七 1891
支那全図 参謀本部編 1892
支那地誌 巻15上 満州部 参謀本部編纂課編輯出版 1893
支那地誌 巻15下 蒙古部 参謀本部編纂課編輯出版 1893
支那学術史綱 国府種徳、白河次郎編 博文館 1900
支那地理書 高島天淵編 1900 
支那探検録 新正 宮内猪三郎 1900
支那商業地理 曽我太郎 児玉芸香堂 1902
支那語会話読本(新編) 青柳篤恒 早稲田大学出版部 1903
支那大文学史 古代篇1 児島献吉郎 冨山房 1909 
支那仙人列伝 東海林辰三郎 白河次郎 聖精堂 1910
支那事情 西島良爾(函南) 宝文館 1911
支那政治地理誌 上下 大村欣一 丸善 1915
支那美術史彫塑篇 大村西崖 仏書刊行会図像部 1915
蒙古及満州 鳥居龍蔵 東京出版 1915
近世支那十講 稲葉君山 金尾文淵堂 1916
支那古田制の研究 法律学経済学研究叢書17 加藤繁 京都法学会 1916
支那 消夏漫筆 中山成太郎編訳 有斐閣 1916
支那論 山路愛山 民友社 1916
支那関係特種条約彙纂 東亜同文会調査編纂部 同部 1917
支那鉱業諸規定類纂 影山虎四郎編 大阪屋号書店 1917
支那語会話教科書 佐藤智雄 大阪・同文社 1917
支那制度及社会概要 支那研究叢書9 東亜実進社 1917
支那の交通 支那研究叢書7 東亜実進社編 同社 1917
支那鉱産地 小山一郎編 丸善 1918
支那古代史 ヒルト 三省堂 1918
世界之支那史 青柳篤恒等 早稲田大学出版部 1918
支那教育状況一斑 朝鮮総督府編 京城朝鮮総督府 1919
支那経済研究 田中忠夫 大阪屋号書店 1919
支那仏教遺物 松本文三郎 大鐙閣 1919
近代支那史 稲葉岩吉 大阪屋 1920
支那関税制度論 高柳松一郎 京都・内外出版 1920
支那の外交関係 橋本増吉・牧野義智 外交時報社 1920
支那革命外史 北一輝 大鐙閣 1921
支那唐代の服飾 原田淑人 丸善 1921
支那工芸資料 京都市商品陳列所編 京都・芸艸堂 1922
支那為替の建方及取引方法 近世商業経済叢書 古矢吉雄 文雅堂 1923
支那為替論 内田勝司 巌松堂 1923
支那から南洋へ 東幸治 誠志堂 1923
支那経済事情 椿本義一 大阪屋号書店 1924
支那現代史 松井等 明善堂 1924
支那現代思潮 東洋講座第1輯 松井等 小西書店 1924
支那国学概論 章大炎著 大月射月訳 上海・支那思想研究会 1924
支那趣味の話 後藤朝太郎 大阪屋号書店 1924
支那法制史研究 東川徳治 有斐閣 1924
支那画人伝 横川毅一郎 中央美術社 1925
支那古代史論 東洋文庫論叢5 飯島忠夫 東洋文庫 1925
支那西教史考 グスターフ・コル 鈴木哲 伊山堂 1925
支那仏教近世史の研究 水野梅暁 支那時報社 1925
支那仏教史蹟 常盤大定・関野貞 仏教史蹟研究会 1925
近代支那史 矢野仁一 弘文堂 1926
支那及支那問題辞典 河瀬竜雄 厚生閣 1926
支那建築史 東洋史講座 伊東忠太 国史講習会 1926
支那学文叢薮 狩野直喜 京都・弘文堂 1927
支那関税特別会議の経過 台湾総督官房調査課 1927
支那経学史論 本田成之 弘文堂書房 1927
支那戯曲研究 久保得二 弘道館 1928
支那道徳文化史 荻原擴 中文館 1927
支那建築 世界建築集成 全2冊 塚本靖、伊東忠太、関野貞編 建築学会 1928
支那語中の西洋語 近世支那伝来西洋語漢字音訳語彙 東亜研究講座20  中山久四郎 東亜研究会 1928
支那歴史研究 小川琢治 弘文堂書房 1928
支那革命に於ける農業革命の躍進 広東から上海へ第2部 アジアチクス著 別府重夫訳 上野書店 1929
支那革命に於けるプロレタリアートのへゲモニ 広東から上海へ第3・4部 アジアチクス著 別府重夫訳 上野書店 1929
支那古韻史 大島正健 冨山房 1929
支那古代史 フリードリッヒ・ヒルト 西山栄久訳補 丙午出版社 1929
支那の建築 伊藤清造 大阪屋号書店 1929
支那歴史研究 続 小川琢治 弘文堂書房 1929
支那歴代年表 中村久四郎 山根倬三 中文館 1929
朝鮮支那文化の研究 京城帝国大学法文学会編 刀江書院 1929
日本と支那の諸問題 長野朗 支那問題研究会 1929
近世支那外交史 支那学叢書5 矢野仁一 弘文堂書房 1930
支那(小説) 前田河広一郎 改造社 1930
支那関係条約集 半沢玉城 外交時報社 1930
支那内国公債事情 中浜義久 南満州鉄道株式会社 1930
支那近世戯曲史 青木正児 弘文堂 1930
支那研究 慶応義塾望月基金支那研究会 岩波書店 1930
支那後宮秘史 浜本鶴賓 春陽堂 1930
支那土地制度研究 長野朗 刀江書院 1930
支那暦法起源考 飯島忠夫 岡書院 1930
支那論 井上雅二 東亜同文会 1930
日本と支那の将来 平野春江 霊岸授産場出版部 1930
支那学文献の解題と其研究法 武田熙 大同館 1931
支那革命外史 世界興亡史論17  北一輝 平凡社 1931
支那革命と孫文主義 武田凞 大同館 1931  
支那共産党 第2輯 大衆叢書3 大衆新聞社 1931
支那近世産業発達史 青柳篤恒 東亜研究会 1931
支那古代社会史論 郭沫若 藤枝丈夫訳 内外社 1931
支那古代史と天文学 飯島忠夫 恒星社 1931
支那の排日侮日に就て 陸軍省調査課 1931
一九三〇年支那年史 長野朗 支那問題研究所 1931
支那 少年少女世界地理文庫1 西亀正夫 厚生閣 1932
支那現代婦人生活 沢村幸夫 東亜研究会 1932
支那語会話独習 藤本敦美 春陽堂 1932
支那社会経済史 森谷克己 章華社 1932
支那住宅志 南満州鉄道株式会社経済調査会編 大連・同社 1932
支那の国民性 大谷光瑞 大乗社支部 1932
支那の排日運動 波多野乾一 東亜研究会 1932
支那百笑 伊能嘉矩選評 北田清二郎画 内外社 1932
今日の支那語選書 春陽堂 1933
狂乱の支那 馬郡健次郎 南光社 1933
支那貨幣研究 吉田虎雄 山口・東亜経済経済会 1933
支那貨幣史銭荘考 広畑茂 建設社 1933
支那ギルドの研究 根岸佶 斯文書院 1933
支那の建築と芸術 関野貞 岩波書店 1933
支那歴史地理研究 正集 小川琢治 弘文堂書房 1933
支那現代思潮 岩波講座東洋思潮5 松井等 岩波書店 1934
支那現代文集要 小林幾次郎編著 尚文堂 1934
支那製紙業 関彪編 誠文堂 1934
上代支那に於ける神話及び説話 岩波講座東洋思潮1 出石誠彦 岩波書店 1934
古代支那人の民間信仰 岩波講座東洋思潮10  白鳥清 岩波書店 1935
最新支那年鑑 昭和10年版 東亜同文会 東亜同文会 1935
支那貨幣論 有本邦造 森山書店 1935
支那経済現勢講話 孫懐仁ほか著 支那経済研究会訳 学芸社 1935
支那経済史研究 ウィット・フォーゲル著 横川次郎訳編 叢文閣 1935
支那思想・道徳思想 岩波講座東洋思潮9 高田真治 岩波書店 1935
支那ニ於ケル棉花奨励誌 外務省調査部 日本国際協会 1935
支那農業経済の諸問題 田中忠夫 学芸社 1935
支那の農業と工業 R・H・トーネイ著 浦松佐美太郎・牛場友彦訳 岩波書店 1935
時文研究支那新聞の読み方 清水元助・有馬健之助 外語学院出版部 1935
支那貨幣論 支那貨幣制度は何處へ行く 章乃器著 浅川謙次訳 叢文閣 1936
支那経済事情講話 東京商工会議所編 森山書店 1936
支那工業論 有沢広巳編 改造社 1936
支那語会話辞典 岡本正文編 文求堂 1936
支那絨毯考 高木英彦 泰山房 1936
支那制覇戦とアメリカ 上 カントロウイチ著 広島定吉・堀江邑一訳 ナウカ社 1936
支那の抗日記録 日支の不幸 姫野徳一 日支問題研究会 1936
支那のランプ 奇語幽談 佐藤惣之助 版画社 1936
英人の観たる支那の建設運動 東洋協会調査部 東洋協会 1937
今日の支那 日本評論社編輯部編 日本評論社 1937
今日の支那 小倉章宏 東興社 1937
支那女人譚 村田孜郎 古今荘書房 1937
支那ギルド論 H.B.モース著 増井経夫訳 生活社 1939
支那経済概観 日本産業経済全集15  浜田峰太郎 白揚社 1937
支那経済恐慌論 木村増太郎 改造社 1937
支那経済建設の全貌 方顕延 日本国際協会 1937
支那言語学概論 カールグレン著 岩村忍、魚返義雄訳 文求堂 1937
現代支那批判 尾崎秀実 中央公論社 1938
支那貨幣制度論 宮下忠典 宝文館 1938
支那古代の祭礼と歌謡 マーセル・グラネー著 内田智雄訳 弘文堂 1938
支那論 内藤虎次郎 創元社 1938
支那古代社会研究 郭沫若 藤枝丈夫訳 東学社 1935
支那新聞の読み方 入江啓四郎 タイムス出版社 1935
支那游記 室伏高信 日本評論社 1935
支那碑碣形式の変遷 関野貞 座右宝刊行会 1935
支那工業論 有沢広巳編 改造社 1936
支那古韻学階梯 松村利行 松雲堂 1936
近代支那社会史 サファロフ著 早川二郎訳 白揚社 1937
古代支那及印度 東洋文化史大系1 新光社 1937
支那語手引と会話早わかり 甲斐靖 駸々堂 1937
支那事変 美談 講談社の絵本 1937
支那事変 武勇談 講談社の絵本 1937
支那と仏蘭西美術工芸 小林太市郎 東方文化学院京都研究所 1937
支那秘密結社の新情勢 三宅儀明 中国通信社東京支局 1937
日本は支那を如何する 中野正剛 育成社 1939
現代支那人物論 吉岡文六 時潮社 1938
最新支那常識読本 山口梧郎 テンセン社 1938
支那近世史講話 稲葉岩吉 日本評論社 1938
支那社会経済史分析 チャオーチン・テイ著 佐藤愛三訳 白揚社 1938
支那制覇戦と太平洋 下 カントロウイチ著 広島定吉訳 生活社 1938
支那西北辺彊紀行解題 後藤富男 東亜研究所 1938
支那と支那人と日本 杉山平助 改造社 1938
支那の歴史 少年史伝叢書 塚田忠泰 大同館 1938
支那の人々 清水安三 隣友社 1938
支那歴史研究法 梁啓超 小長谷達吉訳 改造社 1938
新支那論 池崎忠孝 モダン日本社 1938
近代支那教育史 陳靑之著 柳沢三郎訳 生活社 1939
現代支那講座 4 産業(1) 東亜同文書院支那研究部 1939
現代支那講座 5 産業(2)・貿易 東亜同文書院研究部 1939
現代支那人名辞典 大陸文化研究所編 泰山房 1939
現代支那論 岩波新書 尾崎秀実 岩波書店 1939
支那学翻訳叢書 文求堂書店 1939
支那協同組合論 陳殷公著 高山洋吉訳 生活社 1939
支那経済概論 2冊 L・マーシャル著 安藤英夫訳 泰山房 1939
支那経済研究 方顕法編 梨本祐平訳 改造社 1939
支那工業論 上海工業の発展 劉大欽著 倉持博訳 生活社 1938
支那鉱業論 支那及満州国における鉱富の研究 ハインリッヒ・バウェル著 高山洋吉訳 日本評論社 1939
支那交通史論 白寿彜著 牛島俊作訳 生活社 1939
支那社会構成 秋沢修二 白揚社 1939
支那戦国時代 世界興廃大戦史・東洋戦史3 仲小路彰 戦争文化研究所 1939
支那地方自治発達史 和田清編 中華民国法制研究会 1939
支那社会経済の研究 井村薫雄 東亜同文会業務部 1939
支那社会の科学的研究 岩波新書 ウィットフォーゲル 岩波書店 1939
支那社会の研究 清水盛光 岩波書店 1939
支那春秋時代戦史 世界興廃大戦史・東洋戦史2 仲小路彰 戦争文化研究所 1939
支那商業史 王孝通著 平田泰吉訳 生活社 1939
支那の農民生活 費孝通 生活社 1939
支那の歴史と文化 上 ラトレット著 岡崎三郎訳 生活社 1939
支那游記 改造社文庫 芥川龍之介 改造社 1939
上代支那法制の研究 刑事編 根本誠 有斐閣 1939
現代支那史 全6巻 グスタフ・アマン著 高山洋吉訳 育生社 1939-1940
南支那 大阪毎日新聞社編 大阪毎日新聞社・東京日日新聞社 1939
現代支那思想史 梁漱冥著 神谷正男訳 生活社 1940
現代支那史 教養文庫 小竹文夫 弘文堂 1940 
現代支那満州教育資料 東京文理科大学・東京高等師範学校紀元二千六百年記念会編 培風館 1940
支那関係欧米名著略解 岩村忍編 タイムス社 1940
支那教育史 支那文化叢書 上下 任時先著 山崎達夫訳 人文閣 1940
支那基督教史 東亜叢書 比屋根安定 生活社 1940
支那語自修読本 陳文彬 大阪屋号 1940
支那古代家族制度研究 加藤常賢 岩波書店 1940
支那社会政治思想史 上 呂振羽 原勝・角田次郎訳 日本青年外交協会 1940
支那宗教思想史 王治心著 冨田鎮彦訳 大東出版社 1940
支那商業史 支那文化史大系5 王孝通著 大東出版社 1940
支那生活案内 後藤朝太郎 黄河書院 1940
支那政治思想史 支那文化叢書 楊幼烱著 古賀鶴松訳 人文閣 1940
支那精神 世界精神史講座2 諸橋轍次ほか 理想社 1940
支那戦時経済論 石浜知行 慶応書房 1940
支那政治思想史 支那文化史大系2 楊幼烱著 村田攷郎訳 大東出版社 1940
支那政党史 楊幼烱著 森山喬訳 日光書院 1940
支那タングステン鉱誌 支那経済資料  江西地質鉱業調査所編 生活社 1940
支那地理大系 自然環境編 渡辺光編著 日本評論社 1940
支那統制経済論 羅敦偉著 河上純一訳 生活社 1940
支那の口語文学 ラジオ新書 宮原民平 日本放送出版協会 1940
支那の鉱床及鉱業 ウィリアム・コリンス著 西村雄三訳 白揚社 1940
支那農業経済論 上 天野元之助 改造社 1940
支那の歴史 スットヒル著 福原麟太郎・近藤正平解注 研究社 1940
支那法制史研究 瀧川政次郎 有斐閣 1940
支那美術史 東洋史講座17  金原省吾 雄山閣 1940
支那文化史 陳登原著 布施知足編訳 白揚社 1940
支那文化史観 ラジオ新書 出石誠彦 日本放送出版協会 1940
支那歴史地理研究 続集 小川琢治 弘文堂書房 1940
支那論 フランソア・ケネー著 勝谷在登訳 白揚社 1940
概説支那仏教史 道端良秀 法蔵館 1941
近代支那と英吉利 百瀬弘ほか 蛍雪書院 1941
支那行商人とその楽器 中島幸三郎 冨山房 1941
支那銀行制度論 宮下忠雄 巖松堂 1941
支那工業合作社運動 刈屋久太郎編著 畝傍書房 1941
支那経済史 支那文化史大系3 馬乗風著 田中斉訳 大東出版社 1941
支那古代生活史 内野熊一郎 清水書店 1941
支那事変秘史 津田元徳 大阪屋号書店 1941
支那社会政治思想史 下 呂振羽 日本青年外交協会 1941
支那西康事情 楊仲華著 村田孜郎訳 誠文堂新光社 1941
支那探訪 緒方昇 東京日日新聞社 1941
支那のこども 山本和夫 小学館 1941
支那の子供 尾関岩二 興亜書局 1941
支那の村落生活 A・H・スミス著 塩谷安夫・仙波泰雄訳 生活社 1941
支那の人たち 中地清 至文社 1941
支那の歴史と文化 下 ケネス・スコット・ラトゥレット著 岡崎三郎訳 生活社 1941
上代支那法制の研究 行政編 有斐閣 1941
西洋文化の支那への影響 張星烺著 実藤恵秀訳 日本青年外交協会 1941
日支交通史 王輯五著 今井啓一訳 立命館出版部 1941
日本に残存せる支那古韻の研究 飯田利行 冨山房 1941
近世支那経済史 小竹丈夫 弘文堂書房 1942
近代支那思想 実藤恵秀 光風館 1942
支那画人研究 八幡関太郎 明治書房 1942
支那家族の構造 清水盛光 岩波書店 1942
支那官制発達史 和田清・村上正二 中央大学出版部 1942
支那教育学史 田内高次 冨山房 1942
支那近世史要 ラジオ新書 出石誠彦 日本放送出版協会 1942
支那古代哲学史 慿友蘭 柿村峻訳 冨山房 1942
支那社会経済史研究 玉井是博 岩波書店 1942
支那製紙業に関する一資料 東亜研究所 1942
支那戦場と経済と心理 阿部源一郎 巌松堂 1942
支那中世の軍閥 日野開三郎 三省堂 1942
支那土地制度論 オットー・フランケ著 清水金次郎訳 教育図書 1942
支那の反英興亜運動 能勢岩吉編 聯合出版社 1942
支那の農業経済 田辺勝正 日本評論社 1942
支那の洋鬼 カール・クロー著 新保民八訳 畝傍書房 1942
支那を行く 中村孝也 講談社 1942
近代支那に於ける宗教結社の研究 酒井忠夫 東亜研究所 1943
古代支那研究 小島祐馬 弘文堂書房 1943
支那学論攷 石浜純太郎 全国書房 1943
支那漢代紀年銘漆器図説 京都帝国大学文学部考古学資料双刊2 梅原末治編 京都桑名文星堂 1943
支那彊域史 支那文化叢書 顧頡剛著 中尾雄一訳 人文閣 1943
支那基督教の研究 1・2 佐伯好郎 春秋社松柏館 1943
支那鉱業労働論 B.P.トルガシェフ著 手塚正夫・前田隆良共訳 中央公論社 1943
支那鉱業史 芳賀雄 電通出版部 1943
支那古代暦法史研究 東洋文庫論叢29  橋本増吉 東洋文庫 1943
支那周辺史 上下 支那歴史地理大系6 安藤徳器編 白揚社 1943
支那儒道仏交渉史 大東名著撰 久保田量遠 大東出版社
支那上代思想研究 出石誠彦 藤井書店 1943
支那青磁史稿 小山冨士夫 文中堂 1943
支那習俗 太田陸郎 三国書房 1943
支那商業史概説 丸三正三郎 文進堂 1943
支那歴代風俗事物考 秋田成明訳 大雅堂 1943
古代支那志史要 岡崎文夫 弘文堂 1944
支那学雑草 加藤繁 生活社 1944
支那学の問題 吉川幸次郎 筑摩書房 1944
支那貨幣考 穂積文雄 京都印書館 1944
支那基督教の研究 3 佐伯好郎 春秋社松柏館 1944
支那近世史概説 出石誠彦 大観堂 1944
支那経済史概説 加藤繁 弘文堂 1944
支那数学史概説 藪内清 山口書店 1944
支那版画叢考 小野忠重 双林社 1944
支那港湾統制と開発問題 田北隆美 二里木書店 1944
西洋文化の支那侵略史 E.R.ヒューズ著 魚返善雄訳 大阪屋號 1944
近代支那と英吉利 百瀬弘・沼田鞆雄 蛍雪書院 1945
支那官話字典 善鄰書院編 龍文書局 1945
支那国音字典 1946年版 宮原民平、土屋明治共編 11版 文求堂 1946
支那経済史考証 上 加藤繁 東洋文庫 1947
支那古代暦法史研究 橋本増吉 東洋書林 1982
支那古代史と天文学 飯島忠夫 第一書房 1982
支那古代史論 飯島忠夫 第一書房 1980
支那古代の祭礼と歌謡 マーセル・グラネー 内田智雄訳 清水弘文堂書房 1967
支那古代の社会思想 岩波講座東洋思想3 小島祐馬 岩波書店 1936
支那語通解 馬場春吉 岡崎屋 1939
支那史概説 上 岡崎文夫 弘文堂書房 1935
支那思想研究 橘樸 日本評論社 1936
支那思想の展開 1 高田眞治 弘道館 1946
支那思想のフランス西漸 後藤末雄 第一書房 1933
支那思想発達史 遠藤隆吉 冨山房 1904
支那思想仏教思想 上・下 岩波講座東洋思潮10 宇井伯寿 岩波書店 1935
支那社会の測量 円谷弘 有斐閣 1937
支那社会の組織と展望 湯良礼著 中山蒐美三訳 育生社 1940
支那社会の裏表 一色忠慈郎 大阪屋号書店 1931
支那庶民金融論 井関孝雄 学芸社 1941
支那地方自治発達史 和田清編 中央大学出版部 1939
支那地方自治問題 董修甲著 岡本武彦訳 生活社 1939
支那地方政制史 支那文化叢書 鄭自明著 富樫長榮訳 人文閣 1941
支那地名集成 外務省情報部 日本外事協会 1936
支那帝国史 万国歴史全書 デュ・アルド著 北村三郎 博文館 1890
支那哲学概説 春秋文庫 高田真治 春秋社 1938
支那哲学概論 宇野哲人 支那哲学叢書刊行会 1926
支那哲学概論 現代語訳支那哲学叢書 宇野哲人 酒井雄文堂 1927
支那哲学概論 支那哲学体系5 宇野哲人 金の星社 1929
支那哲学講話 高木八太郎 荻原星文館 1935
支那哲学史 遠藤隆吉 金港堂 1900
支那哲学史 帝国百科全書 中内義一 博文館 1903
支那哲学史 高瀬武次郎 文盛堂 1910
支那哲学史 斉伯守 同文社 1942
支那哲学史 師範大学講座1 平原北堂 勅語御下賜記念事業部 1946
支那哲学史 近世儒学 宇野哲人 宝文館 1954
支那哲学史概説 渡辺秀方 早稲田大学出版部 1924
支那長生秘術 後藤朝太郎 富士書房 1927
支那哲学史概説 斉伯守 同文社 1930
支那哲学史講話 宇野哲人 大同館 1914
支那哲学思想叢書 三省堂 1931
支那哲学叢書 支那哲学叢書刊行会 新光社 1922
支那哲学総論 徳富猪一郎・宇野哲人 大東出版社 1937
支那哲学の研究 宇野哲人 大同館 1920
支那の淡水魚 東亜研究講座38 雨宮育作、木村重 東亜研究会 1931
支那の対日血戦 秋山豊三郎 大連・秋山家 1932
支那の土豪 後藤朝太郎 高山書院 1940
支那の体臭 後藤朝太郎 汎文社 1933
支那の土地と人 クレッシイ著 三好武二訳 偕成社 1939
支那土地利用地図集成 ロッシング・バッグ著 岩田孝三訳 東学社 1938
支那と仏蘭西美術工芸 小林太市郎 弘文堂 1937
支那の民族性と社会 支那問題叢書 川合貞吉 第二国民会 1937
支那と蒙古 米内山庸夫 北光書房 1943
支那中世仏教の展開 山崎宏 清水書院 1942
支那屯田兵制史 支那文化叢書 張君約著 藤田実訳 人文閣 1942
支那内閣関税制度3 台湾総督府 1932
支那の経済恐慌に関する調査 1~3 天野健雄 東京商工会議所 1935
支那の経済建設 事前と事後 目崎憲司 有斐閣 1941
支那の経済心理 東亜叢書 ウィルヘルム著 佐藤周一郎訳 生活社 1942
支那の経済地理 岩波新書 グルーシャコフ著 西尾忠四郎・高木八尺訳 岩波書店 1941
支那の経済と資源 小林幾次郎 時潮社 1939
支那の対外的国民運動 末広重雄 弘文堂 1939
支那の知識 時局知識シリーズ2 清沢冽・室伏高信編 青年書房 1937
支那地理歴史大系 全12巻 白揚社 1940-1941
支那の知性 林語堂著 喜入虎太郎訳 創文社 1940
支那の通貨と貿易 日本学術振興会 土方成美編 有斐閣 1942
支那の農業 ロッシング・バック著 塩谷安夫・仙波泰雄。安藤次郎訳 改造社 1938
支那の農業 東亜新書12 石川正義 中央公論社  1941
支那の農業経済 マヂャル著 早川二郎訳 白揚社 1936
支那の秘密 井東憲 秋豊閣 1939
支那帝国史 デュ・アルド
支那貧窮問題研究 柯象峰著 陸麻呂利輔訳 人文閣 1942
支那風俗 3冊 井上紅梅 1920-1922
支那風俗画譜 石田楳  洪洋社 1932
支那風俗綺談 井東憲訳著 大東出版社 1940
支那風俗綺談集 米田華紅 博文館 1930
支那風俗春秋 佐久間貞次郎 立命館出版部 1932
支那風俗の話 後藤朝太郎 大阪屋号 1927
支那風物記 村松梢風 河原書店 1941
支那風物志1 風景篇 東亜文化叢書6 後藤朝太郎 大東出版社 1942
支那風土記 後藤朝太郎 八洲書房 1935
支那風土記 米内山庸夫 改造社 1939
支那風土記 クレッシイ著 高垣勘次郎訳 東方文化学会 1939 
支那文化雑攷 法本義弘 国民社 1943
支那歴史地理 北京の歴史地理 小野勝年 支那地理歴史大系刊行会編 白揚社 1942
支那歴史地理叢書 冨山房 1939
支那歴代沿革図説 河村与一郎編 前川文栄堂 1881
支那歴代沿革地図  新撰 山本頼輔 赤沢政吉 1895
支那歴代親耕親蠶考 農林省米穀局 日本米穀協会 1936
支那歴代地名要覧 青山定男 東方文化学院研究所 1933
支那労働視察記 支那に於ける人間性と労働 アンダーソン著 高山洋吉訳 生活社 1939
支那労働者研究 続支那研究叢書2 小山清次 東亜実進社 1919
シナの五にんきょうだい クレール・H・ビショップ著 クルト・ビンゼ絵 いしいももこ訳 福音館書店 1961
支那抗戦力調査報告 満鉄調査部編 三一書房 1970
支那社会の科学的研究 岩波新書復刊 ウィットフォーゲル著 平野義太郎・宇佐美盛次郎訳 岩波書店 1982
シナ戯曲小説の研究 長沢規矩也著作集5 汲古書院 1985

ロマノフ朝、始まる

Mikhailromanovbyugryumov  国営ロシアテレビドラマ「エカテリーナ」全22話の1話を観る。エカテリーナ女王(1729-1796)がドイツ人であることを知る。日本人にとってロシアという国はよくわからない。ロマノフ朝はおよそ300年間続いた。日本の文化の基本が江戸時代にあるように、ロシア人の伝統文化はほとんどこのロマノフ朝時代に形づくられたのではあるまいか。1613年のこの日、ミハイル・ロマノフ(1596-1645)が全国会議によりツァーリ(皇帝)に選出される。ミハイルはロシアの名門貴族ロマノフ家の出でイヴァン4世(雷帝)の妃の甥の子でもあった。こうして16歳の少年がロマノフ朝初代の皇帝となった。ロマノフ朝は1917年までおよそ300年間あまり続く。ミハイルは国内秩序の回復に努め、1617年スウェーデンとの講和でノヴゴロドを取り戻し、ポーランドとは休戦を成立させる。しかし彼は生来病弱で意志も弱く、父のフィラレードが政治の実権を握ることになる。ちなみなエカテリーナ2世はミハイル皇帝から12代目となる。(2月21日、ミハイル・フョードロヴィッチ・ロマノフ)

ロマノフ王朝略年表

1613  ロマノフ王朝が成立
1670  ステンカ・ラージンの乱
1689  ピョートル1世の親政が始まる
1703  新都ペテルブルクの建設が開始される
1721  ニスタット条約
1727  キャフタ条約
1762  エカテリーナ2世が即位
1805  アウステルリッツの戦いにロシアが敗れる
1812  モスクワが炎上し、ナポレオン軍が退却する
1833  ウンキャル・スケレッシ密約
1853  クリミア戦争
1861  農奴解放令
1862  ツルゲーネフ「父と子」
1862  ピーサロフ、ロシア政府批判の檄文「シェド・フェロッチの保護を受けるロシア政府」を書く
1864  トルストイ「戦争と平和」
1866  ドストエフスキー「罪と罰」
1877  露土戦争
1891  シベリア鉄道
1904  日露戦争
1905  血の日曜日事件
1917  ロシア革命、ロマノフ王朝が崩壊

2019年2月20日 (水)

ピサの斜塔とガリレオ

   イタリアのピサにある大聖堂の鐘塔。パレルモ沖でサラセンの艦隊を破ったことを記念して、1173年、ボナンノ・ピサーノ(1150-1200)の設計で着工された。建設途中から徐々に傾斜したが、そのまま建て、1350年に完成。16世紀にガリレオ・ガリレイがここで落下の実験をしたというエピソードは有名であるが、実際には行われていないと考える研究者が多い。

満月の狂人、アルバート・フィッシュ

   今夜はスーパー・ムーン。地球に接近して特に大きく見える満月の日のことである。月と地球の近地点で平均の距離より5%ほど近いという。だが満月の夜に変身する狼男の伝説など満月の夜は何かが起こる。アルバート・フィッシュ(1870-1936)はアメリカ・ワシントンD.C.で生れた。5歳のときに、戒律の厳しい孤児院に入り、たびたび体罰を受けて育つ。1898年、結婚し、生涯で6人の子供をもうける。47歳頃に妻の浮気により離婚。塗装工であったフィッシュはその後全米を放浪し、殺人を行った。彼は犠牲者の遺体を食人し、それによって性的興奮を覚えるカニバリズムでもあった。1928年5月28日、フィッシュはニューヨーク・マンハッタンのグレース・バッドという名の10歳の娘を誘拐した。殺して切断した少女の体をシチューにして食べたフィッシュは「肉は柔らかくておいしかった」と語っている。1936年。シンシン刑務所で電気椅子による死刑執行が行われた。犯行が満月の日に行われることが多かったことから「ムーン・マニアック(満月の狂人)」という異名がある。(Moon Maniac)

歌姫たちのデビュー曲

  戦前戦後の歌姫たちをデビュー曲と共にふりかえる。榎本美佐江は戦時中は工場や軍隊の慰問などに回っていたが、1946年にテイチクに入社し、市丸の代役で歌った「十三夜」(オリジナルは1940年の小笠原美都子)がヒットした。当時レコード化されていなかったが、実質的に榎本の初ヒットといえる。鈴を鳴らしたような美声と美貌で新東宝で多数出演したが、レコード歌手として地位を確立したのは1949年ビクター移籍後のことである。由紀さおりの「ヒッチハイク娘」はどんな歌なのだろう。

渡辺はま子 「海鳴る空」 1933
美ち奴 「さくらおけさ」 1934
二葉あき子「愛の揺り籠」  1936
菅原都々子「お父さんの歌時計」 1937
越路吹雪「ブギウギ巴里」 1946
笠置シズ子「東京ブギウギ」 1947
吉岡妙子「昼も夜も」 1947
美空ひばり「河童ブギウギ」 1949
織井茂子「安南夜船」 1949
宮城まり子「なやましブギ」 1950
江利チエミ「テネシーワルツ」 1952
ペギー葉山「ドミノ」       1952
雪村いづみ「想い出のワルツ」 1953
楠トシエ「僕は特急の機関車で」 1953
大津美子「千鳥のブルース」 1955
島倉千代子「この世の花」 1955
西田佐知子「伊那の恋唄」 1956
浜村美智子「バナナ・ボート」 1957
伊東ゆかり「かたみの十字架」 1958
ザ・ピーナッツ「可愛い花」 1959
こまどり姉妹「浅草姉妹」 1959
森山加代子「月影のナポリ」 1960
弘田三枝子「子供ぢゃないの」 1961
岸洋子「たわむれないで」 1962
木の実ナナ「東京キカンボ娘」 1962
梓みちよ「ボッサ・ノバでキッス」 1962
岸洋子「たわむれないで」 1962
三沢あけみ「ふられ上手にほれ上手」 1963
九重佑三子「シェリー」 1963
いしだあゆみ「ネェ、聞いてよママ」 1964
水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」 1964
都はるみ「困るのことヨ」 1964
大月みやこ「母恋三味線」 1964
小林幸子「ウソツキ鴎」 1964
日野てる子「カイマナ・ヒラ」 1964
渡辺順子(黛ジュン) 「ダンケ・シェン」 1964
三船和子「ベトナムの赤い月」 1965
由紀さおり(安田章子)「ヒッチハイク娘」 1965
青江三奈「恍惚のブルース」 1966
山本リンダ「こまっちゃうナ」 1966
加藤登紀子「誰も誰も知らない」 1966
日吉ミミ「涙と艶歌船」 1967
E7acacefbc90efbc91e99b86テレサ・テン「鄧麗君の歌第1集」 1967
森山良子「この広い野原いっぱい」 1967
瀬川瑛子「涙の影法師」 1967
渚ゆう子「早くキスして」 1967
和田アキコ「星空の孤独」 1968
ちあきなおみ「雨に濡れた慕情」 1969
芹洋子「野に咲く花のように」 1969
藤圭子「新宿の女」 1969
北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」 1970
八代亜紀「愛は死んでも」 1971
天地真理「水色の恋」 1971
小柳ルミ子「わたしの城下町」 1971
天童よしみ「風が吹く」 1972
森昌子「せんせい」 1972
松任谷由実「返事はいらない」 1972
山口百恵「としごろ」 1973
石川さゆり「かくれんぼ」 1973
キャディーズ「あなたに夢中」 1973
川中美幸「新宿天使」 1973
高橋真梨子「ジョニィへの伝言」 1973
キム・ヨンジャ「教えてください」 1974
中島みゆき「アザミ娘のララバイ」 1975
岩崎宏美「二重唱(デュエット)」 1975
大場久美子「あこがれ」 1977
榊原郁恵「私の先生」 1977
渡辺真知子「迷い道」 1977
矢野顕子「いろはにこんぺいとう」 1977
竹内まりや「戻っておいで・私の時間」 1978
松田聖子「裸足の季節」 1980
小泉今日子「私の16才」 1982
中森明菜「スローモーション」 1982
原田悠里「俺に咲いた花」 1982
星ひろみ(伍代夏子)「恋の家なき子」 1982
菊池桃子「青春のいじわる」 1984
中山美穂「C」 1985 
南野陽子「恥ずかしすぎて」 1985
浅香唯「夏少女」 1985
渡辺美里「I'm free」 1985
中村美律子「恋の肥後つばき」 1986
島津亜矢「袴をはいた渡り鳥」 1986
椎名恵「今夜はANGEL」 1986
伍代夏子「戻り川」 1987
坂本冬美「あばれ太鼓」 1987
森高千里「NEW SEASON」 1987
藤あや子「ふたり川」 1987
工藤静香「禁断のテレパシー」 1987
香西かおり「雨酒場」 1988
夏川りみ(旧芸名・星美里)「しほり」 1989
田川寿美「女…ひとり旅」 1992
安室奈美恵「太陽のSEASON」 1995
華原朋美「keep yourself alive」 1995
水森かおり「おしろい花」 1995
宇多田ヒカル「Automatic」 1998
浜崎あゆみ「poker face」 1998
椎名林檎「幸福論」   1998
aiko「あした」       1998
MISIA「つつみ込むように」 1998
水樹奈々「想い」     2000
中島美嘉「STARS」   2001
一青窈「もらい泣き」   2002
JUJU「光の中へ」    2004
Perfume 「リニアモーターガール」 2005
新妻聖子「夢の翼」   2006
越智志帆(superfly)「ハローハロー」 2007  
西野カナ「I」        2008 
miwa「don't cry anymore」 2010
家入レオ「サブリナ」   2012
あいみょん「生きていたんだよな」 2016
栞菜智世「Hear 信じあえた証」 2016

人類進化と文明への歩み

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  左から直立猿人、ネアンデルタール人、クロマニョン人。しかし単線的に進化したのではなく、それぞれ複雑に分化、絶滅、置換、進化を繰り返してきた

 138億年前、ビッグバンと呼ばれる大爆発によって宇宙が誕生し、この地球が48年前誕生した。生命は進化して、人類は約700万年前から600万年前にかけてアフリカで誕生したことは間違いあるまい。現在の段階で最古の人類と認められるのは猿人であり、アウストラロピテクス属の化石人骨は20世紀に入って多数発見されている。1924年、レイモンド・ダートが南アフリカでアウストラロピテクスの化石を発見した。しかし当時のイギリスの学界は「キースのルビコン」(脳の容積が750cc以上がヒトで、それより以下がサルとする説、Cerebral Rubicon)といわれる学説が支配的でダートが発見した化石は類人猿とみなされた。しかし1950年にアメリカの学界でアウストラロピテクスは猿人として認められ、ダートの名誉は回復している。猿人は原人へと進化し、100万年以上前にアフリカを出て世界各地に広がったが、アジアに渡ったジャワ原人、北京原人やヨーロッパに渡ったネアンデルタール人は、少なくとも3万年前には絶滅したとされる。つまり旧人から新人へと進化した(多地域進化説)のではなく、約16万年前にアフリカで登場した新人(初期ホモ・サピエンス)が約10万年前にアジアにも広がり、それが現代人へとつながったという説(アフリカ単一説)が有力である。とくに旧人(ネアンデルタール人)と新人の関係はその順ではなく、新人の方が早く登場した。現在では猿人、原人、旧人、新人という化石人類の4分類は、人類学会では用いられなくなっている。ミトコンドリアDNAの研究では、世界中に分布する人間の集団におけるマイクロサテライト(人類の遺伝的差違の大部分を占める遺伝子領域)解析の結果、中東に住む集団と北東シベリアに住むヤクート族の集団の先祖において、ボトルネックが生じた可能性が高いという。つまりわずか4~6万年前に「出アフリカ」を果たした一団が現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)となって世界各地に広がったとされる。これまでに人類はおよそ1000億人が生まれたと推計される。そして高度な文明を築いた人類は74億人を数えるまで増加した。

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  やがてそれぞれの地方の気候や風土に適応してモンゴル(黄色)人種、ネグロ(黒色)人種、コーカサス(白色)人種などの人種にわかれた。(世界史、アーサー・キース)

脳容積の比較
 猿人(490万年前) 435~600cc
  原人(70~40万年前) 800~1300cc
  旧人(15万年前)  1300~1600cc
  新人(数万年前)  平均1600cc

2019年2月19日 (火)

北京原人は火を使用しなかった!?(異説世界史)

Img_1548940_28906951_0    1929年12月2日、裴文中が中国・周口店で北京原人の完全な頭蓋骨を発見した。これまで人類が初めて火を使ったのは50万年前の北京原人(学名ホモ・エレクトス・ペキネンシス)と考えられていた。近年、南アフリカ北部で約100万年前に草木を燃やし、獲物の動物などを焼いて食べていたとみられる跡が発見された。しかし欧米の学者は、洞窟内の灰の跡は堆積したコウモリの糞が自然発火したものであり、北京原人が火を使い、調理したり、火種を保存する能力がなかったのではと見ている。ブラックによって学名シナントロプス・ペキネンシスと名付けられていたが、現在はホモ・エレクトス・ペキネンシスと改称されている。アフリカ起源の人類が世界各地域に広がったとする単一起源説が優位であるが、米学者ミルフォード・ヴォルポフらは北京原人を根拠に多地域並行起源説を唱えている。中国の学者らも単一起源説に批判的であり、北京原人が火を使い、火種を保存する能力があったと反論している。

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    20世紀初頭の北京原人の調査にあたった学者たちは米の古生物学者ヘンリー・オズボーン(1857-1935)の影響下にあった。オズボーンは中央アジアこそが人類の起源であるという仮説をたてた。1914年、スウェーデンの地質学者ヨハン・アンダーソン(1874-1934)は中国全土を調査した。1919年にカナダ人のダヴィッドソン・ブラック(1884-1934)が北京にやって来た。1921年、ブラックとオットー・ツダンスキーは周口店で北京原人の歯を発見した。続いて輩斐文中がほぼ完全な頭蓋骨の化石を発見し、世界的に注目が集まった。ワイデンライヒは北京原人を現生人類の祖先と考えたが、現在では否定する学者が多い。未だ北京原人がアジア人の祖先か、火を使用したのか、使用しなかったのか、決定的なことは謎のままである。もつとも確実な炉の址が見つかったのはフランスのテラ・アマタ遺蹟で約40~35万年前である。

 

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  アンダーソン              ブラック

( keyword;Homm erectus Pekinensis,F・Weidenreich,Davidson Black,Johan Gannar Andersson )

世界で最初に運転免許証が発行された国はどこ?

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2019年2月18日 (月)

素晴らしきかな映画

「ラ・ラ・ランド」を観たけどイマイチ感動しなかった。自分も老いたのかもしれない。昨夜の映画は主人公ウィル・スミスがドミノ倒しの名人。幼い子供を亡くして、その痛手から心を閉ざしている。「愛」「時間」「死」へ手紙を送っている。人は「愛・時間・死」よりも、衣食住や株価や経済的成功、地位や出世、評価に関心を寄せて生きている。しかし誰でも死によってそれらを一瞬に失う。ドラマは体調不良で最後まで見れなかったが、希望あるラストらしい。次会があれば見たい。「素晴らしきかな、人生」

地球外生命体はホントにいるのか?

Photo_3   英科学誌ネイチャーで、土星の衛星の1つ「エンケラドス」に生命が生息できる環境が存在するという研究結果が発表された。またNASAは2013年3月12日キュリオシティーが採取した火星の岩のサンプルを解析した結果、かつて火星には生命に適した環境があったと発表した。2010年から世界11ヵ国の天文台や大学などの機関が地球外知的生命体探査「ドロシー計画」を実施している。

    イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)は天の川銀河(当時の全宇宙)の星を観測して、太陽系は銀河系のほぼ中心に位置すると考えた。そして音楽家でもあったハーシェルは太陽系の惑星の配列と音楽理論とを結びつけ、すべての惑星には生命はもちろん文明が存在すると考えていた。1880年頃、イタリアで火星図がつくられた。このとき、直線状の模様「すじ」が描かれ、「すじ」は、イタリア語で「カナリ(canali)」といい、これがフランス語に訳されるとき「canal(運河)」となって伝わった。そして運河のような構造物をつくることができる文明があったとされ、「火星に知的生命がいる」という考えが広まった。そのころH・G・ウェルズが火星人が地球を攻めてくるという「宇宙戦争」(1898)が発表されて、宇宙人というとタコのような生物というイメージができた。ここ10年で地球と同じような環境の惑星は10個も発見されている。いまや地球外生命体がいる可能性や確率は100%だとする宇宙学者もいる。

    1781年、ハーシェルは天王星を発見した。1846年にはフランスのユルバン・ルヴェリエ(1811-1877)とイギリスのジョン・クーチ・アダムズ(18119-1892)が海王星を発見した。太陽系のうち最も遠くにある冥王星は2006年に惑星からはずされたが、パーシバル・ローウェルの遺志を受け継いだクライド・トンボー(1906-1997)が1930年2月18日に発見した。(William Herschel,Urbain Verrier,John Couch Adams,Clyde Tombaugh,Mars,Urnus,Neptune,Pluto)

2019年2月17日 (日)

ルムンバの遺書

Lumumbacapuradotropasmobutu1960   コンゴという国名は2つあるので紛らわしい。ベルギーの植民地だったコンゴ民主共和国(旧ザイール)とフランスの植民地だったコンゴ共和国。1960年のコンゴ動乱というのはベルギー領コンゴのことである。初代首相パトリス・ルムンバは民族主義的な社会主義国家を目指した。その直後のベルギーの侵攻によってコンゴ動乱が起こると国際連合に保護を求めたが、アメリカを背後にしたカサヴブとモブツ大佐らのクーデターで失脚して1961年、処刑された。「わが妻よ、わたしのことで泣かないでほしい。わたしは、苦悩多き我々の国家がおのれの自由と独立をまもりぬけることを知っている。コンゴ万歳!アフリカ万歳!」と遺書に書き残している。(1月17日、2月17日)

2019年2月16日 (土)

チビ太の大好物おでん

987676d80a25febea25705cf62d6dd18_2 誰にでも好物はある。ドラえもんの好物といえばドラ焼きであるが、ドラミちゃんの好物はメロンパン。ラーメン大好き小池さん。バガボンパパの好物レバニラ炒め。キン肉マンは牛丼。ハクション大魔王はハンバーグ。刑事コロンボの好物はチリコンカーン。逸ノ城はモンゴルの肉まん(jマットンボーズ)。全米オープンテニスから凱旋帰国した錦織圭「ノドグロが食べたい」。阿部寛はイケメンに似合わず焼きいもが大好き。若尾文子も甘党で好物はモンブランと大福餅。オバマ大統領が6歳の時、鎌倉を訪れ抹茶アイスクリームを食べた。2014年、大統領を招いた宮中晩餐会においても、抹茶アイスが供された。伍代夏子の実家は渋谷区代々木八幡の魚屋。「家が近所だったこともあり、いつも島倉千代子がお魚を買いに来てくださった。よくタコを買っていました」と語る。誰にでも好物がある。ベートーヴェンはアイスクリーム。「今年の冬は暖かいので氷が少なく、アイスクリームが食べられるかどうか心配だ」と日記に書いている。 正岡子規も夏目漱石も甘いものが大好きだった。大隈重信はメロンの味に感激して自宅の温室でメロンを栽培した。「メロンを食べると125歳まで生きられる」と常々豪語していたが、83歳で歿した。

著名人の大好物を集める。

1129小沢昭一 蕎麦
忽那汐里 納豆
松岡茉優 納豆
西郷隆盛 ウナギ
斎藤茂吉 ウナギ
獅子文六 お汁粉
東海林さだお ラーメン
関根勤   カレーライス
醍醐天皇 わらび餅
佐々木希 ラーメン
高浜虚子 おでん
谷原章介 納豆
手塚治虫 チョコレート
徳川家定 スイーツ(芋、カステラ)
徳川家康 鯛の天ぷら、ニンニク
徳川慶喜 豚肉
夏目漱石 羊羹、もなか、カステラ
南原清隆 うどん
西内まりあ カリカリ梅
林家三平  かきもち茶漬け
正岡子規 ココア
向田邦子 水羊羹
森鴎外   まんじゅう茶漬け
淀川長治 ウナギ
マザー・テレサ チョコレート
マリリン・モンロー ラムチョップ
ザッケローニ ピアディーナ
ロナルド・レーガン ゼリービーンズ(お菓子)

黄河の源流と河口

   黄河は全長5464㎞、流域面積75.24万㎢、中国では長江に次いで第二の規模をもつ河川である。その源流は中国西部、青海省南部であるが、元代までは星宿海(シンシウハイ)が水源と考えられていたが、実際はさらに数百キロをさかのぼるバヤンカラ山脈に源流がある。黄河は、黄土高原地帯を流れて山東半島と遼東半島によって仕切られた渤海湾に注いでいる。巨大な「几」の字のような形をしており、その著しい特性は、世界の大河のなかでも泥を含む量がもつとも多い河である。黄河はこれまでに大規模な氾濫を繰り返し、時代によって黄河の河口は大きく変わっている。黄河は過去7回の大変動があり、元から清の時代には開封付近から東南に向かい、山東半島の南に河口があり、黄海に注いでいたことはよく知られている。現在のように渤海湾に注ぐようになったのは、1948年のことである。現在、黄河の下流の左右両岸には、全長1300㎞におよぶ黄河大堤があって氾濫を防いでいる。(秋山元秀「黄河 その風土と地理的環境」 しにか2001年1月)

「ハ」事項索引インデックス

20090701_hailuoto[  は  ]

   「貝多羅葉」貝多羅ともいう。かつて南アジアや東南アジアで広く使われたシュロやヤシの樹木の葉を利用した文書の材料。▽「パサロヴィッツ条約」1718年オスマントルコがオーストリア、ベネチアとの間に締結した条約。▽「バシーの虐殺」1562年に起こったユグノー教徒を多数殺傷した事件。▽「バシリク古墳群」ロシア南シベリア。スキタイ人の遺物が発見される。▽「ハガイ」イスラエルの預言者。前6世紀バビロニア捕囚から帰還後、荒廃したエルサレム神殿を再建すべきことをすすめた。▽「パイロットファーム」1956年北海道の根釧台地で機械を導入し近代経営の形態をとる先駆的な実験農場。▽「ハイアット」1870年セルロイドを発明。▽「パレイドレア(変像症)」意味のない対象に、特定の意味を認識してしまう幻視の一種。例えば、天井のしみが秘史の顔に見えてしまう。▽「パストラル」ベートーヴェン・ピアノソナタ「田園」。▽「半仙戯(はんせんぎ)」ブランコのことで、半分、仙人になった気分になるからとか。▽「牌符」元の駅伝制(ジャムチ)で使用された通行証。▽「ハイメ1世」イベリア半島東部のアンゴラ連合王国の王ハイメ1世は13世紀イスラム支配下の地域を征服してレコンキスタの大躍進を果たして征服王と呼ばれた。▽「バージェス頁岩」約5億500万年前の海棲動物群を化石として閉じ込めた、そのころ海底崖であったところの堆積層。発見者チャールズ・ウォルコットにちなんで命名された。▽「パシュート」平昌五輪で高木美帆ら三選手スピードスケート団体競技で金メダル。pursuitとは「追跡」という意味。▽「ハナミズキ」アメリカ原産で、大正初年に渡来し、庭などに植栽された。アメリカヤマボウシという。4月から5月、白・淡桃色の四枚の大きな花びらがあざやかである。▽「ハジチ」かつて琉球列島で女性の指から手の甲、ひじにかけて施された入れ墨。「針突」と表記する。成女儀礼、本土にさらわれないための魔除けの願いが込められている。▽「バンジュール」ガンビア共和国の首都。▽「バイオーム」生物群系。ある気候条件の地域で、それぞれの条件下での安定した極相の状態になっている動植物の集り(群集)をいう。気温と降水量が主な環境要因。バイオ(bio=生物)とオーム(ome=全体)という2つの言葉をつないだもの。▽「バージェス動物化石群」1910年にアメリカの古生物学者チャールズ・ウォルコットがカナダ南部のロッキー山脈でバージェス頁岩を発見。化石の中にはピカイアやアノマロカリスも含まれる。▽「パバーヌ」16世紀にヨーロッパで流行した緩やかな宮廷舞踊。▽「パラリンピック」パラプレジア(脊髄損傷等による下半身麻痺者)+オリンピックの造語。第一回大会は1960年のローマだが、用語が広まったのは1964年の東京大会からである。▽「バルディヤ刺殺事件」前522年アケメネス朝ペルシャでカンビュセス2世がバルディヤを殺害、王位を簒奪する。その後、ダリウスが反乱を即位した。▽「バルバロッサ作戦」第二次世界大戦中のドイツ軍によるソビエト連邦奇襲攻撃作戦の名称。▽「パンソリ」18世紀初頭に全羅道を中心に、庶民の間で唱劇につけて歌われた、哀歓豊かな節回しと力強いこぶしで物語りを歌い綴る韓国の代表的な伝統音楽。▽「ハンナ山」漢拏山。済州島にある韓国最高峰の山。標高1950m。(ははは)

ハアバイ(群島) トンガ王国
バアルべク(レバノン)
バイアグラ
ハイアット
バイアブランカ(アルゼンチン)
梅雨
バイオーム
バイカル湖
バイキング
バイクスピーチ(山)アメリカ・コロラド州
牌符(パイザ)
背水の陣
貝多羅葉(ばいたらよう)
ハイチ
ハイヌウェレ
灰の水曜日
バイブル
ハイメ1世
バイヨンヌ(フランス南西部)
ハイルオト(島) フィンランド北西部(画像)
ハイレ・セラシエ1世
パイロットファーム
バウハウス
パウロ
ハオルシア・オブツーサ
馬鹿
ハガイ書
葉隠
博多どんたく
バカヤロー解散
ハギア・ソフィア(イスタンブール)
ハギオス・デメトリオス聖堂
パキスタン
萩原朔太郎
パーキンソン病
パグウォッシュ会議
パクス・ブリタニカ(イギリスの平和)
パクス・ロマーナ(ローマの平和)
白村江の戦い
バグダッド
バクテリア
ハクビシン(白鼻心)
箱根
パサルガダエ
パサロヴィッツ条約

バージェス頁岩
ハジチ
バージェス動物化石群
バージニア(州)
バシーの虐殺
ハシバミ
パシフィック・メイル汽船会社
パシュート
バジリカータ(イタリア南部)
バジリク古墳群
パストラル
バセドウ病
バーゼル(スイス)
バタヴィア
パチャカマック神
パチンコ
バッキンガム宮殿
パッサロヴィッツ条約
ハトシェプスト
ハード・ボイルド
ハトロン紙
パナマ文書
ハナミズキ
バーナム効果
花より団子
パバーヌ
バビロン捕囚
ハピントン陰謀事件
バベルの塔
パホイホイ溶岩
歯舞諸島
バーミヤン
ハメーンリンナ(フィンランド)
バヤンカラ山脈
バラ
ハラッパ
バラモン教
パラリンピック
パリ
バリウム
バリスカン造山運動
バリ島(インドネシア)
バルタザール
ハリファックス(カナダ)
バルサミコ酢
ハルシュタット文化
バルディヤ刺殺事件
バルバスバウ
バルバロッサ作戦
バレイドリア(変像症)
ハレー彗星
パレンバン
ハロウィーン
バロック
反意語
漢江(はんこう)
パン
パンアメリカン航空
バン・アレン帯
半襟
版画
樊噲(はんかい)
ハンカ湖
バンガード
ハンガリー
ハンガリー革命
ハンガリー動乱
バンクーバー
バングラデシュ
ハンゴンソウ(反魂草)
蛮社の獄
パンジャブ
バンジャルマシン(インドネシア)
バンジュール
バンギ
半規管
ハングル
パンゲア大陸
盤珪永琢
ハンゲショウ
万古焼
犯罪
ハンザ同盟
半紙
パンジー
阪神タイガース
パンセ
パンソリ
パンダ
半田鏝
番茶
パンチャタントラ
蕃鎮
パンツァーリート(ドイツ戦車行進曲)
半仙戯
パンテオン
半島
パントテン酸
半導体
パントマイム
パンドラ
バンドン(インドネシア)
ハンナ山
ハンニバル
パンノキ
万里の長城
52596925_org_v1390699565
 パンノキ 

「カ」 事項索引インデックス

PhotoCastagna_marrone_ricci_autunno  「カイロネイアの戦い」紀元前338年ボイオティアのカイロネイアでマケドニア軍がアテナイ・テーバイ連合軍を破る。▽「カイロノミー」指揮者が指揮棒を使わずに、手の動きによって指揮すること。▽「海岸党」紀元前6世紀アテナイの一党派。南部の商工業の支持層で構成され、指導者はメガクレス。パラリオイ(Paraloi)。▽「カウディーリョ」中南米やスペインにおける、独裁権を掌握した政治・軍事指導者の称号。▽「俄館播遷」1896年朝鮮国王の高宗がロシア公使館に移り朝鮮王朝の執政をとったこと。▽「カスタネット」木製の打楽器。スペイン語で「栗の実」を意味するカスターニャ(castagna)に由来する。▽「カッシーニのすきま」土星のA環とB環の間にある間隙。▽「鎌倉アカデミア」戦後の日本社会の文化的産業的再生を担う有為の人材育成をめざし、1946年に三枝博音、服部之総、吉野英雄、林達夫らの文化人が創設した学校。▽「カポック」アオイ科セイバ属の落葉高木。パンヤノキ。▽「カリスマ」語源は、ギリシャ語で「神の恩寵」つまり神の恵みの賜物。神から人間に与えられる恵み、贈り物。使徒や預言者の言葉はもとより霊能力や奇跡など、神がキリスト教徒に使命を達成させるために一時的に与える能力。今日では、際立った権威や影響力を指すようになった。▽「華清池」西安の東郊外にある温泉地。楊貴妃が湯浴みしたことで知られる。▽「カモノハシ」哺乳類なのに卵を産む。子どもは母親の乳を飲んで育つ。オーストラリアの一部だけに生息する。▽「カタバ風」南極大陸などで、斜面に沿って下降する風。▽「カラ・キタイ」耶律大石、中央アジアに1132年に建国。▽「カーリング」15世紀にイギリスのスコットランドで発祥したとされる。日本では1973年に長野県で第一回カーリング大会が開かれる。▽「カルボナリ」19世紀初頭、イタリア南部で結成された秘密結社。▽「カルボナーラ」1912年ローマ発祥のパスタ。「炭焼き職人」の意味でペンネにチーズと卵を使った。▽「カレワラ」1835年にエリアス・リョンロートによってまとめられたフィンランドの民族叙事詩。▽「カウンターカルチャー運動」既存の権威や体制に反対する文化のこと。1960年代のアメリカで盛り上がりをみせ、公民権運動やベトナム反戦運動に発展した。▽「甘草」カンゾウ。マメ科の多年草。(かかかか)

 

夏(中国古代の王朝)
カー,エドワード・ハレット
カーゴパンツ cargo pants 作業用パンツ
ガーシュイン,ジョージ
カースト
カーソル cursor(表示マーク)
ガーター勲章
カーター・トリホス条約(1977年パナマ運河条約)
ガーデニング
ガーナ
カー・ナビゲーション
ガープの世界(ジョン・アーヴィングの小説)
カーボベルテ
ガーランド,ジュディ
カーリング curling
何晏(かあん) 魏の思想家
海印寺(朝鮮、慶尚南道にある寺院、ヘインサ)
海王星 Neptune
垓下の戦い
絵画療法 art therapy
海岸段丘
海岸党
皆既月食
皆既日食
会議は踊る、されど進まず(ウィーン会議)
貝殻節(鳥取県)
海峡
海国兵談(林子平)
開元の治(唐玄宗)
カイザーフラシャー角膜輪
カイザルのものはカイザルに(聖書)
華夷思想
会昌の排仏
介助犬 partner dog
懐石料理
カイゼルルひげ
凱旋門
塊村(家屋が塊状に集合した集村)
解体新書(ターヘル・アナトミア)
貝塚
カイツブリ
海底2万マイル(ジュール・ベルヌの小説)
回転木馬(ミュージカル)
灰陶(かいとう)
街道
カイドウ(海棠)
海馬 hippocampas
カイバー峠(アフガニスタン)
貝原益軒
懐風藻
開封(かいほう)
戒名
回毛(つむじ)
偕楽園(茨城県水戸市)
海陸風(かいりくふう)
海陵王(12世紀、金朝第4代皇帝)
カイロ(エジプト)
カイロノミー
カインの末裔(有島武郎の小説)
ガウガメラの戦い
カウディーリョ
カウンターカルチャー運動
カエサル
蛙の子は蛙
カオスの理論(複雑系経済学)
雅楽
案山子(かかし)
俄館播遷(がかんはせん)
柿本人麻呂
科挙
華僑
確定申告
楽府
学問のすすめ(福澤諭吉)
影絵人形劇
駆け落ち
影の軍隊(ジョゼフ・ケッセルの小説)
影の内閣(shadow cabinet)
囲い込み(エンクロージャー)
ガーゴイル
加古川市(兵庫県)
ガザに盲いて
風花(かざはな)
カザフスタン
火山
カサンドラ症候群
カシウ(何首鳥)
鹿地事件
カジス(スペイン)
カシミア効果(物理)
カシミール紛争
カジャール朝
華氏451(レイ・ブラッドベリのSF小説)
何首烏芋(かしゆういも)
柏崎市(新潟県)
臥薪嘗胆
カスタネット
カストリ焼酎
ガズニ朝
火星
画像破壊 Iconoclasm
華清池(かせいち)
苛政は虎よりも猛なり(礼記)
化石人類
風と共に去りぬ
風の息
カタコンベ(カタコム)
カタストロフィーの理論(数学)
カタバ風
酢漿草(かたばみ)
カダフィ大佐
カタプレキシー(情動脱力発作)
カタラウヌムの戦い
勝鬨橋
カチューシャ
カチョ(アイヌの太鼓)
カチンの森事件
勝海舟
学校
カッサバ(灌木性熱帯樹)
カッシート朝
カッシーニのすきま
ガッツポーズ guts pose
河童
カップ一揆
桂太郎
ガツン湖(パナマ)
カティサーク
Foleycatheter899692カテーテル
加藤清正
カド番
カトマイ国立公園(アラスカ州)
カトリック
悲しき玩具(石川啄木の歌集)
カナダ
カナート(地下水路)
かなめ党
カニシカ王
カノッサの屈辱
カネミ油症事件
カバナツアン収容所(フィリピン)
カピバラ
カピチュレーション
歌舞伎
カフェクルベン島
花粉症
カペー朝
カポック(喬木性熱帯樹)
かまいたち
鎌倉
鎌倉アカデミア
カマトト
カミオカンデ(岐阜県神岡鉱山)
神隠し
神風タクシー
カミュ,アルベール
カムタイ大統領(ラオス)
カムチャツカ半島
亀ヶ岡式土器(縄文時代晩期)
かめはめ波(ドラゴンボールの必殺技)
カメラ
仮面ライダー
カモノハシ
カモミール(キク科の一年草)
カラ・キタイ
カラコルム
ガラスの動物園(テネシー・ウィリアムズの戯曲)
空手
ガラパゴス諸島(エクアドル)
カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキーの小説)
カリウム・アルゴン法
カリスマ
ガリバー旅行記
カリビアン政策
カリフ
カリフォルニア州(アメリカ)
カルヴィン
カルスト地形
カルタゴ
カルデコット賞
カルデラ湖
カルナータカ音楽(南インドの音楽)
カルナック神殿
カルバペネム耐性腸内細菌
ガルボ,グレタ
カルボナーラ
カルボナリ
カル―盆地(南アフリカ共和国)
カルロヴィッツ条約
華麗なるギャツビー(フィッツジェラルドの小説)
過労死
カロリング朝
ガレオン船
カレワラ
河口湖
川端康成
考える人
汗牛充棟
環境可能論(ブラーシュ)
函谷関
カンザス州(アメリカ)
ガンジー
ガンジス川
感謝祭
鑑真
寛政西津軽地震(1793年)
甘草(カンゾウ)
干拓
カンタータ cantata
カンタベリー大司教
神田祭
ガンダーラ
邯鄲
カンディード(ヴォルテールの小説)
元旦
カント,イマニュエル
関東大震災
カンナダ語
カンネーの戦い
観応の擾乱
間氷期
カンプトサウルス
カンブリア紀(地質時代の古生代最初の時期)
カンポ・フォルミオ条約
完璧
管鮑の交わり
カンボジア
桓武天皇
関門海峡
間氷期(氷期と氷期の間の温暖期)
韓愈
咸陽
かんらん岩
寒冷前線
甘露の変
緩和ケア病棟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天気図記念日

Weather_map002   1883年のこの日、東京気象台が日本初の天気図を作成。ドイツ人の気象学者エリヴィン・クニッピング(1844-1922)の指導のもと、7色刷りの天気図が作成された。(2月16日)

 

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 Erwin Knipping

2019年2月15日 (金)

蛍の光

    「♪蛍の光、窓の雪~」。卒業式のシーズン。ほんとうに蛍の光や積もった雪の灯かりで読書ができるのだろうか。石川啄木の歌集「悲しき玩具」(明治44年)に次の歌が収録されている。

  秋近し!

     電燈の球のぬくもりの

     さはれば指の皮膚に親しき。

    これ以前の室内の灯火具といえば、行燈、燭台、ランプだった。明治15年に銀座に初めて電灯が灯されたが、家庭に電気が使われるようになったのは明治19年ごろから。しかし、家庭で電気が一般に使われるようになったのは大正になってからであるので、東京にいる啄木の電気スタンドは明治末年に売り出された新機種だったのだろうか。

    灯かりと読書の話は、中国の古い故事が有名であろう。晋の時代に、車胤と孫康という二人の青年がいた。二人は、本を読むのに、灯かりの油が買えないほど貧しかった。そこで車胤は、夏の夜には、ねり絹のふくろに数十匹の蛍を入れて、蛍の光で本を読んで勉強した。孫康は、冬の夜には、降り積もった雪の灯かりで本を読んで勉強した。この故事から「蛍雪の功」という言葉が生まれ、「蛍窓雪案」(蛍窓はふみ読む窓、雪案は勉強机)は「苦学すること」をさすようになった。

   戦前の歴史学者の朝河貫一(1873-1949)は英語の辞書を1ページずつ覚えては破り、残った皮の表紙を桜の木の根元に埋めた。天文学者の新城新蔵(1873-1938)は深夜勉強していて眠気をもよおすと錐で自分の太ももを突いて眠気を振り払って勉強したという。東大に合格すると、その錐を松の木の根元に埋めた。「朝河桜」「新城松」はまるで車胤、孫康の日本版「蛍雪の功」として伝えられている。

 ちなみに卒業式や店舗の閉店にBGMとして使われる名曲「蛍の光」は原曲はスコットランド民謡で歌詞はイギリスの国民詩人ロバート・バーンズ(1759-1796)の作詞。オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)はスコットランド語で、英訳するとold long sicne(久しき昔)。日本語歌詞とは全然異なり、旧友と再会し、思い出話わしつつ酒を酌み交わそうという内容である。

ヒマラヤ登山の歴史(19世紀)

   「世界の屋根」といわれるヒマラヤには、標高7000mを超えるピークが250種以上、8000mを超えるピークだけでもエベレスト(8848m)をはじめとして14座もある。現在ではそのほとんどが踏破されたが、19世紀以前は多くが人跡未踏の処女峰であった。ヒマラヤの近代登山は、イギリス人のウィリアム・ウッドマン・グレアム(1859-1932)が1883年にドゥナギリの試頂とシッキムのカブール周辺の登山から始まる。1887年、ヤングハズバンドが北方からムズターグ峠によるカラコルム越えに成功、1892年にコンウェイのカラコルム遠征があり、6888mの当時の人類到達新記録をつくった。1895年、8000m峰ナンガバルバットに挑戦したママリーは遭難し、1899年、フレッシュフィールドのカンチェジュンガの偵察と一周囲旅行をもって、19世紀のヒマラヤ登山史は終わりを告げた。

無名時代の大スター

Friday13   「ヒッチコック劇場」の「13日は金曜日」(1962)デューク(ギグ・ヤング)はギャンブルで成功した。しかし妻はそんな生活を嫌い、足を洗ってほしいと願う。デュークは妻に侘びて、2人でハワイに行こうと約束する。だが大学進学を援助した弟のチャックがギャンブルにはまっていた。デュークは賭け事の怖さを思い知らせるためイカサマをする。この弟の役はなんと、ロバート・レッドフォードである。当時25歳。映画「雨のニューオリンズ」(1965)やブロードウェー「裸足で散歩」(1963)で注目される前。テレビの出演をしていた下積み時代。若くて青二才という感じ。映画「アメリカン・グラフィティ」を見ていると、ハリソン・フォードが端役ででいる。31歳だった。ハリソン・フォードの下積み時代は大工だった。「スターウォーズ」のハン・ソロの4年前である。「プラトーン」(1986)では23歳ころのジョニー・デップが通訳の米兵士として端役で出演している。(Harrison Ford)

浅野長矩辞世の歌は後世の偽作

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    浅野長矩の辞世の歌として知られる「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとかせん」は、忠臣蔵映画には欠くことができないものである。これは、刃傷松の廊下の当日、御目付部屋に詰めていた目付、多門伝八郎が記した「多門伝八郎筆記」にみえる。しかし、宝永2年7月(1705年8月)以降に都乃錦という浮世作家(本名、宍戸円喜)の著作「播磨椙原」にある「風さそふ花よりも亦われは猶春の名残をいかにとかせむ」と酷似している。長矩の辞世は本人の作ではなく、円喜の創作とみるのが自然であろう。

   多門伝八郎重共(1658-1723)。1701年赤穂事件において浅野長政の取調べと切腹副検死役をつとめた。「多門筆記」は赤穂側に肩入れした記述が多く見られ、多門の著作ではなく、後世に別人が書いたとする説が有力である。刃傷事件後、1703年10月から多門は防火の仕事に従事し、1704年6月にはその功績で黄金三枚を賜わった。ところが8月2日になってその務めが良くなかったとされて小普請入りにされ、1705年には埼玉郡の所領も多摩郡に移された。1723年6月22日に死去、享年65歳。硬骨漢は出世コースをはずされ、不遇のうちに一生を過ごしたらしい。

2019年2月14日 (木)

富士山と日本人

 富士山は古くから日本人のあこがれや信仰の対象として親しまれてた美しい山である。ある照明装置の会社が富士山のライトアップを計画したところ、反対の意見が多数寄せられた。霊峰富士山はすべての日本人がそこに回帰する心のふるさと、信仰の対象なのである。また外国人からみてもフジヤマは日本の象徴なのだ。戦時中、富士山をペンキで赤く染める作戦がたてられていたそうだ。ダウンフォール作戦という。富士山の姿をかえることで、日本人の戦意を失わせようと考えたから。ところが、とんでもないペンキの量と、ペンキを運ぶ飛行機が必要とわかり、作戦は中止となった。

  これまで、数多くの文人・画家・武人から一般の庶民にいたるまで、あらゆる階層の人びとが富士を語り、作品に表現している。だがなぜ日本人は富士山を三峰に描くのだろうか。実際にはほとんど三峰には見えない。藤原成一は「三峰に富士山が描かれた場合は、これは普通の絵ではなく、聖なる絵、聖画といっていい」と言う(NHK「美の壺」276)。鎌倉時代には山頂が三峰に分かれた三峰型富士の描写法が確立された。室町時代に描かれた「富士曼荼羅図」は現存する最初の三峰型富士である。仏の三尊様式にのっとって、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来の姿が象徴されている。(参考:天野紀代子・澤登寛聡編「富士山と日本人の心性」)  Operation Downfall

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蛮社の獄

1839年5月14日、蛮社(蛮学社中)の中心人物で三河田原藩家老の渡辺崋山が、江戸北町奉行に召喚された。つづいて、17日には小関三英が逮捕を予期して突如自殺、さらに18日夜には一時身を隠していた高野長英が奉行所に自首する。蛮社の獄の始まりである。

事件は、幕府の役人たちの反目からおこった。1837年のモリソン号事件にさいして危機感をもった水野忠邦は、江戸湾防御のために、代官江川太郎左衛門と目付鳥居耀蔵に江戸湾巡視を命じた。江川は幕府内部でも開明派として知られた蛮社の一員であり、これに対して林大学頭述斎の次男である鳥居は、徹底した蘭学嫌いの保守派であった。鳥居にとって江川と組むことは、憤懣やる方ない人事であった。

この巡視終了後、江川が渡辺崋山の援助を受け、巡視の復命書を書き上げるについても崋山から助言を受けたことを聞きつけた鳥居は、崋山とその同志について調査させた。鳥居はその調査にもとづき江川らを告発する一方で、崋山が無人島渡航計画に関与したこと、大塩平八郎と関係があったことなどを、水野忠邦に訴え出た。

江川を信頼していた忠邦は、この内容を独自に調査させ、多くは事実無根であることが判明した。しかし、自宅から押収された著書「慎機論」が幕府を誹謗するものとして、崋山は故郷田原に蟄居となり、長英も著書「戊戌夢物語」が幕府批判とみなされ、永牢となる。

1841年10月、崋山は自殺する。長英は45年に脱獄逃亡、50年10月には江戸の隠れ家を役人に急襲され自殺する。

パンの歴史

Img_0735_3   日本語パン pan は、ポルトガル語 pao から来ている。1600年ごろ、長崎に来たポルトガル人が、その製法を教えたのである。ところが、日本は米、大麦、アワ、ヒエなどを、粒のままで煮て食べる粒食民族だったため、小麦粉で作るパンは、あまり口にあわなかったとみえ、それほど普及しなかった。明治になっても、どちらかというと菓子パンとして発達したのがパンの歴史である。アンパンを発明したり、ジャムパンやクリームパンなどがさかんに作られ、おやつがわりとして食べられていた。

Img_3939    日本の家庭でパンを食べるようになったのは、1900年以降で、文化人が好んで洋食として取り入れたからである。志賀直哉は大正時代末期からすでにパン、バター、牛乳という朝食スタイルだった。一般大衆がパン食になるのは、学校給食が普及した戦後からである。今では、あんパン、ジャムパンといった菓子パンからホットドック、クロワッサンやマカロンといったスイーツの種類も豊富になった。最近は炭火であぶったチョリソーを、半分に切ったフランスパンにソーセージをはさんだアルゼンチンのチョリパンが日本でも食べられる。

1egyptbreadmakinggranger     世界でパンを初めて食べだしたのは古代エジプト人である。6000年前ナイル流域に定着しだしたころから、ひたすらパンを主食にしてきた。パンつくりは女の仕事で、そのころ「パンをふくらます技術」は秘中の秘としてエジプト人の間に守られていたが、イオニアを経てギリシアへ、さらにローマへ伝わった。ローマ時代にはパン屋やパンの工場もできていたことが、ポンペイの遺跡発掘で、わかっている。その後、ルネサンスの勃興とともにその技術は向上し各国に広まったが、フランスにおいて特に著しい発達を遂げた。一方、イギリスには古代ローマから伝えられたものが山高の独自の形態を生み出し、現在のアメリカのパンの元祖となり、中央アジアに始まるライ麦パンはロシア・ドイツなどで発展した。(choripan)

平将門

Tairamasakado_sarasikubi   平将門(903-940)は12年間、京にいたが、本拠東国に戻ると、父・良将の領地が叔父の平国香に奪われていたのを知り、力ずくで奪還し、国香を殺害した。939年に、官軍の攻撃を受け反撃しついに朝敵となってしまう。その後は関八州を勢力下に治め、自らを「新皇」と号し独立政権をつくってしまう。しかし940年2月14日、平貞盛によって討滅された。将門の首は京から東国に持ちされて首塚がつくられた。神田明神の近くにあった。東国の武将に崇敬を受け、江戸時代における霊地として信仰の対象であった。しかし明治になって、逆臣である将門が祀られているのはあるまじきこととされ、祭神から外された。1984年、将門の神霊は神田明神本社祭神に復帰した。

「ま」 ファースト・ネームから引く人名一覧

011231413   「マリー・アントワネット」1793年にギロチンで処刑された。民衆が貧困と食糧難に陥った際、「パンがなければお菓子(ブリオッシュ)を食べればいいじゃない」などの発言は、彼女を妬んだ貴族たちの作り話で、彼女自身は豪華な暮らしよりもルソーの思想の影響で質素を好み、飢饉の際に宮廷費を削って寄付するなど、国民を大事に思う心優しい人物であったといわれる。 ▽「マーカス・ガーウェイ」北アメリカで黒人の権利を主張した先駆者で、ジャマイカの国民的英雄。公民権運動にも影響を与えた。▽シェークスピアの名作で知られるマクベスは、11世紀のスコットランドの王で実在した人。1005年~1057年。▽「マルコス・ペレス・ヒメネス」1914-2001。ベネズエラの大統領。▽「マルティノ・テルティニ」1614-1661。オーストリアのヤソ会宣教師。明清時代に各地を旅行し、欧州最初の中国地図「支那新図」を著した。

マイク・ニコルズ
マイク・ペンス
マイク・ポンペイオ
マイケル・アージル
マイケル・キートン
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マイケル・ジョーダン
マイケル・ファラディー
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マウリ・ウコンマーンアホ
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マリア・ウォルポール
マリア・シャラポワ
マリア・テレジア
マリア・モンテッソーリ
マリアーノ・ラボイ・ブレイ
マリサ・トメイ
マリーヌ・ヴァクト
マリリン・モンロー
マール・オベロン
マルカントーニオ・ライモンディ
マルキ・ド・サド
マルク・シャガール
マルクス・トゥッリウス・キケロ
マルクス・ユニウス・プルートゥス
マルグリット・デュラス
マルゲリータ・ディ・サヴォイア・ジェノヴァ
マルコ・ビュッヘル
マルコ・ポーロ
マルコス・ペレス・ヒメネス
マルコムX
マルセル・デュシャン
マルセル・マルソー
マルチェロ・マストロヤンニ
マルチナ・ヒンギス
マルティーヌ・キャロル
マルティノ・マルティニ
マルティン・ハイデッガー
マルティン・ファン・ヘームスケルク
マルティン・ブツァー
マルティン・ルター
マレーネ・ディートリッヒ
マーロン・ブランド
マン・レイ
マンフレッド・ベニントン・リー
マンフレート・フォン・リヒトフォーフェン

 

Annex2020scott20martha_01
  マーサ・スコットは「十戒」ではモーセの産みの母、「ベンハー」でもヘストンの母親役。50年にわたる芸能歴で出演作品も多い。

知性と教養の話

Vitruvian20man    とにかく現代ほど知性と教養が求められる時代はない。池上彰や林修先生の冠番組がテレビで放送され、某大学教授が毎日のようにテレビ出演していると、勉強している時間はあるのか、と心配したくなる。漱石・鷗外の時代に比べると、現代人は知性と教養が劣化したと感じるのは私だけだろうか。

   ルネサンスが生んだ偉大な天才レオナルド・ダ・ヴィンチの興味や関心は当時知られていた学問のほとんどすべての分野に及んでいる。レオナルドが残した手稿の大半が科学や技術に関するものである。そしてそこにはレオナルドの深い洞察力と自然に対する鋭い観察がある。

Marnold  イギリスのマシュー・アーノルドは19世紀繁栄をもたらした自由主義が本来の姿を失って、社会の各階級は物質万能の思想にとりつかれ、政治・経済・文化・宗教の各領域に混乱と無秩序が現出していることを憂い、この無秩序を教養によって救うことを説いた。主著「教養と無秩序」(1869年)では個人の教養の充実によって社会の文化もまた進歩するものと説いている。

    では常識や知識・教養とは何か。現代人はこのことにつねに悩む。若い人は学校などで教わる科目や授業内容で将来役に立つのだろうかと。また大学の進路で、人文科学・自然科学・社会科学のいずれを選択するのか。画家や音楽家になりたかったが、親のすすめで法学部や経済学部へ行ったという人も多いだろう。またクイズ問題が得意で、実社会では物知りと言われても、教養人とは言われないだろう。口語的に「あの人は教養がある」と言う場合は、人付き合いや社交の場において、洗練された会話や身のこなし、マナーのある人ができる能力をさすことが多い。だが人ウケがする話術だけが教養人の要素ではない。ある人は教養人とは「慎みと品格」である、と言っていた。その人が学習して得た知識をひけらかして得意満面の人間は教養を感じさせない。だからといって、過去の人類の知識をまったく貯蔵しなければおバカといわれる。つまり人格プラス知識の貯蔵庫、の両輪が求められる。

   日本国際ギデオン協会という団体がある。日本人にはこの「ギデオン」がわからない。ギデオンとは旧約聖書・士師記に登場する12人の士師の1人。神からの召命を受け、当時のイスラエル人を近隣の部族の襲撃から守るリーダーとなった。わずか300人の兵で12万人のミデヤン人の軍勢を破った戦いは有名で、信仰の勇者として知られる。女士師デボラや怪力のサムソンの物語など教養として知っておくべきだろう。

異常なまでに高められた常識のことを、世間は知恵と呼んでいる(コールリッジ)

Matthew Arnold、5月2日

バレンタインデーの起源

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 皇帝クラウディウス・ゴチクスの命令で首を刎ねられる聖バレンタイン

    2月14日はバレンタインデー。好きな人にチョコレートを贈ったり、自分へのご褒美にしたりする恒例行事だが、起源はキリスト教の宗教儀式であることはあまり知られていない。バレンタインデーの起源は古代ローマ時代にさかのぼる。ローマ帝国では、2月13日から15日まで豊穣と結婚の祭りルペルカリアが盛大に行われ、とくに2月14日はユノ(JUNO)の祭日である。むかしローマ皇帝クラウディウスが帝位についてほどなく、ゴート族を撃退し、「ゴティクス」という添名がついた。皇帝はより軍隊を強くするため、兵士たちが愛する妻がいると勇敢に戦えないとして、結婚を禁じた。ところが、司教のウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたため、捕らえられ処刑された。あえてユナの祭日を処刑の日に選んで2月14日としたという。西暦269年のことである。311年、コンスタンチヌス大帝のキリスト教寛容令が出されてから、殉教者の聖バレンタインの人気がでた。いつしか聖バレンタインの命日が「恋人の日」といわれるようになり、愛する人に贈物をする風習が始まった。日本では1958年頃より流行し、一般的には女性から男性にチョコレートを贈る習慣になっている。でも海外を見ると事情は少し異なっているようだ。まず欧米では男女関係なく恋人や親しい人にハラ、ケーキ、カードといってものをプレゼントします。ホワイトデーのようなお返しの習慣はありません。ベトナムでは男性から女性へ花束をプレゼントする。インド・サウジアラビアでは宗教上の理由でバレンタインを祝うことは禁止されていますが、一部ではプレゼントのやり取りがあります。韓国ではバレンタインの習慣は日本から入ってきたようで、日本と同じ女性から男性へチョコレートを渡す日となっています。ホワイトデーの習慣もあります。面白いのは4月14日に「ブラックデー」というのがあります。これはバレンタインデー、ホワイトデーともに縁のなかった「ぼっち」が集まって慰め合う日です。黒い服を着て黒いものを飲食するという変わったイベントです。中国ではバレンタインデーは「情人節」と言われて、男性から女性にプレゼントを渡します。贈るのはバラが一般的で、バラの本数で思いをあらわします。

2019年2月13日 (水)

いとしのバレンタイン

Franksinatramyfunnyvalentin408872    スーパーの棚にはチョコレートが並べられ、バレンタインデーが待ち遠しいシーズン。むかしこの時期聴きたい曲は「マイ・ファニー・バレンタイン」。なかでもフランク・シナトラ盤はネルソン・リドルの指揮・演奏でシナトラの名唱中の名唱。シナトラとキム・ノヴァック主演の映画「夜の豹」(1957年)に挿入されていた。もともとはロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャーズ作曲による1937年の作品。同年のミュージカル「ベイブス・イン・マイ・アームズ」で使われた曲だった。このミュージカルは2年後MGMで映画化され、ジュディ・ガーランドが歌って知られるようになった。バレンタインとは男性の名前。つまり、この曲はバレンタインデーとは関係がない。「私のいとしのバレンタイン様」とあこがれの男性に思いを伝える女性が歌うべき曲ではあるが、なぜかベン・ウェブスター、マイルス・ディビス、チェット・ベーカーなど男性ミュージシャンに人気が高い。ロレンツ・ハートの歌詞にはvalentineと小文字で、つまりバレンタインデーにカードを送る相手、つまり「恋人、特別な人」を意味するともいわれる。でもこの曲の最後の歌詞に「毎日がバレンタインデーなんだから」と彼氏の名前をつなげているので、やっぱりバレンタインデーにふさわしい名曲なのだ。(MY FUNNY VALENTINE)

苗字制定記念日

Habe  江戸時代、苗字を使っていたのは貴族と武士だけだったが、明治3年9月19日、「平民苗字許可令」により平民も苗字を持つことが許された。しかし、苗字を附けたら税金を課せられるという噂が広まり、なかなか苗字を名乗ろうとしなかった。明治8年2月13日「平民苗字必称義務令」を出し、国民が姓を名乗ることが義務づけられた。いきなり苗字を考え出して名乗るわけだから、おもしろい苗字も数多くできた。富山県射水市の新湊にはめずらしい苗字が多く残っている。「釣」「網」「魚」「波」「海老」「米」「菓子」「酢」「飴」「風呂」「桶」「地蔵」「牛」「菊」などがある。

    「名字由来net」が便利だ。たとえば「剛力」と入力し検索すると、読み「ごうりき」、全国順位42871位、全国人数およそ60人。静岡県発祥の高力氏と関連する説もあると解説。難読稀姓調べによい。「中二病でも恋したい」のヒロイン小鳥遊六花。「小鳥遊」は難読稀姓の典型例だが、「たかなし」と読む。信濃国の高梨盛光が、長男に高梨、次男に鳥梨、三男に小鳥遊、四男に仁科の姓を与えたことからと解説する。小鳥が遊ぶ→天敵(鷹)がいない→たかなし。映画監督の神代辰巳の「くましろ」は珍しい。「四月一日」は「わたぬき」と読む。四月一日に綿入れの着物から綿を抜くから。

2019年2月12日 (火)

「燃えよ剣」と「新選組」

   司馬遼太郎の「燃えよ剣」がまた映画化される。主演の土方歳三は岡田准一。新選組の醍醐味は群像劇なので他の配役も気になる。鈴木亮平、山田涼介、伊藤英明、柴咲コウが決定している。豪華キャストでも面白いとは限らない。フジテレビ昭和48年版は先の「新選組血風録」「燃えよ剣」(NET)と配役が重なることろもあるが(三作品とも栗塚旭=土方歳三)だいぶん先の二作品に比べて劣っている感じがする。当時トップスターの鶴田浩二なのに何故なのかを考えてみたい。もちろん鶴田ファンならこの「新選組」が一番というだろう。しかし「新選組血風録」「燃えよ剣」を見たファンにはどうにも不満の残る作品であった。最大の弱点は近藤勇(鶴田浩二)と土方歳三(栗塚旭)との人間関係の描きかたである。義兄弟の契りを交わした二人であるが、その親密さが「新選組」には見られない。むしろ鶴田は栗塚をあまり信用せずに単独行動にでることが多い。意見や思想の違いもはっきりしていて、一枚岩ではない。もちろん「燃えよ剣」は土方が主役で近藤(舟橋元)は土方の傀儡のようなところが、かえって面白かった。スター鶴田浩二によって一人だけの見せ場をつくることになり、集団時代劇としての面白さを半減した。思えば舟橋元もかっては映画スターであった。新東宝が倒産し、古巣東映に戻り、テレビ出演が多くなった。愛嬌ある朴訥さが武州多摩の田舎農家の出の雰囲気があった。(舟橋は糖尿病を患い、後半は痩せてきて悲壮感がでていた)鶴田浩二ではカッコ良すぎる近藤勇で、これでは任侠映画のようであった。また沖田総司=島田順司というイメージがつよく、有川博では健康的すぎる感じがする。映画「燃えよ剣」は岡田・鈴木の相性にかかっている。

ブラジャーの日

Mary_phelps_jacobs  ブラジャーは1889年にフランスのエルミニー・カドルが発明し、1913年2月12日、アメリカのメアリー・フェルプス・ジェイコブ(1891-1970)によって発明、特許をとったとされる。これを記念して「ブラジャーの日」が制定されている。

   日本には大正末期に登場し、大正15年に「乳房バンド」の広告が掲載された。昭和4年には「乳房バンド」のほかに「乳バンド」「乳房ホールダー」「胸美帯」「乳おさえ」などの名で広告や通信販売欄に掲載されているから、日本でも製造が始まったと見られる。このほか、松岡錠一もこのころブラジャーを生産した(「日本洋装下着の歴史」)。これらは薬局、小間物店、デパートで売られていた。日本でブラジャーという用語が登場するのは1930年代である。しかし一般に普及するには至らず、広く使用されるのは1950年代以降である。日活映画「憎いあンちくしょう」(1962)で浅丘ルリ子の下着姿が話題となった。

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(横田尚美「1920年代の日本女性洋装下着」『ドレスタディ』vol33)Mary Phelps Jacobs,Hermine Cadille,brassiere

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(左上)1920年代のスリップ(右上)1920年代のブラジャー(右中)1920年代のパンティ、下の2点は1920年代のコルセット

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 主婦の友 昭和4年7月号の乳バンドの広告

2019年2月11日 (月)

小督と想夫恋

   平家物語に登場する女性の中で最高の美女は誰か。すぐに思うのは待賢門院璋子、常盤御前や静御前かもしれないが、高校古典にでてくる小督が印象的だ。桜町中納言成範(信西の子)の娘小督は、その美貌と琴の名手として知られ、中宮(建礼門院)に仕えていた。そのころ少将であった冷泉隆房が彼女を見初め、熱心に歌や手紙を送る。はじめは消極的であった彼女もついに隆房の求愛を受け入れる。ところが、そのころ傷心の高倉天皇を慰めようと中宮が彼女を天皇のもとへつかわし、小督は天皇の寵愛を受けるようになり、隆房との関係は引き裂かれることになる。清盛がこのことを聞き、2人の娘の婿を小督に奪われたと激怒し、その怒りを恐れた小督は、密に内裏を出て姿を隠した。

   小督を失った天皇は深く嘆き、かつて小督の琴の相手の笛をつとめた源仲国にある夜その探索を依頼する。仲国はかすかな噂をたよりに嵯峨野を訪ね歩くがなかなか見つけることができない。

   「亀山のあたり近く、松がひとむら立っているところから、かすかに琴の音が聞こえてくる。峰吹く風か、松風の声か、それとも尋ねる人の琴の音か、半信半疑であったけれども駒を進めて近づいていくと、片折戸の家の中から、冴えた琴の音が聞こえてくる。駒をとめて聞くと、まさしくそれは小督の爪音だった。曲は何かと聞きますと、夫を想って恋うるという想夫恋(そうぶれん)の曲であった。やはりそうか。帝を恋い慕われて、琴の曲も多い中からわざわざこの曲を選んで弾いていらっしゃるお心のやさしさよと、仲国は感動し、腰から横笛をぬきとり、ひと吹鳴らしてから、門の扉をほとほとと叩くと、たちまち琴の音がやんだ」

   そして仲国は尻込みをする小督をなかば強引に内裏に連れ戻した。夜を徹して待っていた天皇は喜び、小督を密にかくまい夜ごとに愛したところ、姫宮(範子内親王)が誕生した。激怒した清盛は、小督を捕らえ尼にしたうえで内裏を追放した。彼女は嵯峨野あたりに庵をかまえて生涯を終えたという。こうした悲しみが積もって高倉院(1161-1181)も病にかかり死去した。

    小督(生年1157年)は佳人薄命という印象があるが享年を調べたが不明だった。1205年に藤原定家が嵯峨で彼女の病床を見舞った記録が残るが、その後の消息は不明である。50歳近くは生きたらしい。TBSの「平清盛」には小督(中野みゆき)が登場するが、NHK大河ドラマ「平清盛」には小督の話はなかった。平家物語の挿話は史実ではないとみられているのであろう。

神武天皇と金鵄

00a1a532   本日は建国記念の日。戦前派の人には「紀元節」といったほうがわかりやすい。古事記によれば、我国の天地創造の神はイザナギノミコトとイザナミノミコトである。この二柱の神がまず淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡を生み本州を生んだ。そして、太陽神であるアマテラスやスサノオらの三五柱の神々を生んだ。そしてアマテラスの孫のニニギノミコトが天孫降臨する。ニニギとその妻コノハナサクヤの間にホテリノミコト(海幸彦)やホトリノミコト(山幸彦)が生まれ、山幸彦と豊玉姫の孫が神倭伊波礼毘古命つまり神武天皇ということになる。神武天皇は日向の高千穂宮にいたが、東方の大和地方の諸勢力を平定した。最後に苦戦したとき金色の鵄が弓にとまり、その輝きで勝利したという。日本書紀では神武天皇が紀元前660年1月1日(新暦2月11日)に即位したことになっている。明治になって各地でこの日を祭日として式典として開催するようになった。1889年帝国憲法公布を2月11日にしたときから、紀元節奉祝がいちだんと盛大となる。やがて軍国主義の高揚とともに太平洋戦争期、重大な祝祭日となっていた。

2019年2月10日 (日)

日露戦争開戦

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    1895年、下関条約に対する三国干渉で日本に遼東半島を還付させたロシアは、代償として旅順・大連を租借し、東清鉄道を敷設して、着々と満州へ進出していたが、1900年に義和団の乱が起こると、いよいよ兵力を増強した。日本は、ロシアの南下に同じ脅威を抱く英国と日英同盟を結ぶとともに、内に軍備の増強に努めた。1904年2月10日、日本はロシアに対して宣戦布告した。実際はその2日前、連合艦隊が仁川港に入港し、夜襲によりロシア軍艦2隻を撃沈し、火蓋は切られている。日露戦争は翌年に終結し、ポーツマス条約で、南満州の諸権益を譲渡させたほか樺太南半を割譲させた。戦後は欧州の国際政局の変動もあり、両国は1907年に日露協約を結んで接近し、鮮満蒙の勢力範囲を協定した。大正時代には第一次世界大戦中に日本は大陸で帝国主義政策をすすめ、ロシア革命に際してはシベリア出兵を敢行したが、1925年の日ソ国交回復とともに撤兵した。昭和時代に入ると、日本の政策は軍国主義に傾き、1931年には満州事変を起こして、1933年に国際連盟を脱退したのち、翌年から日華事変を戦って米英との対立を深めると、1941年には日ソ中立条約を結んで南進策に転じた。その結果、太平洋戦争が起こったが、ソ連は米英と1945年にヤルタ協定を結んで突如参戦し、樺太・千島を占領した。戦後のサンフランシスコ講和条約にソ連は調印せず、1956年に日ソ協同宣言が採択されて国交は回復されたが、ロシアとなった現在も南千島を固有の領土と主張する日本との間に北方領土問題がまだ懸案として残っている。

首都の話

Nijyubashi  日本の首都はどこか?ほとんどの人は東京と答えるが、実は明治維新から主要な機関が東京に集中したので、いつのまにか首都機能を持つ都市となったというだけで、「東京が首都である」と規定した法令はない。唯一、昭和31年に制定された「首都圏整備法」がそれらしきものである。古来、日本では天皇がおられるところが都となっている。昭和天皇までは京都で即位したが、平成になって天皇は東京で即位されたので、天皇の御座所が東京なので、都は東京ということになっている。

 世界一長い首都の名前はタイのバンコクで正式名称は全部で130文字にもなる。「クルンテープ・プラマハーナコン・アモーンラッタナコーシン・・・・・」とずっと続く。あまりに長いのでタイ人は、初めの部分「クルンテープ」と呼んでいる。イスラエルの首都はエルサレムか、テルアビブか?イスラエルの国民はエルサレムと考えているが、国際的(国連など)にはテルアビブを首都と考えている。日本大使館もテルアビブにある。

   世界の首都をみると、アメリカのようにワシントンが政治、ニューヨークが経済の中心というように機能分担がなされている国がある。ワシントンは1790年7月16日、180平方キロのこの地をDistrit of Columbia(略してD.C.)と言って、どの州にも属さず、合衆国政府直轄の地となった。1960年4月21日にはブラジルの首都がリオデジャネイロからブラジリアに移転した。トルコの首都はイスタンブール(人口1137万人)ではなく、アンカラ(人口372万人)。モロッコの首都はカサブランカ(人口367万人)ではなく、ラバト(人口120万人)。カナダの首都はモントリオールではなく、オタワ。オースリラリアの首都もシドニー・メルボルンではなくキャンベラ。政治都市・経済都市を分けておけば、災害などが発生しても、政治・経済が一緒に壊滅するという、リスクが低くなる。イスラエルの首都はテルアビブかエルサレムか、悩ましい問題である。

Photo_5   最近では、2006年ミャンマーの首都がヤンゴンからネピドーに移転している。オーストラリアの首都キャンベラはシドニーとメルボルンの中間にあるため1908年に首都に選ばれた。インドの首都はニューデリーと学校で覚えたが、最近はデリーになっている。これは首都が移転したのではなく、ニューデリーはデリー市内にある首都機能を集めた地区で単独の都市と認めなくなったためである。パキスタンは独立当初カラチであったが防衛上の観点から北部のイスラマバードに1960年代に首都施設を建設し、移転した。当時、小学生だった私はラワルピンジーと暗記していたのは、1960年から1966年にかけて、仮の首都が置かれていたからである。(Washington D.C.,Brasilia,Canberra,Naypyidaw)

クロエ・モレッツを知っていますか?

   本日はクロエ・モレッツの誕生日。いま世界中でトップクラスの人気の若手女優。1997年2月10日、ジョージア州アトランタ生れ。身長163㎝。今年で22歳。芳根京子、小芝風花(トクサツガガガ)、杉咲花(ハケン占い師アタル)、桜井日奈子(僕の初恋をキミに捧ぐ)、今田美桜(3年A組)と同じ年頃。父は医者で母は看護士。兄が4人いて、その中の一人トレヴァー・デューク・モレッツが演劇学校に合格した時に、母や兄と共にニューヨークに移る。7歳のとき映画「悪魔の棲む家」に少女チェルシー役で出演。最初は少女モデルをしていたが、2010年の「キック・アス」で演じたヒット・ガール役が評判を呼び、一躍注目の少女スターとなった。「キャリー」(2013)や「フィフス・ウェイブ」(2016)で人気ナンバーワンとなる。正式名はクロエ・グレース・モレッツだが、最近はミドルネームのグレースを外した名前でクレジットされる。新作はホラー映画のリメイク版「サスペリア」。Chole Grace Moretz,Hit Girl

2019年2月 9日 (土)

相生垣瓜人から椀屋久右衛門まで

   名前を配列するには一定のルールが必要である。①姓と名を区分するのか②電話帳のように漢字排列にするのか、カタカナの五十音とするのか③アルファベット表記をどう扱うのか

    すべての日本人名を一挙に五十音順に配列するのは膨大なる作業で不可能なので、特定の苗字をピックアップして記事をまとめる。先ずは「相生」と「相川」から始める。コンサイス日本人名事典では相生由太郎がトップにくるが、俳人に相生垣瓜人(1898-1985)がいる。「あいおいがきかじん」と読み、兵庫県高砂の生まれだが、長く静岡県浜松で暮らした。ほかに、女優の相生千恵子(1934-2013)がいる。相生由太郎(1867-1930)は日本郵船、三井鉱山を経て、三井物産に入社。その後、満鉄に入社し、大連埠頭の仲仕組・運送組を満鉄直営とした。満鉄を辞職後、大連で実業家として成功した。相川勝六(1891-1973)は官僚、弁護士、政治家、のち厚生大臣を歴任。ある時、強風で帽子を飛ばされた。なんとその帽子を拾ったのは天皇陛下だった。天皇は「帽子がないと様にならないぞ」と軽いジョークを言われた。江戸時代の回船問屋の商人、会津屋八右衛門。なお人名五十音配列のラストは、大坂堺筋の豪商「椀久(わんきゅう)」こと椀屋久右衛門である。豪遊の果てに座敷牢へ入れられ、1677年に狂死した。外国人名においては、古代エジプトのヒクソス時代の王アアウセルラー・アペピ、タイの殿下ワンワイタヤーコーン(1891-1976)の名前が知られている。

バレーボールの歴史

634_1   バレーボールは1895年2月9日、アメリカでウィリアム・G・モーガン(1870-1942)が考案した。最初はミントネットと呼んでいた。1908年、アメリカに留学していた大森兵蔵(1876-1913)が日本に最初にバスケット・ボールとともに紹介した。1913年F・Hブラウンが東京・神田のYMCAで公開したのをきっかけに広まったといわれている。バレーボールが考案された当初、集まった選手たちが2チームに分かれてボールを打ち合い、落としたほうの失点という単純なルールだった。日本へ伝わったときもルールは明確に決まっていたわけではなく、1チーム12人であったり9人であったり規定はなかった。(Volleybaii,Mintonette,William Morgan)

「る」 ファースト・ネームから引く人名一覧

4loui1  「ルイ・リュミエール」1864-1948。トーマス・エジソンと並ぶ世界で最初に映画を作ったリュミエール兄弟の弟。1896年1月25日に公開された「ラ・シオタ駅への列車の到着」(50秒)を見た観客は自分たちに向かってくる列車に驚いて、叫び声をあげて逃げ出したという話が伝わる。▽「ルイーズ・ラべ」1520-1566。フランスの女性詩人。「天使の顔を持つ女」と謳われた美貌の持ち主。

ルー・ゲーリッグ
ル・コルビュジェ
ルー・テーズ
ルイ・アルチュセール
ルイ・ウジェーヌ・ブーダン
ルイ・エクトル・ベルリオーズ
ルイ・ゴンサレス・デ・クラヴィホ
ルイ・シボレー
ルイ・ジューベ
ルイ・ジュールダン
ルイ・ド・フュネス
ルイ・ドラポルト
ルイ・ブライユ
ルイ・ブレリオ
ルイ・マル
ルイジ・プルタ
ルイジ・ボッケリーニ
ルイス・アルメイダ
ルイス・ガズマン
ルイス・ゴセット・ジュニア
ルイス・バート・メイヤー
ルイーズ・プラット
ルイーズ・ブルックス
ルイーズ・ライナー
ルイーズ・ラべ
ルイス・ブニュエル
ルイス・フロイス
ルイス・リーキー
ルーカス・ヴァン・ヴァルケンボルク
ルーカス・クラナッハ
ルーカス・ハース
ルカーチ・ジェルジ
ルカ・モドリッチ
ルキウス・アエリウス・セイアヌス
ルキノ・ヴィスコンティ
ルーク・ウィルスン
ルーク・エヴァンズ
ルーシー・アイアムス
ルーシー・リュー
ルシアン・バイディ
ルシール・ボール
ルース・チャタートン
ルチアーノ・パヴァロッティ
ルッツァンテ
ルート・ロイベリック
ルトガー・ハウアー
ルドヴィコ・アリオスト
ルドヴィコ・イル・モーロ
ルドヴィコ・カラッチ
ルドヴィコ・ザメンホフ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
ルートヴィヒ・レヴィン・ヤコブソン
ルドルフ・カール・ブルトマン
ルドルフ・クリストフ・オイケン
ルドルフ・シュタイナー
ルドルフ・ディーゼル
ルドルフ・バレンチノ
ルドルフ・フェルディナント・ヘス
ルドルフ・フランツ・フェルディナント・ヘス
ルドルフ・ルートヴィヒ・カール・ウィルヒョー
ルーニー・マーラ
ルネ・カール
ルネ・クレマン
ルネ・クレール
ルネ・サン・シール
ルネ・デカルト
ルネ・フォール
ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット
ルネ・プレヴァン
ルバート・エヴァレット
ルバート・グリント
ルパート・グレーブス
ルバート・フレンド
ルーファス・シーウェル
ルフィーノ・タマヨ
ルーラント・サーフェリー

05140000503dd57a979273542e0468ed    ルネ・カール(1875-1954)はテアトル・デ・ザールなどの芝居で舞台女優として活躍していたが、ある日、その美貌がルイ・フイヤード監督の目にとまった。フランス女優らしいコケティッシュな魅力で人気をえる。とくに「ファントマ」シリーズではベルタム夫人を好演した。晩年ジュリアン・デュビビエの「望郷」にもタルテの役で出演している。(Renee Carl,Lady Belthan,Fantomas)

 

 

 

 

2019年2月 8日 (金)

最初の郵便マークは「T」だった!?

Ishikawa_hitomi_06    本日は「〒マークの日」。明治20年2月8日、逓信省は郵便マークを制定した。逓信省の頭一文字、片かな「テ」を図案化したものといわれる。「逓」とは「つたえる」という意味。「次々と横に渡していく。リレーする」という意味がある。唐代駅伝の制度は都長安を中心に整備されたが、郵による官文書の逓送が行われた。「長安を出で逓に乗じて行く」と白居易の詩にもある。明の洪武帝は官物の輸送を担当した役所「逓運所」を設置している。日本では江戸時代、飛脚制度が整備され、江戸・大坂間は「定六」といわれて6日間が通例で急行が4日間であった。逓信省の語源は明らかでないが、郵便・電信・船舶管理・灯台業務を処理する機関であることから、駅逓+電信から逓信となったのか、本来から逓信という漢語が使用されていたのか定かではない。しかしながら、「逓」という字は戦前は小学生でも読めただろうが、現在では大人でも読めない人がいるだろう。〒マークは最初は甲乙丙丁の「丁」だったという。ところが外国では郵便料金不足の表示「T」と紛らわしいとわかり、14日に「〒」に変更したといわれる。

2019年2月 7日 (木)

敦盛は生きていた?

Atsumori   1184年のこの日、一ノ谷の合戦があった。源義経率いる部隊は、鵯越をこえて、背後からの奇襲で平氏軍を破った。この戦いでは多くの平氏の公達が死亡した。薩摩守忠度、平通盛らは戦死した。もっとも有名な話は敦盛の最期であろう。

  平敦盛は「平家物語」では一ノ谷合戦で源氏方の熊谷次郎直実との一騎打ちの末に討たれたことになっている。だが歌舞伎「一谷嫩軍記」では敦盛は実は後白河法皇のご落胤で、義経の命をうけて熊谷直実が救出するというストーリーである。一見、荒唐無稽な話のようだが、広島県の永江の里(庄原地方)には古くから「敦盛さん」という民謡が伝わり、それによると敦盛は討ち取られたのではなく、庄原に逃れて生涯を終えたという。熊谷次郎の一子の小次郎が身代わりとなって、許婚の玉織姫と共に逃れたという話も絶対に有り得ないとまでいえない。敦盛の「青葉の笛」も正式には「小枝」(さえだ)といい、鳥羽院から祖父忠盛が賜ったものであった。熊谷次郎が我が子を失ってまでも守らなければならなかった高貴な人というのは天皇家の血をひいているからであろうか。のちに熊谷直実は出家して法然の弟子となって蓮生坊と名のったという。(2月7日)

 

2019年2月 6日 (水)

夜郎国と李白

    李白(701-762)は、安禄山の乱の時、揚子江方面で旗揚げした永王璘(りん)の叛軍に加わった罪で夜郎へ流罪されることになった。夜郎への旅の途中、妻の宗氏にあてた李白の詩「南のかた夜郎に流されて内に寄す」がある。

    南流夜郎寄内

 夜郎 天外 離居を怨む

 明月 楼中 音信疎なり

 北雁 春帰って 看み尽きんと欲し

 南来 得ず 予章の書

(通釈)私は夜郎というさいはての地に向かいつつ、きみと離ればなれの暮らしを嘆いている。月あかりのもとの高楼にいるきみからは、たよりもなかなか届けられない。北へ飛ぶ雁は春となって帰ってゆき、私が見送るうちにすっかりいなくなりそうだが、私は雁たちと反対に南へ来てしまい、予章にいるきみからの手紙を受け取ることができないのだ。

    従来、李白は夜郎に向かう途中で恩赦により引き返したという説が有力であった。「NHK古典講読,漢詩李白、2007年4月ー9月」の年譜を見ても「乾元2年(759年)3月、夜郎に至たらぬうちに恩赦に遇う」とある。しかし、近年の研究によると、李白は夜郎に到着し、逗留したのち、恩赦により引き帰したと考えたほうが妥当であろう。(胡大宇「李白と夜郎」、『夜郎研究』貴州民族出版社、2000年)

    ところで夜郎といえば、「夜郎自大」という四字熟語が想起されるが、この李白の時代の夜郎とは、中心的な所在地が大きくことなる。漢代の夜郎国は貴州省の西部、西南部にあり、唐代の郡県の夜郎は貴州省北部の桐梓(とうし)県夜郎壩に治所が置かれた夜郎郡夜郎県である。唐代夜郎県は五代、北宋と642年から1120年まで設置された。

知ってる?県名の由来「佐賀」

  玄海灘と有明海の2つの海に接する佐賀県。吉野ヶ里遺跡、ムツゴロウ、大隈重信、葉隠などで知られるが、唐津・伊万里・有田などは古くから陶磁器の産地として有名である。最近は中国人や台湾人などアジアからの観光客にも人気が高い。「桃源郷」と称せられほど自然豊かで温泉があり、グルメもおいしい。ところで佐賀県の地名の由来には諸説ある。

①大きなクスノキが繁っているのをみた日本武尊が、「この国は栄の国(さかのくに)と呼ぶのがよい」といった。「肥前国風土記」の記述に由来し、「さか(栄)」が変化した。

②「砂州」「低湿地」を意味する「すか」が変化した。

③「さか(坂)」が変化した。

➃佐嘉川(現在の嘉瀬川)の河口付近は、満潮時に潮流が逆流するため、「逆流する川」の意味で「さか川」となり、この地域を「佐嘉」「佐賀」と呼ぶようになった。

漢字3000年の歴史と漢字制限

    漢字はもともと中国でうまれたもので長い歴史のため現在伝えられる漢字は、5万字以上(「康熙字典」)あるいは8万5000字(「中華字海」1994)あるといわれるが、実際に日常生活で使われるのは7000字前後(JIS第2水準)だろうか。戸籍で用いられる漢字は、IPAによると、5万8861文字ある。

    NHK「美の壺 漢字」台湾国立故宮博物院所蔵の顔真卿が安史の乱で非業の死をとげた甥を悼んで撰した祭文の草稿「祭姪文稿」が東京国立博物館で公開されている。ほかに王義之、欧陽詢、懐素、空海らの作品が一堂に会する。番組では漢字の歴史をコンパクトにまとめている。現代中国では簡体字のほかに、繁体字復権の兆しがあるのも興味深い。

    わが国の所謂「国語国字問題」での大きな節目となるのは幕末維新、文明開化の明治初期、昭和20年の敗戦時、そして現在であろう。前島密は郵便制度を日本に創った人物として知られているが、将軍徳川慶喜に「漢字御廃止の儀」を上申している。ついで明治になって、南部義籌(よしかず)や西周らは漢字を廃止しローマ字採用を唱えた。敗戦後、GHQは日本人の識字率が高かったので、ローマ字国字論は消えた。志賀直哉のように日本語そのものをなくしてフランス語にという極論も許されるほど価値観は混乱していた。文部省は昭和21年、戦前の常用漢字、標準漢字を修正して、当用漢字1850字を定めた。このとき当用漢字以外に人名用として特別に漢字92字が定められた。(その後も人名漢字285字と増加し、現在983字)。当用漢字は昭和54年に見直され、常用漢字1945字となった。つまり常用漢字と人名漢字と合わせた2928字が赤ちゃんの名前に使える漢字なのである。本年6月には改定常用漢字2136字、と増加する。

   漢字には長い年月にわたる東洋文化の英知が込められている。国民教育の普及に障害となるので明治以来、漢字制限と漢字普及で揺れているが、現代のような高学歴社会では逆に難読漢字を駆使しようとする漢字検定ブームも見られる。これから漢字の運命はどうなるのだろうか。漢字制限への批判を考慮してか、「改定常用漢字答申案」には「漢字表内の漢字だけで文章を書かねばならないという制限的なものではなく、振り仮名などを用いれば表外の漢字も使える」としている。

神武天皇は徐福なり

Img_140518_23331314_2     始皇帝は元来、体が丈夫でなかったらしいが、とくに天下を統一し、最高権力を握るや、ますます長寿を祈念するようになった。ある方士がいうには、三神山に不老不死の仙人が住み、不死の薬があるという。三神山とは、蓬莱、方丈、瀛州の三山を指すという。三神山は渤海中にあり、そこに向かって進もうとすれども、風に船を遮られ、どうしてもたどり着けないところだという。また、三神山には珍しい人参があって、三千年に一回花が開き、実はさらに三千年後にできる。その花の香をかぐたけでも360年長生きができるとか、その実を食べると800年も長生きするとか、皇帝をたくみにだまして儲けるものも者もいた。徐福は、男女数千人を随行して、船も幾十艘で華々しく出帆したが、やはり、なしのつぶてであった。どこか東方海上の島を開拓し、大陸との間の商取引に励んだという説もある。また一説には、彼らの船が日本の紀伊の熊野浦に着き、長く日本にとどまったとある。和歌山県新宮駅のすぐ近くに徐福の墓がある。墓碑は紀州藩祖徳川頼宣がたてたもので、「秦徐福之墓」の碑銘は韓人李梅渓の筆である。写真は阿須賀神社。このほか、京都府与謝郡の新井崎にある新井崎大明神の祭神は徐福とされているし、佐賀市金立町にある金立神社も徐福を祀っている。そのほかに徐福にまつわるものに「神武天皇は徐福なり」とする中国の燕京大学教授の衛挺生博士(1890-1977)の説が知られている。(「日本神武開国新考」1950年)

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シンガポール200年

5971233_134151915319  シンガポールはアジアと欧米諸国との接点である。18世紀末ころ、マレー半島南部を支配するジョホール王国はリアウ王国とパハン王国に分かれていた。イギリスのインド副総督トーマス・スタンフォード・ラッフルズ(1781-1826)はリアウにあったマレー派の王族フサインをジョホール王として即位させた。1819年2月6日、ラッフルズは条約を締結し、シンガポールを買収した。以後イギリスは、この島に関税のかからない、自由貿易港を建設し、東南アジア貿易の拠点として、イギリス東洋進出が始まった。(Thomas Stanford Raffles,Singapore,Johor Riau)

2019年2月 5日 (火)

三年鳴かず飛ばず

   三年もの間何もせずにじっとしているということで、他日雄飛する日を待って、今は何もせずにいるということ。

   春秋戦国時代、中原から遠く離れた南方にあって強大を誇っていたのは楚であった。楚は穆王が即位して着々とその勢力を固め、次代の荘王にいたって春秋の五覇の一つにまで数えられた。後世に英傑の称を残す荘王も、穆王の後を継いで即位するとたちまち、「わしを諫める者は死罪にする」ときびしく布告した。以来三年間にわたって国政を顧みず、日夜、歓楽にふけっていた。たまりかねた伍挙というものが、死を覚悟して諫めようとはかった。といっても直言して諫めを呈するのではなく、1つの謎をもって諫言にかえていった。「一羽の鳥が岡の上にいますが、三年の間、飛びも鳴きもしません。いったいなんという鳥でしょうか」王は言下に答えた。「三年も飛ばずにいるのだ、ひとたび飛べば世の人を驚かすだろう。お前のいいたいことの意味はわかっている、退ってよろしい」それからまた何カ月が過ぎたが、乱行はおさまるどころか、ますますひどくなった。見るに見かねた大夫の蘇従が参内し面を正して諫めた。王はいった。「お前は布告を見なかったか」「わが君がお気づきくだされば死すとも本望です」「よくぞ申した」荘王はピタリと乱行をやめて女を退け、宴席も片付けさせた。三年の間の乱行は、用うべき臣、排除すべき臣を見定めるための王の下工作であった。王が国政を執り行うようになると、たちどころに数百人を誅罰し、数百人を取り立て、諫臣の伍挙、蘇従に政治をゆだねて政治をととのえた。国民が王のみごとな立直りを喜んだことはいうまでもない。現在しばしば「彼女は歌手としてデビューしたけど鳴かず飛ばずのまま引退した」というように、これと言った活躍をしないでずっと目立つことがなかったように使われているが、故事本来の意味からすると誤用である。

インド

  インドには12億人以上の人々が日本の約9倍の面積にあたる広い国土に住んでいる。インドは「嫌悪すべきものと崇高なもののすべてを包含している」という、ジャワハルラール・ネルーの言葉に示されるように、多様性を持ち、はげしい矛盾に満ちた複雑な国である。われわれはインドの歴史を研究すればするほどインド文化が、単一の基盤から成り立っているのではないことを教えられる。インドの美術や文化をみても、紀元前2500年頃にインダス河流域に繁栄したインダス文化は現在ではパキスタンの領土となっている。また西暦1世紀頃から起こったガンダーラ美術も従来はインド美術として考えられているがやはり現在の領域でいえばパキスタンの美術として考えなければならない。つまりインドという名称は、インド大陸だけをさす場合と、東西パキスタンを含めて拡大されたインドの2つがある。「インド亜大陸」といえば、バングラデシュ・ネパール・ブータンなどの国々を含めることが多い。

  そもそもインドという地名の語源は、インド・アーリア人の言語で「川」を意味する「シンドゥ(sindhu)という語にある。この普通名詞が、彼らがインドで接した大河、インダス川の意味にも使われるようになりさらに、インダス川の流れる広大な土地の意味にもなった。この「シンドゥ」という地名をペルシア人がなまって「ヒンドゥ」と呼び、さらにこれをギリシア人がなまって「インディア」と呼んだ。このギリシア語なまりが、ヨーロッパで使われるようになったのである。

   ヒンドゥー社会は、ヴァルナによる身分枠と各自が生まれながらに属するジャーティとよばれる社会集団によって規定されてきた。このヴァルナとジャーティを合わせたインド特有の社会制度がカースト制度である。今日では、カースト制度による差別は憲法で禁止されているが、現実社会にはいまもなお結婚などに根強く残っている。

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 サンチー仏塔 紀元前後

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  カイラーサナー寺院 8世紀

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 コナーラクのスーリヤ寺院 (太陽神殿) 13世紀

2019年2月 4日 (月)

ハワイ自然図鑑

   ハワイ諸島はハワイ、マウイ、カホーラウェ、ラナイ、モロカイ、オアフ、カウアイ、ニーハウの8つの島々が並び、付近に小島が点在する。大小あわせて132の島々から成る。ハワイは数百種ある美しい花で知られるが、また鳥類の宝庫でもある。ハワイの州鳥であるネネは、マウイ島とマウナロア山にのみ棲息する。ハワイ火山国立公園は世界自然遺産に指定されている。(Hawaii)

Photo_9 アウクウ(ゴイサギ)

Photo_10 ネネ

Photo_11 アマキヒ(ハワイミツスイ)

Photo_12 モリ(コアホウドリ)

近代画家ゴッホ

   ケペルは幼い頃から絵を描くのが好きで、学校へあがっても図画が得意科目で、高校半ば頃までは美大志望だった。石膏デッサンもやった。高校生のある日、国道沿いにある古本屋で一冊の古い本を見つけた。アトリエ社の「原色版ヴァン・ゴッホ」(昭和17年)である。古い戦前のゴッホの画集であったが、作品に対応する小山敬三、硲伊之介、足立源一郎の解説があった。ゴッホ初期の見たこともなかった絵が気に入り高価だったが購入した。もちろんその後カラー印刷も進歩し、その本よりいいものが出版され手もとにもあるが、なぜかアトリエ社の画集に愛着がある。発行部数は5000部程度で古書店でみたことがなかったので、貴重な本だと人に自慢したこともあるが、ネットで調べたら1200円程度で販売されていた。がっかりもしたが、むかし画家になることを夢みた頃の証の書物であり、大切にしたい。その巻頭に式場隆三郎(1898-1965)の跋がある。

    ヴァン・ゴッホの生涯ほど感動的なものはない。それはただ波瀾曲折にとむからではない。溢れる情熱のためばかりでもない。道徳的な誠実な魂に貫かれているからである。ゴッホの短い生涯は、単なる一画家の興味深い物語ではない。真摯な魂が背負う人間の悲劇的運命の表象だからである。彼を病気に追いこんだのは伝道的宿命が素地とはなったが、不健康な社会との闘争が大きな誘因となった。彼の自殺は退廃的な文明との訣別でもあった。ゴッホほど愛に飢えた作家はない。彼ほど誠実でごまかしのない仕事に精進した作家はない。しかもその背後には、いつも敬虔な宗教的な精神が強く動いていた。哀れなものや貧しいものへの愛が、彼の作物を純粋にした。しかし、一方彼は勇敢であった。この世の不正なものや汚辱と戦った。彼の生涯ほど真面目で、ごまかしのない、熱情的なものはない。この誠実性が、異色ある彼の芸術とともに人を打つのである。ゴッホを奇矯な画家とみるのは、最も浅い理解者である。彼の手紙をよんで泣かないものがあろうか。彼の作物が理解されるに先んじて書簡集がみとめられたのもこのために他ならぬ。

    ゴッホが明治末年から大正時代にかけて、日本の新しい文化的発展に与えた力は大きい。絵の好きなもの、好かないものなど区別なしに、ゴッホの生涯から受けた影響を否定できる人は少ないであろう。芥川龍之介はある日、本屋の店頭でゴッホの複製の入った本を開き豁然として芸術の門の開かれたのを感じたとかいている。(中略)私は欧州で彼の遺跡をしらべ、作品をみ、文献をあつめ、長年こつこつその生涯と作品の研究に従っている。この仕事は私の生きる限りはつづくであろう。私はいつもゴッホの偉大さに打たれる。そして自分の仕事を小さく、まだまだ先のことを感じる。このたびアトリエ社がゴッホ画集を刊行さるるについて、私にも一文を求められた。短い枚数では意をつくせないが、日本で一冊でも彼に関する本の刊行されることを希っている私にとって、欣びに堪えない気持だけでも伝えたいと思って筆をとった。ゴッホの霊に栄光あれ。式場隆三郎」

   白樺派の影響を受けた式場隆三郎に限らず、日本人には熱狂的なゴッホ崇拝者は多い。版画家の棟方志功(1903-1975)の言葉「わだばゴッホになる」はよく知られているとおりである。「ゴッホ展」を開催すれば必ず記録的な入場者数になる。劇団民芸「炎の人」は満員盛況である。ゴッホの作品はもとより、彼の生涯そのものが劇的である。またゴッホが浮世絵を通じて日本美術を愛したことも日本にゴッホのファンが多い原因の一つであろう。近代画家のゴッホが日本の近代前の浮世絵の中に近代性を見出したというのが不思議な謎の一つだ。この過剰ともいえるゴッホ愛のためか企業が豊富な資金にまかせて高額絵画を買うことに対する批判もないわけではない。そして日本人がとくに好きな「ゴッホのひまわり」の真贋論争は今も続いている。

    これまで日本人はあまりにゴッホという人間を愛するあまり、造形作家のゴッホではなく、「炎の人」としての創作されたゴッホ像を勝手につくりあげてきたきらいはないであろうか。いま隣の韓国のソウル市立美術館でも「不滅の画家ゴッホ展」が開かれ、大盛況だそうだ。そういえば韓国ドラマの「初恋」のテーマの一つである兄弟愛はゴッホとテオに似ている。弟のチャヌ(ペ・ヨンジュン)は「兄貴はゴッホになれ。自分はゴッホの弟のテオになって兄貴を支える」という台詞があった。そしてビジネスマンとして成功して日本から帰国した土産にゴッホの画集を兄のチャニョク(チェ・スジョン)に渡す。「また絵を描いてほしい」というと兄は感激で胸を熱くするというシーンがあった。

   これらをみると韓国人もやはりモーレツにゴッホという人間に感動しているようだ。ゴッホの「馬車と汽車がある風景」という絵を相当な高額で韓国が買ったというニュースもある。

    これからは、ドラマチックなゴッホの生涯を忘れて、ゴッホが絵画でどのように表現しようとしたか、作品から受ける美の感動、という美術本来の視点でゴッホの作品を鑑賞していきたい。

日本で観れるゴッホの作品

45b7073a003  フィンセント・ファン・ゴッホは生涯に12点の「ひまわり」を描いている。そのひとつを日本で観ることができる。1987年に58億円で落札した話は人々を驚かした。損保ジャパン東郷青児美術館が所蔵している。現在国内でゴッホの作品を所蔵する美術館は意外と多くある。おそらく20点近くある。画像は「ひろしま美術館」。

「農婦」 1884-85年、ウッドワン美術館(広島県廿日市市)

「ドービニーの庭」1890年 ひろしま美術館

「雪中で薪を集める人々」 1884年 山形美術館寄託

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「座る農婦」 1884年 諸橋近代美術館(福島県耶麻郡)

「サン・レミの道」 1889年12月 笠間日動美術館(茨城県笠間市)

「ニシンとニンニクのある静物」 1887年春頃 ブリヂストン美術館

「モンマルトルの風景」 1886年頃 ブリヂストン美術館

「石膏トルソ(女)」 1887~88年 メナード美術館

「一日の終わり」 1889年11月 メナード美術館

「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」 1888年 ポーラ美術館

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「アザミの花」 ポーラ美術館

「白い花瓶のバラ」 1886年 和泉市久保惣記念美術館

「耕す人」 1882年8月 和泉市久保惣記念美術館

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「ばら」 1889年 国立西洋美術館

「ガッシェの肖像」 東京藝術大学大学美術館

「鋤仕事をする農婦のいる家」 東京富士美術館

「医師ガッシェの肖像(パイプを持つ男)」 横浜美術館

「長い棒を持つ農婦」 新潟県近代美術館

地理をなめてはいけない

Img_0027     引越業者が「ア」で始まる名称が多いのは電話帳でトップに来るようにするためだという。日本地図帳などで大阪府茨木市の安威(あい)はトップではないが、かなり注目度が高い。安威川、安威小学校、安威幼稚園などいろいろある。香川県にある無人島「アアラ島」がトップらしい。外国地名ではオランダのアムステルダム南郊の町アアルスメールだ。ブリタニカ国際大百科事典総索引で4番目に登場する。アアルスメールは世界最大規模の花弁卸売市場があり、花、球根、鉢がスキポール国際空港を通じて世界中に出荷される。だが近年のコンサイス外国地名事典などの表記では「アールスメール」になってしまい、大きく後退して、代わりにオーストラリア南部にある鉱山町「アイアンノブ」がトップにきている。「ジュニア・アンカー和英辞典」では地名では「アーカンソー」が一番初めに載っている。ちなみにコンサイス外国地名事典には2万1000項目の国・都市・山・川・湖・島・海・半島などの地名が掲載している。旧約聖書に記された地名には「アイ」がある。ベデルの東にある、カナン人の町。

    VS嵐でスマホで外国地名早打ちしりとり。上田竜也はでたらめに「ガーランド」と答えた。無いと判断されたが、スタッフが調査したら米国テキサス州に「ガーランド」という地名は実際に存在する。ダラス北東、人口22万の都市。アメリカは国土が広いので、一般的な姓なら、地名も存在する可能性は高い。

むかし高名な学者をまじえての気楽な飲み会に参加したことがある。話題は歴史学と地理学。ある先生は「地理は歴史に比べてつまらない。ただ存在することを確認するだけ。それに対して歴史は時間軸を超えて研究する楽しみがある」と。その場にいあわせて学生もほとんど史学徒なので異論はでない。しかし地理は実学で有用である。政治経済、天気、防災、交通、レジャー観光、すべてに地理の知識は必要不可欠だ。また地理の基盤をなす地図は、事実の上に成り立っている直截的な説特性と、際限のない空想の中にひとを誘い込む魅力を秘めている。ある特定の地域を、現代から昭和・大正・明治に、更に江戸期へと辿り、重ね合わせて見るとしたら、どんなことになるか。説明を抜きにして人は、時の流れと歴史のドラマを観るに違いない。(Aalsmeer、Arkansas)

聖書

3z20120815gz0jpg0023910010    聖書はユダヤ教およびキリスト教関連の宗教にはもっとも重要な宗教文書とされる。もっとも旧約聖書と新約聖書の両者を聖書と呼ぶのはキリスト教の立場に基づくものであることは留意すべきである。ユダヤ教にとってはいわゆる新約聖書は経典ではないし、イスラム教にとっては両聖書とクルラアーンとはいずれも経典である。ただしクルアーンが優越すると考えられている。図版はエルビス・プレスリー所蔵の聖書。聖書の内容は、天地創造、アダムとイブの禁断の果実、ノアの方舟、アブラハムと子供たち、天使と格闘してイスラエルの名前を授かったヤコブ、モーゼの出エジプト、王国に繁栄をもたらしたダビデとソロモン、バビロン捕囚、キリストの復活など。このような歴史的な叙述だけでなく、法律、預言、詩、格言、歌、手紙などさまざな文章が集められている。エホバの証人の本によると、「聖書は西暦前1513年に書き始められ、1600年以上かけて、西暦98年に書き終えられた」とある。これは66冊の書からなる聖書の初めの部分、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「ヨブ記「民数記」「申命記」「詩編90編」をモーセが書いたと考えているからである。そうすると、聖書は今から約3500年前に書き始められたことになるが、文字の発達していない時代にこのような複雑な文章を残すことは歴史学的立場から考えるとあり得ない話である。(Bible,Quran)

  聖書・キリスト教関係文献目録

摩太福音書 ジョナサン・ゴーブル  1871
西洋教草 永田方正          1873
新約聖書 日本聖書協会       1879
旧約聖書 日本聖書協会       1888
聖書辞典 平文・山本秀煌編纂 基督教書類会社 1892
引照新約全書 大日本聖書館 1894
上川基督教育青年会憲法及細則 上川基督教青年会 1902
約翰傳福音書新約聖書 聖書館 1903
戦争と宗教 デフォリスト述 警醒社書店 1905
聖書物語 通俗文庫 百島冷泉訳 内外出版社 1907
ルナン氏耶蘇会 エルネスト・ルナン 日高有倫堂 1908
旧約聖書出埃及記 米国聖書会社 1911
使徒行伝 新約聖書 米国聖書会社 1915
基督再臨問題講演集 内村鑑三 岩波書店 1918
新約聖書一日一訓 松本苦味編 大日本雄弁会 1918

一里塚と宿場

Unemenoichiriduka 一里塚とは、街道両側に1里ごとに土を盛り、里程の目標とした塚のことである。一般には江戸時代になって1604年2月4日、大久保長安(1545-1613)の指揮のもと各街道に整備されたことが知られているが、実は一里塚はそれ以前から存在していた。織田信長は36町を1里として、5間四方の塚を築いた。榎を塚の上に植えた。エノキは「縁の木」であり、「縁退(の)き」である。すなわち縁結びもあり、縁切りでもある。一里塚を造りはじめたのは信長であり、その後、秀吉、家康が全国に広めた。東海道の宿場は1601年に江戸から京都間に37の宿場が、1624年には江戸・京都間に53の宿場が整備された。(2月4日)

清盛、死因の謎

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  1181年閏2月4日、平清盛は熱病に倒れて世を去った。(玉葉集) 享年64歳。平家物語巻6に「入道相国、やまひつき給ひし日よりして、水をだにのどへも入給はず。身の内のあつき事、火をたくが如し」とある。

   医師の阿部麻鳥は清盛の病を「瘧」と見立てている。「瘧」(ぎゃく、おこり)という病は、今日でいうマラリアである。東南アジアの伝染病がなぜ感染したのか謎であるが、当時、福原で日宋貿易をしていたので積荷から感染したと考えられないこともない。しかし清盛1人だけというのも不可解である。高熱を発症したことから、腸チフス、髄膜炎、脳出血による視床下部・中脳圧迫、猩紅熱などが考えられる。

2019年2月 3日 (日)

皇居ランニング

Img_beauty_06_01 皇居の総面積は1150.346㎢。東京ドームの24倍、東京ディズニーランドの約3倍ある。皇居外周は1周およそ5㎞といわれ、首都圏ランナーのジョギングコースとなっている。一周は正確には4,9777㎞、あるいは4.93㎞といわれ5㎞に少し足りないが、キロ6分ペースでゆっくり走ると30分以内で走れる。コースは桜田門時計台広場をスタート地点に、二重橋、皇居外苑、大手門、竹橋、代官町、千鳥ヶ淵公園、半蔵門、三宅坂。

節分の豆撒き

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  浅草寺節分会

  本日は節分。夜になって、「鬼は外、福は内」などと唱えながら豆を内外に投げ、鬼を追って戸口をとざす。節分の豆まきの習俗は何時ごろかわからない。陰陽道の影響があり、室町期に中国の風俗を採り入れたものと考えられている。江戸時代に民間に盛行し、社寺でも厄除神事として定着した。現代でも節分の豆撒きの風習は消えたわけではない。ただし入口に「立春大吉」のお札を貼ったりする風習は都会では見られなくなった。(2月3日)

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入口に貼られた「立春大吉」のお札(昭和30年頃)

2019年2月 2日 (土)

切花20種

   草花にはいろいろな種類があるが、花屋さんで売られている花の名前くらいは覚えておきたいものだ。キク、カーネーション、バラ、ガーベラ、ゆり、スターチス、トルコギキョウ、カスミソウ、りんどう、チューリップ、アルストロメリア、ダリア、ラナンキュラス、シャクヤク、スイセン、パンジー、フリージア、ネモフィラ、ベゴニア、アマリリス、カトレア、コチョウラン。

スポーツ番組よく視てます

  テニス全豪オープン、大坂なおみがチェコのペトラ・クビトバ選手を破って、優勝となった。サッカーは日本がカタールに敗れる。大会MVPは得点王のアルモエズ・アリ。スキージャンプ、ゴルフ、マラソンなど冬でもスポーツ中継がさかんである。NHK大河ドラマ「いだてん」のオープニングタイトル映像にアベベが走る勇姿が映し出される。他にも東京オリンピックの名選手が瞬間だが映っている。ソ連の重量挙げの金メダリスト、ジャボチンスキーがみえる。当時を知る者には懐かしい。大阪国際女子マラソンに優勝したエチオピアのファツマ・サド。むかしの名選手ロバもファツマという名前だった。来年はオリンピックイアー。新しいスポーツ・ヒーローが多数誕生するだろう。外国人名に関心あり。

猫が犬より品種が少ない理由

    野良猫、家猫に関わらず猫は毛色の模様や多少の大きさの違いはあるものの、犬ほど品種による姿形の大きな違いは見られない。犬が300種、猫が40種といわれる。これはそれぞれの動物と人間との関わり方が関係している。歴史的にみて、狩猟や番犬など犬は人間に貢献してきた。人間はその過程で猛獣から家畜を守る大型犬、小動物を狩るのに適した小型の犬などたくさんの犬の品種を生み出してきた。一方、猫も人との関係は古いが、仕事は主にネズミ取り限られ犬ほどたくさんの仕事をこなしてきたわけではない。このように犬が人と働くのにいろいろな姿が必要なのに対して、猫はその必要がなかったというのが品種の少ない理由と考えられる。たとえば、ヨークシャテリアは19世紀中期にイギリスのヨーク州の工業地帯で、工員や炭坑夫の家屋を荒らすネズミの捕獲のために作りだされた猟犬が祖先といわれる。

 大型犬はラブラトルレトリバー、ゴールデンレトリバー、シベリアンハスキー、ドーベルマン、ダルメシアンなど。中型犬はビークル、コッカースパニエル、スピッツ、ブルドックなど。小型犬はトイプードル、ヨークシャテリア、マルチーヌ、パピヨン、ダックスフンド、チワワ、ポメラニアンなど。猫の種類はメインクーン。ロシアンブルー、ラクドール、べンガル猫、ペルシャ猫、アビシニアン、チンチラ、シャム猫など。

サボテン&多肉植物

   3月10日は「サボテンの日」。 サボテンが日本に最初に渡来したのは長崎港へ出入していたオランダ船がもたらしたものと考えられる。1709年刊行の「大和本草」に記載があるから、それ以前の渡来である。サボテンはポルトガル語のシャボンsabaoから出た名といわれ、サボテンの茎節を切ると出る粘質 の樹液で油などの汚れがよくおちるところから、石鹸として使われたことに由来する。

   サボテン科は2000種を超える多数の品種がある。これらはコノハサボテン、ウチワサボテン、ハシラサボテンの3種に大別される。わたしたが西部劇などでみるような砂漠の大地につきさす巨大なサボテンは柱サボテンである。アメリカ南西部やメキシコ北部の砂漠地方に自生する高さ10m以上の巨大サボテンを「サグアロ」という。現地語で「人型サボテン」という意味である。近年は、観賞用のインテリアとして人気があり、交配種などで小さなサボテンが増加しており数千種も超えるとも言われている。

雑学教室 第4集

Photo_2    カスピ海の面積は37 万平方キロで、日本とほぼ同じ。▽日本最古の本屋は京都にある永田文昌堂。慶長年間の創業。▽中国映画「曹操暗殺 三国志外伝」(2012) 原題は「銅雀臺」。玉木宏によく似た俳優がいるものだと思っていたら、なんとご本人だった。びっくりぽん。▽トナカイ tunakkyはアイヌ語。英語ではレインディアreindeerという。▽ダニエル・ビダルの「オー・シャンゼリゼ」はいかにもフランス的イメージのある曲だが、原曲はイギリスのジェイソン・クレストの「ウォータールー・ロード」(1968)というグループが歌ったロックである。往年の名作映画「哀愁」で知られるウォータールー・ブリッジのすぐ近くにある通りを、パリの目抜き通りに置き換えたというわけ。▽1990年、ソユーズに搭乗した秋山豊寛は毛利衛より先に日本人初の宇宙飛行士となった。▽太平洋にあるミッドウェー諸島はサンド島、スピット島、イースタン島の3つの島からなるが、人が居住するのはサンド島のみで数十人である。

20120414_2341040▽鹿児島市には桜島の火山灰を捨てるための「克灰袋」というゴミ袋が各家庭に配布される。▽未知数をXとして最初に表わしたのはフランスの数学者デカルト。▽カレーライスにジャガイモを入れるのを考えたのは、札幌農学校のクラーク博士である。▽ミニトマトは航空機の中で食べる「機内食」用として少量栽培されていた。昭和50年代後半頃からスーパーでも販売され家庭で食べるようになった。▽1ノットは時速何キロ?1ノットは1海里で時速1.852km。昔、船舶の速さを測定するのに編ひもを用いていたころ。測るめやすとしてつけていた結び目(ノット)からきている。▽東京都八王子市。紅葉の名所と演歌界の大御所、北島三郎の豪邸がある。▽リュウゼツランはテキーラの原料となる植物だが、葉から取れる繊維は製紙の原料や船舶の係留用のロープになる。▽ドイツの医師カール・アドルフ・フォン・バセドーは1840年眼球突出を伴う甲状腺腫を報告したので、その名に因んで「バセドー病」というが、実はバセドーより早くアイルランドの医師グレーブスが報告している。▽ニワトリの鳴き声。フランス語でココリコ(cocorico)。▽南太平洋に浮かぶ無人島ヘンダーソン島は、今でも原始のままの自然が保存されており、1988年に世界遺産の自然遺産に登録された。(▽参考;「知識がひろがる!おもしろ雑学1200」メイツ出版、2013年)

 

「ス」事項索引インデックス

Bentsidespinet3[  す  ]

 「スピネット」は16から18世紀に用いた鍵盤楽器。これがハープシコードとなり、のちピアノに改良される。▽「出挙」は古代の利子付き消費貸借。▽「スヴェアボルグの乱」1906年スウェーデンの港町でロシア水兵の反乱。▽「垂迹(すいじゃく)」とは仏教と神道とが結びついた思想。 ▽「出挙」奈良時代、稲・銭などの貸付制。▽「スキティア人」紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて、ウクライナを中心に活動していたイラン系遊牧騎馬民族。▽「スコッツボロ事件」1931年人種差別の激しい南部アラバマで黒人少年9名が白人女性を強姦した罪で裁判にかけられ、死刑判決を受けたという冤罪事件。▽「スフ」ステープル・ファイバーの略。戦時中に木綿の代用品として使用されたが、肌触りや耐久などが木綿に劣っていた。▽「スンプ法」切片にすることが困難な試料にセルロイドの薄膜などを押し当て、その表面の形状を写し取って顕微鏡で観察する方法。▽「裾濃(すそご)」きものの下方を濃く、上方にいくにつれて薄くぼかして染めること。▽正統派イスラム教のスンニ派教徒はお酒を飲まない。(すすす)

スアンクカラー(スメンクカーラー)・メントゥホテプ(古代エジプトの王)

綏遠事件
瑞応院(大津)
垂加神道
出挙(すいこ)
水滸伝
推古天皇
瑞巌寺(宮城県松島)
瑞山磨崖三尊(韓国)
垂迹美術
錐状火山(コニーデ)
スイス
彗星
水星
水道
水墨画
スウィフト
スウィンバーン,アルジャーノン・チャールズ(画家)
スヴェアボルグの乱
スウェーデン
数学的媚薬
枢軸国
枢密院
須恵器
スエズ運河
菅原道真
スカルノ
スカルラッティ
スキタイ人
杉田玄白
スキティア人
須玖遺跡
スクロヴェーニ礼拝堂(別名アレーブ礼拝堂,パドヴァ)
助郷役
スコッツボロ事件
スコット
スコティッシュフォールド
スサ(シューシャ)
素戔嗚尊(スサノオノミコト)
裾濃
スタヴィスキー事件
スターチス
スターリン
スターリン憲法
スタール夫人
スタンダール
スーダン
スチブンソン
スティアート朝
スティアトパイグス(臀部突出)
ステップ気候
ステファン・ボルツマンの法則
ストア派
ストックホルム
ストライキ
ストラッフォード
ストラディバリ
ストルイピン,ピョートル
砂川事件
スパルタ
スパルタクス団
スパルタクスの奴隷反乱
スバールバル島
スピネット
スピノサウルス
スフ
スプートニク
ズーフハルマ
スペイン
スペイン風邪
スペイン継承戦争
スペース・シャトル
スモレンスク
スラウェシ島(インドネシア)
スラバヤ
スラブ民族
スリナム
スーリヤヴァルマン2世
受領
ズールー戦争
スルタン
スルナーイ(インドネシアの管楽器)
スレイマン1世
スローライフ
諏訪
スワンナプーム国際空港(タイ・バンコク)
スンディアタ
スンニ派
駿府
スンプ法

桂離宮

Photo

    桂離宮は、京都の西南、桂川の西岸に位置する。ここは、急峻な谷あいを過ぎて嵐山に出た保津川が大堰川と名を変え、さらに桂川となって緩やかに蛇行しながら川幅を広げて南下するところである。桂川のほとりにあるこの地は、平安時代から名高い行楽地であったが、慶長の末年に八条宮領となると、智仁(ともひと)親王によって別荘が造られた。八条宮智仁親王は早くから細川幽斎に歌道を学び、当代の宮廷を代表する文化人に成長した。工事は1620年から数年のうちに進められ、さらに智忠親王の代になって、寛永の末年から新書院などの増築があり、かつ後水尾天皇を迎えるために整備された。その後も長く宮家のものとなっていたが、1881年絶家によって、2年後宮内省に移され、離宮となった。

  桂離宮は敷地約45000㎡、そのうちには桂川の水をひき入れた大きな池があり、建築物はその周囲や島に点在する。主屋である書院は池の西にあり、中書院、新書院と雁行している。中門から古書院御輿寄りにいたる中庭には、苔の中に敷石が直線的に配され、離宮中での見どころの一つである。古書院と中書院は最初の造営のときのもので、ほとんど装飾のない簡素な書院で、数奇屋造りの手法をとりながら端正さを失っていない。観月のための竹簀子露台、中書院奥の庭をみる広い緑と腰掛など、庭園に密着した意匠がみられる。新書院は増築部で、桂棚といわれる複雑な形のたなは名高いが、意匠的には前2者に及ばない。しかし床の高い清素な外観は古書院などとの調和をよく保っている。1933年来日したドイツの建築家ブルーノ・タウトは、「日本建築の最高作」と絶賛している。

雪の降る街を

61rzqet7fal__sl500_     「雪の降る街を」は、1949年10月から52年4月までNHKラジオで放送されていた「えり子とともに」の冬の場面の挿入歌として作られた曲である。大学教授とその娘えり子が、戦後のすさんだ世相の中で、いたわり合い励まし合って、母のない家庭を守っていく話だが、主演のえり子役、劇団民芸の阿里道子の美しい声に人気が沸騰し、2年半のロングランとなった。音楽は初め、当時新進の芥川也寸志が担当したが、続編からは中田喜直に代わった。番組も終わり近くになった52年初めのある日、作者の内村直也が音楽担当の中田にいった。「今日は台本が足りなくなってね、歌を一本入れさせてもらうよ」。ビテオ編集の現在ではあまりないことだが、生放送のときはこういうことがしばしばあったのだ。30分番組で予定して書いた台本が27分で終わってしまうので、そのつじつまを合わせようとしたわけである。内村が15分ほどですらすらと書いた詩に、中田がその場でパッと曲をつけ、ドラマの中で文学座の南美江と阿里道子のふたりが歌った。放送すると、あちらこちらから反響があって、評判がいいので「ラジオ歌謡」で取り上げられた。当時フランスから帰ってきたシャンソン歌手、高英男の歌で1953年2月2日から1週間放送され、全国的に広まったのである。

 

 

 

 

 

2019年2月 1日 (金)

ヒマラヤ登山の歴史(20世紀後半)

1945年、第二次大戦が終わると、これまで厳重な鎖国政策をとり続けていたネパールが開国し、1950年、ネパール入りしたフランス隊は、たった一度の攻撃で、人類初の8000m峰アンナブルナに初登頂してしまった。これを皮切りに53年、世界最高峰エベレストが悲願のニュージーランドの登山家エドモンド・ヒラリーとテンジンによってようやく落ち、同年、ナンガパルバットもドイツ・オーストリア隊によって登られた。こうして第二次大戦前には1つとして登られなかった8000m峰が、次々と登られ、56年、日本隊も宿願のマナスルを手にし、チベット領内にそびえる8000m峰の最後を飾るゴサインタンが、64年、中国隊によって登られた。これをもってヒマラヤの黄金時代はあっけなく去った。1970年5月11日、松浦輝夫、植村直己が日本人とし初登頂に成功する。そして、100座を超す7000m峰も、目ぼしいものはほとんど登りつくされ、新しい処女峰を地図の上で見つけることもむずかしくなった。これからはすでに登られた山の別ルートによる開拓、とくにカラビナ・ハーケン・アイゼンなどを用いる人工登山、すなわち鉄の時代にはいりつつある。またスキーを使った娯楽・スポーツといった観光化と、ヒマラヤはしだいに大衆化しようとしている。

テレビ放送記念日

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   1953年2月1日、NHKが日本初のテレビ放送を行った。当日は、東京千代田区内幸町の放送会館第1スタジオから菊五郎劇団の「道行初音旅」や映画などが放送された。当時の受信契約数は868、受信機18万円、受信料は月額200円だった。1962年にはTV受信契約が1000万台を突破し放送も全日になった。

   20世紀の大発明の一つがテレビである。言葉を超えた情報を伝えられるテレビは、地球を一つに結びつける有力な媒体として世界を変えた。だがテレビの発明は誰か御存知だろうか。テレビが実用化されるのは第二次世界大戦後だが、動く画像を電波に乗せて送る技術は戦前に開発されていた。アメリカに亡命していたロシア人、ウラジミール・ツヴォルキーン(1888-1982)が1933年にアイコノスコープ(撮像管)を発明。これによってテレビ放送はこの実現に向けて大きく一歩を踏み出すことができた。

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