モンテーニュの読書室
本日はエッセイ記念日。エッセイといえば、フランスのミッシェル・ド・モンテーニュの誕生日(1553年2月28日)に因んだものとか。1533年フランス南西部ボルドー近郊のモンテーニュ城館に生まれたモンテーニュはヨーロッパ各地を旅行し、見聞を広めた。1571年、官を辞し、モンテーニュ城館の塔に読書室(librairie)を造り、読書と思索の生活に入った。やがて「エセー(随想録)」の執筆を初め、「随想録」2巻が執筆した。サン・テミリオンの読書室の天井にはギリシア語、ラテン語の成句が書き込まれている。40近いこれらの銘文には、知識の不確実さ、生の無情さを強く説くものが多い。彼自身は「私は何を知るか(クセジュ)?」という表現を好んだ。これは、彼が常に真理探究の過程にある、という意味であった。(Montaigne,Bordeaux,Saint-Emilion,Que sais-je?)






19世紀後半から中国や日本で「支那」という言葉が使われていたが、現在では使われない。一般的には「支那」を差別語と考える人が多いが、歴史的に語源を調べるとかなり古い言葉で、玄奘の「慈恩伝」の中にも使われており、成立時は差別的な意味は含まれない。英語の「チャイナ」や「ラ・シーヌ」(仏語)、「ヒーナ」(独語)、「ラ・チーナ」(伊語)、「チナ」(西語)、「シーナ」(オランダ語、ポルトガル語)もみな秦の音の訛りで、古代インド、ギリシア・ローマと伝わったものである。日本語の「支那」も本来は一般的な呼称であったが、戦時中に蔑称として用いられた歴史があり、現在は使われていない。近年、石原慎太郎が「中国をシナと呼ぼう」と会見でシナを連発したが、中国ネットで非難が集中したことは記憶に新しい。ここでは書誌学的研究の立場から、タイトルに「支那」を含む図書を集める。ちなみに「中国」という語はすでに戦前からすでに使用されていた。ことがある。実例として、「近世中国史」風間阜1937年、「中国文化界人物総鑑」橋川時雄1940年など









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